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”戦争を知らない子供たち”:【知覧特攻平和会館】に行ってきた。

先日、鹿児島の知覧にある「知覧特攻平和会館」に行ってきました。
noteでも3回に分けて書き、多くの方に読んで頂きました。ありがとうございます。

今回は、戦争と自分について、知覧で感じたことに触れながら書いていこうと思います。

まず、タイトルの由来にした名曲を載せます。良かったら聴いてみてください。


1993年(平成5年)生まれ

僕は、割と最近生まれました。
”ミレニアム世代”とか”ゆとり世代”とか”デジタルネイティブ世代”とか言われます。

そんな僕たち世代の価値観は、

・人より優れること
・より多くのお金を得ること
・多くのモノを所有すること

といった世代とは、少し毛色が違うかもしれません。

詳しくはこちらを参照ください。

僕たち世代は、モノやカネをあまり必要としません。

生まれた時から十分すぎるくらいのモノに囲まれ、緩やかに停滞していく日本経済を「家庭の中の子供」という立場で感じてきました。

小学生の時に初めてパソコンに触り、各学校には「パソコン教室」なるものも設置されてきていました。

中学生になると、裕福な家庭・共働きの家庭・成績の良い子・スポーツの出来る子を中心に、携帯電話を持ち始め、「iモード」のある世界にいきなり飛び込みました。

高校生〜大学生にかけて、「スマートフォン」が登場し、SNSの普及とともに社会に飛び出してきました。

そんな世代です。

戦争なんて想像もつくはずがありません。
戦闘機や爆弾はおろか、コンビニのおでんをツンツンしたくらいで「大炎上」する世界です。(語弊があるけど、誤解しないでくださいねw)

でも、ほんの数十年前、この日本、この世界は、今とは全く異なったものでした。

僕らの世代では、一生のうち、ほとんど祖父母と話したことが無く、高齢者が周りにほとんど居なかった、という人も珍しくありません。

でも、戦闘機に乗り、中国やアジア諸国の植民地に居た人は、今でもめちゃくちゃいっぱい居ます。
僕の会社のデイサービスには、まるで昨日のことのように、「大連」に居たことを話してくださる方がいらっしゃいます。
まだ90代です。

ほとんどの若者は、日常生活を送る中で、戦争を経験した世代と、分断されているようにすら錯覚していると思います。


そんな世代間の間隔の違いを正面から受け止めながらも、あえて、戦争について考えていきたいと思います。


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最初に”戦争”に触れたのは

人生で初めて「戦争」という言葉を聞いたのは、確か5歳の頃。
幼稚園の年少さんの終わりの頃。
じいちゃんとばあちゃんと、実家の事務所で話していたときのこと。
(僕の実家は自転車屋さんで、よく事務所でサイダーやオロナミンCを飲みながら祖父母や近所のおっちゃんやおばちゃんと話していました)

祖父「じいちゃんが祐也の歳ん頃、戦争があったんよ〜」

ー”せんそう”ってなに?

祖母「戦争いうんは、アメリカが日本に攻めてきて、爆弾をどんどん落として行くんよ」

子供の頃の僕には、その「戦争」っていうもんが、とても恐ろしい、怖い、想像もできないもののようなイメージしか持てませんでした。

とにかく食べる物は無くて、ジュースなんかも無い、学校も行けない、英語・外来語使えない。

正直全く想像ができませんでした。

田舎の中流階級、もしかすると”中の下”くらいの家庭環境でしたが、正直ほとんど苦労せずに幼少期を過ごしていたように思います。
欲しいものは買ってもらえるし(高いものをそもそも)、食べ物も飲み物のおやつも、多分それなりのものを与えてもらっていたと思います。

別にお金持ちでも無いし、裕福感ゼロの家庭でしたが、
それでも、戦争当時の生活なんて想像もつきませんでした。

戦争って「最近」なんだ

その次に、戦争を強く意識したのは、小学校3年生の時でした。

いわゆる「総合学習」の時間で、地域のご高齢の方に”昔の生活を教えてもらおう!”という授業でした。

実際に地域のご高齢の方に電話でアポを取り、会いに行き、学校に来てもらう、そして当時のモノ(洗濯板、ベーゴマ、編み物、モンペなどの衣類)を持って来てもらい、一緒に体験しながら授業を進めるという形式でした。

その時、

・爆弾が落ちた直後は、川の水が汚れるから選択できなかった
・戦争中は「鉄」がほとんど没収されたから、遊ぶものがあまりなかった
・モンペだと防空壕まで走りやすい
・防空壕から6時間以上出られないこともあったから、その間に近所のおばさんに編み物を教えてもらった

など、「モノ×体験」の話を聞かせてもらい、よりリアルに、温度感を持って、「戦争」が伝わって来ました。

そして、その時思ったのは、
自分の目の前のばあちゃんは、そんな経験をしたんだ。
ということでした。

それまでは、戦争が、まるで昔話やおとぎ話のように感じていました。

昔こんなことがあった。

その程度でした。

でも、その授業で感じたのは、昔話やおとぎ話や歴史ではなく、「体験」でした。

このばあちゃんは、こんな生活をしていたんだ、もしかしたら”あの時”死んでいたかもしれないんだ。

まだ9年しか生きていない少年にとって、「戦争」がぐーっと近くに寄って来た感覚でした。

沢山の人生を垣間見た

中学になり、介護施設でのボランティアを頻繁にするようになり、戦争が身近なものになると同時に、「色んな戦争」を知ることにもなりました。

ある方は、大阪に住んでいて、「疎開」で岡山に来て、そのまま岡山に住んでいる。
ある方は、原爆をギリギリで免れ、自分の家や学校が一瞬で消えていくところを見た。
ある方は、植民地であるフィリピンに行き、仲間が生き絶える様子を目の前で見た。

