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師匠と出会って。

「師匠」

<weblio辞書>
① 学問・武芸・芸術などを教える人。先生。
② 稽古事を教える人。 「生け花の-」
③ 落語家など寄席芸人に対する敬称。
<Wikipedia概要>(師弟)
経験によって培った知識・技能などを伝授する関係で、伝授する側が師、伝授される側が弟子となる。広い分野にわたって見られ、学問の世界ではソクラテス・プラトン・アリストテレスの師弟関係が著名であり、宗教でも直接教祖の教えを受けた者は弟子と呼ばれる(十二使徒、十大弟子など)。経験豊富という点から年長の立場にある人が師匠となることが多いが、「(その世界での)経験が浅い」という尺度から必ずしも年齢で判断できない例もある(伊能忠敬の天文学の師匠である高橋至時は伊能より19歳年少である。伊能が隠居してから天文学を本格的に始めたため)。弟子は師の教えを受け継ぎ発展させるが、意見の相違などから別の流派を立てることになる例もしばしばある。親鸞は法然の弟子で、自身では最後まで「自分は法然の教えを説いている」としていたが、それでも親鸞を祖とする浄土真宗は法然を祖とする浄土宗とは別の宗派として存在している。
「弟」という字が遣われているが、教えを受ける側が女性であっても「弟子」である。ただし、稀ではあるが、教えを受ける側が女性であることを強調する目的で「娣子」と表記することもある。
道場や教室に入門する場合、指導役のトップの地位にいる人が自分の師匠になる。
また、学校教育における先生(教授・教諭)と生徒(教え子とも)の関係でも、教えを受けた先生に対し後年「恩師」と呼ぶことがある。

様々な定義があるとは思います。

僕の「師匠」と呼べる人は2人います。

今日はそのお二人のことを書きたいと思います。

「人生」を教えてくださったF先生

10歳〜18歳まで地元岡山で「備中神楽」という伝統芸能を習っていました。
14歳頃からは地元のイベントやお祭りで”おひねり”をもらえるようになっていたので、自分なりに頑張ったと思います。

そんな神楽を通じて出会ったのが「F先生」。

僕の人生最初の師匠です。

F先生は当時70代。
現役を退いても、お仕事関係のことをされ(ていたらしい)、僕たち子供に神楽を教える、といったアクティブな方でした。

F先生に付いて学ぶようになったのは10歳の終わり頃。

年下の子がメキメキと上達している姿に気後れしていた僕に目をつけてくれたのがF先生でした。

「構えがいいな。やってたんか?」

ーいや、やってません。

「来週からウチの道場へ来い。教えてやる。」

ー・・・はい。

確か最初のやり取りはこんな感じ。

母親の後押しもあり、週一回〜二回程度、夜遅くに師匠の道場に行き、2時間ほど稽古をつけてもらうようになりました。

道場といっても、小さな山の山頂にある8畳一間の小屋しかなく、外に出れば真っ暗闇。

まさに「稽古」にうってつけの場所でした。

2つ下の子と一緒に師匠の元へ行き、毎回汗だくで、汗も出なくなるくらい稽古しました。

もちろん、F先生は「ウチの道場へ来い。」と言われるだけあって、教えることはとても上手でした。
指示は的確だし、音と身体を融合させないといけない伝統芸能にあって、綺麗に言語化された指導は、当時物心付いたばかりの僕たちにとっては、この上なくわかりやすいものでした。

でも、師匠から教わったことは、そんな「芸能の技術」ではありませんでした。

子供の僕が初めて触れた、「生きること」「人生」でした。

師匠からよく言われた言葉を書いてみます。

「お母さんに感謝しなさい。」
「勉強はしろよ。でないと神楽なんかやっても意味ないぞ。」
「音を耳と目と肌で感じろ。」
「時間は守れよ。」

指導には細やかな言語を使ってくださる師匠は、ことこういった精神的指導の際には、端的でシンプルな言葉ばかりを使っていたように覚えています。

いつも冷静で、ゆっくりとした口調で、僕の目から一切目を逸らさない。
薄紫のサングラスの奥で、一重で細い目が、ギーっと僕の目を通して、僕の心や思考の全てを見透かしているようでした。

技術論から一歩離れた指導では、穏やかな口調で、ゆっくりとお話しをされていました。

師匠の前では「素直」「誠実」「正直」から外れたことを一切口にできませんでした。
もしそんな発言をすれば、スイッチが入ったように烈火の如く怒られました。

もしかすると、現代の風潮とは不釣り合いだったのかもしれない指導法や接し方だったのかもしれません。

でもそのおかげで、「よく分からない大人の都合」を完全に中抜きにした、本質的な指導を受けられたと思います。

師匠との別れ

高校二年生、16歳。

師匠が亡くなりました。

僕は生まれて初めて、親族以外の葬儀に出席しました。

会場に入りきらないほど沢山の参列者の方々。

穏やかな表情の亡骸は、今でも忘れられません。


その別れから、僕の「師匠」はいなくなりました。

もちろんそれ以降も、先生と呼べる人がいたり、尊敬する人は多くいました。

それでも、心から「師匠」であると、自分の人生の中で特別な存在である人とは中々出会えませんでした。

そのくらい、F先生は特別は存在でした。

先生がいなければ・・・、

いや、先生のいない僕の人生を考えられないほど大きな存在でした。

師匠が亡くなって10年。

まだ26年しか生きていない僕でも、こんなことを思います。

「人生には、然るべきタイミングで然るべき人と縁があるもんだなあ。」

F先生と出会ったころも、人生の中で迷子になっていたタイミングでした。
そんな時にF先生に出会いました。


そして、今、いよいよ自分自身の世界観、その世界観を世に出していく、そんなタイミングです。

そんなタイミング。

出会うんですね〜

昨日、僕に師匠が出来ました。


当時出会った頃のF先生と同じ年くらいの69歳。

多分、僕の人生にとって強烈な出会いであり、関係になってくると思います。

「師匠」については、また書きたいと思います。


<おわり>




シニアの方々が、主体的に・楽しく生活し続けられるよう、頑張ります!少しでもご協力頂けると幸いです。