生活を祭りにすればいい

最近の僕のテーマは、

・生き物としての人間
・生き物の複雑さ
・ごちゃ混ぜ

で、そろそろ画一的に整理された社会構造を変えられないかと考えて、出来ることを行動しているんですが、

先日、近所のお祭りに行った時に、
理想的な姿を見たので、書きたいと思います。

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地域のお祭りに見る「社会のリアルな温度」

先日、江東区東砂にある「天祖神社」でお祭りがありました。
僕は、最近一緒に活動する機会のあった「NaNaの会」の皆さんからオススメされて、嫁を連れ立って行きました。

※↑NaNaの会についてはコチラを!

天祖神社は、日常的に通る道沿いにあるのですが、足を運ぶことはなく、通り過ぎる程度でした。
なんとなく、”小さい神社だったような”とか、”そんなに広かったっけ?”ぐらいの印象しかありませんでした。

行ってみると、

・・・少子化ってなんだろう???
ってぐらいの子供の数とママさんパパさんの数でした!!

もちろん、ご高齢の方も多くいらっしゃいましたし、車椅子やシルバーカー、杖を使って来ている方も多く見られました。

「少子高齢化」
「近隣同士の関係性の希薄さ」
「世代間の分断」

これらの話題は、”地域”を語る上で避けては通れません。

でも、少なくとも、この天祖神社にはそんなネガティブな印象は見受けられませんでした。

地域の”目線”はどこに向いているのか?

地域の課題や問題は山積しています。
行政が担うべきもの、あるいは住民主体で取り組むものなど、多くあると思います。
そういった議論の際、必ず出てくるのが、「誰がやるべきなのか?」「何をやるべきなのか?」というものです。

課題はなんとなくわかった。
原因もなんとなくわかった。
方法もなんとなくわかった。
では、どう実行するか?

ここで、大体の地域事業はスピードが急速に落ちます

なぜスピードが落ちるのかというと、「決め」られないからです。

では、なぜ決められないのでしょう?

それは、「やりたいこと」ではなく「やるべきこと」だからです。

地域事業の会合にも多く呼んで頂きますが、ここが一番欠けているポイントです。

どうしても『地域活動』『地域課題』『地域活性』となると、【まじめモード】になり、頭でっかちになってしまいます。

だから、力が出ないんです。

一方で、「やりたいこと」にはフルパワーが発揮されます。
この祭りこそ、そのパワーが溢れていることの表れなのではないでしょうか。

楽しそうに。
前向きに。
みんなのために。
自分のために。
一生懸命に活動されています。

住民の想いは、「〇〇課題」に向いているのではなく、「やりたいこと」に向いているのです。

日常?イベント?

「そりゃ、祭りだからねw 年に一度だしw」

果たしてそうでしょうか?
年に一度の祭りだから楽しんでいるのでしょうか?

そもそも、祭りの楽しみはどういったものなのか、もう少し抽象化して考える必要があります。

<祭りの楽しみ>
・出店が出ている。
→非日常の飲食
・人が多く集まる。
→時間制約を受けやすい「若い親子」が多く来れる。
→子供が楽しめる「コンテンツ」と「余白」
・高齢者のエネルギーフルマックスな時間
→神事と地域基盤への貢献感。
→参加者というより「作り手」感。

など、この他にも多くの要素があると思います。
会場にいる人に聞けば、もっと多くの意見が得られるでしょう。

このように、当事者の意見から抽象化して考えると、「必ずしも祭りである必要はない」という手段が見つかるかもしれません。

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日常の中で、生活の中で、時間フローの中で、

僕がこの日見た「笑顔」と同じ「笑顔」を生み出せるかもしれません。



・・・なんか、一緒にやりません?



<終わり>





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