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「”個”の時代」って何なのか?

個人と他人。
個人と会社。
個人と組織。
個人と複数。
個人とコミュニティ。

最近、「”個”の時代」だと多方面で語られています。

インターネットの普及から、スマホの普及、SNSの普及などで、個人が個人の見解を発信できる機会が増えました。

大義でいうと、僕のその1人です。
こうやって毎日noteを書き、ツイッターで想いを語り、Facebookで業界を問わず交流しています。
SNSで知り合った方と活動したり、話し合ったりしています。

まさに”個の時代”です。

想いを共有し、スキルを共有し、時間を共有し、僕たちはインターネットを使って、たくさんの人からたくさんのものを借りることができるし、貸すことができます。

ただ、毎日のようにそんな世界に浸かっていると、ふと考えてしまいます。

「”個”って何だろう?」

”個”の時代なので、noteに自分の活動や想いを書き、発信しています。

でも、noteを書くとき、躊躇してしまうことがあります。

「こんなことを書いて、あの人は悲しまないだろうか?」
「こんなことを書いて、あの人は怒らないだろうか?」

最近はそんなことを気にしつつ書いてしまいます。

「個」って何だろうか?

「個」であることに集中すると、次第に個であることが苦しく感じてきました。
”個である”ということが良いはずなのに、なぜ苦しいんだろうか。

ひとりぼっちになっている感覚すら覚えます。

”個”ではないものの存在

「個」であることは「1人で何でもできる」ということと必ずしも同義ではないと感じます。
個であるために、支えてくれる存在(会社、仲間、チーム、コミュニティ)があってこそ、初めて「個」として存在することができます。

個として在ることを意識しすぎるあまり、「個ではないもの」の存在が見えていなかったのかもしれません。
いや、正確にいうと、「見ようとしなかった」のかもしれません。

個で在るためのチーム。
個で在るためのコミュニティ。

そして、
チームで在るための個。
コミュニティで在るための個。

どちらも必要で、どちらかが大切・重要というものではないということに気づきました。
そのどちらにも想いを持ち、責任を果たしてこそ、どちらか一方では出来なかった「まだ見たことが無いもの」に出会えるような気がします。

”個”と”個ではないもの”の間の「妙」

個もそれ以外も、どちらともにも在る「共通点」があります。
それは、どちらも「人間」であるということです。
時にバランスが取れない時もあるし、どちらかが疲れてしまうことあります。
むしろ、バランスが取れていることの方が少ないかもしれません。

チームが疲れていたら、個性的な”個”が目一杯にチームを引っ張り、
”個”が疲れていたら、チーム(のみんな)が寄り添い、引っ張り上げてくれる。

僕たちは、仕事であっても、家族であっても、何か挑戦するときであっても、「個」だけでは何も出来ません。
しかし、チームだけでも何も出来ない時代にもなっています。

個である自分も、チームの中の自分も、どちらも不安定に、でも楽しんで乗りこなせた時、まだ見たことのない扉が開くような気がします。


<終わり>


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