多分100人くらいの方から話を聞いたと思います。

話を聞くたび思うことは、

戦争は、当事者全員にとっての戦争である

ということでした。

漫画や映画に出てくる「戦争」は、あくまで”歴史としての戦争”あるいは、”ある人にとっての戦争”に過ぎません。

しかし、戦争は、関わった国や周辺諸国の国民全員が当事者となります。

そして、その当事者それぞれにとっての「戦争」は千差万別です。

性別、年齢、学校、職業、家族構成、健康状態、居住地域・・・

様々な要素と、その人の「心」が掛け合わさって、その人にとっての「戦争」になります。

戦争とは、国や地域同士の利害のぶつかり合いですが、
戦争によって、多くの人生に多くの影響をもたらすものでもあります。
その影響がいかなるものであるか、その一つひとつを見つめることで、本当の意味での「戦争」と、それを未来永劫起こさせはしない、という決意につながると思います。

知覧で見た「戦争」

今回の「知覧特攻平和会館」訪問によって、また新たに「戦争」について考え直すきっかけになりました。

どんな気持ちで特攻作戦を実行したのでしょう。
特攻に行く前日、どんな気持ちだったのでしょう。
特攻前夜、仲間と酒を酌み交わした時、どんな気持ちだったのでしょう。
母親に最期の手紙を書いた時、どんな気持ちだったのでしょう。

僕の想像の範疇をはるかに超えた現実を見て、感じた「戦争」は、歴史の奥にある、丸裸の真実でした。

抑圧され、統制され、自由も平等も人権も、人間としてのほぼ全てを「国家」に捧げ、無情にも国家の「歴史」によって翻弄されて来た人たち。

戦争を感じた僕は、彼らの声になりたいと思いました。

多分、当時の彼らと同じ気持ちになるのは、不可能でしょう。
認識を共にすることも難しいかもしれません。

それでも、「今の僕」に感じられるもの、そして、次の世界に「幸せ」として残せるものとして、伝えていきたいと思います。

感情を頭ごなしにぶつけるつもりは毛頭ありません。

当時を知らない人間として、知らないなりに、「次に」伝えていきたいと思います。

僕らにとっての「戦争」

今、世界情勢は動乱の中にいます。

膨れ上がった資本主義は、もはや限界に近づいています。

しかし、よく考えていると、このnoteの序盤に書いた、世代による価値観の変容と照らし合わせて見ると、「戦争」をする目的が形骸化して行くようにも思えます。

これからを生きる若者世代の多くは、戦争を望んでいません。
争いを望んでいません。
”より多く”を望んでいません。

僕ら若者世代に足りないものはなんでしょうか?

僕はそれを「ポジション」だと考えます。

明確に、「戦争は望まない」「これ以上の”多く”を望まない」を意思表明することです。

ある統計データによると、2000年前後に比べ、現代の若者は保守的になっている傾向があるそうです。
今までの慣習に従い、長い物に巻かれ、制度や法律は変えようのない普遍的なものとして受け入れています。

しかし、その”普遍的に見えるもの”も、目の前の現実を必死で変えてきた先人の存在が、現実としてあります。

今こそ、僕たち若者自身が、価値観の変容を起こし、ポジションを表明し、目の前の現実を変えていく時です。
いつの時代も、社会を変えてきたのは、行動力のある少々無礼で正直な若者たちです。

「戦争」は、何のために引き起こされるのか?
どんな目的があるのか?
どんな効果があるのか?

今一度、僕たち若者の「常識知らず」である”強み”を生かす時です。

戦争の真実・本質が明らかになった時、若者から、世界へ、価値観の変容が起きるでしょう。

その時が来るまで、必死に目の前の現実に立ち向かっていきましょう!


あの日
あの時
あの瞬間


無数の星になった、命のために。


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あとがき

今回の内容を書くにあたって、もっともっと沢山の、戦争についての勉強をしようとも思いましたが、やめました。

今の若者が感じているままに書きたかったからです。

僕たちは正真正銘の「戦争を知らない子供たち」です。

戦争について、知る機会すらほとんどなかった世代です。

以前、どこかのテレビ番組で”ゆとり世代を揶揄した”番組を観ました。
よくあるやつです。

その番組の中での街頭インタビューがとても印象に残っていました。

【終戦記念日の正解率】です。
細かい数字は覚えていませんが、めちゃくちゃ低かったのは覚えています。

その事実を、テレビの中の大人たちは、気持ち良さそうにディスっていました。

”常識知らず”
”今までどうやって生きてきたんだ”
”日本人として悲しい”

こんな現代になった原因は何でしょうか?

子供が悪いのかな?

まあ、

誰が悪いとかをわざわざ話したくもないので、どうでもいいのですが。

そういう「現実」はあるのです。

若者は「戦争を知らない」んです。

だから、良いとか悪いとかではなくて、
これから伝えていけばいいんです。


戦争を知らない奴が、戦争を知らない奴に、感じているまま伝えていく。


もしかしたら、事実や真実は異なって伝わるかもしれない。
それでもいいと思うんです。
それが何年何十年何百年と積み重なり、「歴史」になります。

ぜひ、その「歴史」が、人類をはじめ、多くの「命」にとって、幸せであればいいなと思います。





【最後にもう一度、この歌を載せます】



<終わり>

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