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介護を”誰でも出来る”仕事にできたら

なんか言葉を間違ってしまうと、大きく誤解を招きそうなのですが。
まあ、昨今の”芸能関連ニュース”とかを読みながら、ふと考えてみたので書いて行きます。

”特別な聖人ができる仕事”という搾取

「この仕事は誰にでもは出来ないよね」
「ほんと、この仕事をする人はすごいと思うわ」

他業界や担当させて頂いている研修、施設の見学対応などで、そんな言葉をよく耳にします。実際に言われたことも何度もあります。

介護の仕事は普通の人には出来ない。
心が清らかなんだ。
みんな優しくて凄い。

そんな、一見「お褒めの言葉」は、介護と”介護以外の世界”を分断しているのだと思います。

【介護以外の世界では】
私たちは、こんなに綺麗な心を持てないので、介護の仕事をする資格はない。
つきましては、介護の仕事はしません。
本音を言うと、介護の仕事なんてしたくないけど、「したくない」って言うと、周りの目もあるし、ここはひとつ「自分の心が汚れているんだ」ということにしておきましょう。
【介護の世界では】
私たちは、世間から見るとそんなにも”聖人”なのか。
そうであれば、聖人らしく振舞わなければならないなあ。
実は、そんな聖人なんて程遠いと思っているけど、聖人であらなければいけないなあ。
聖人である以外に生きて行く道がないなあ。

人間の中に聖人なんているはずもなく、介護を志したものが、生まれながらに「清らかな心」を持っていたわけでもありません。

みんな、同じ人間なのです。

もしかすると、ほんの少しだけ「想い」とか「考え方」とかは違っていると思いますが、それは介護に限った話ではなく、それぞれの職業によって違うように、介護も「一つの職業」に過ぎないのです。

分断されている世界の中の人は、もっともっと”外”に出られなくなってきます。

ホリエモンの保育士炎上騒動について

堀江貴文さんが数ヶ月前(一年くらい前になるのかな)に、「保育士は誰にでもできる仕事」という趣旨の発言をされて炎上されていました。

この問題について、僕なりの解釈をすると、保育士が「誰にでもできる仕事」だと思われれば、保育士業界は勝ちなのです。

現在、日本全国で保育士の数は7万人以上も不足しています。
有資格者の3人に2人以上は保育士職に就いていないというデータもあります。(出典:厚生労働省 保育士等に関する関係資料)

不足の人数や規模感を比べると、介護職は2035年に約80万人の不足が予測されることからも、保育士は”介護職ほど人手不足ではない”と言えます。(決して保育士不足の問題を軽視しているわけではありません。)

先ほど触れたホリエモン騒動を解釈すると、
「保育士はそこそこ勝ち」
「介護職は負け」
の状況だと思います。

理由は、相対的に保育士は「誰にでもできる仕事」だと思われていて、介護職は「誰にでもできる仕事」だと思われていないということです。

「誰にでもできる」ことが”勝ち”で、「誰にでもできない」ことが負けなのか。
その理由は、シンプルで「子育てはしたことがあるから」(された記憶も含む)です。

例えば、その辺の公園で井戸端会議をしているおばちゃん達に、
「子育てはどう思われますか?」
「介護はどう思われますか?」
と聞いてみてください。
僕が地域で活動している実感値としては、ほぼ間違いなく「子育て」に関しての会話の方がたくさん話してくれるし、より前向きに楽しそうに話してくれます。

ここで、ホリエモンの炎上騒動をもう一度振り返ります。
「保育士は誰にでもできる仕事」

この言葉をただただ感情的に受け取ってしまうと、「保育士を軽視しすぎ!」「子供の命をなんだと思っているんだ!」「親の気持ちにもなれ!」と様々な意見が出てくるでしょう。

しかし、彼は著書の中でも書いているように、決して「保育士を軽視している」わけではありません。
そうではなくて、業界・イメージによって分断されている保育士業界の間口を広げようとしているのです。

間口が広がれば、外部の有識者や一般人が意見を言いやすくなり、業界全体が活性化します。
事実、教育(初等教育、高等教育)業界では、特にここ数年での業界の活性化が顕著です。教育についても、程度の差はあれど「誰もが勉強したことがある」し、「誰かを教えたことがある」など、いい意味で「誰でもできる」という印象をきちんと与えられている証拠です。

介護の「誰でもはできない」と”プライド”幻想

一方で、介護は「全員がするものではない」「できればする状態にならないのが望ましい」と思っている人が少なくないでしょう。
地域活動に精を出し、周囲からの信頼が厚い人でも、ひとたび介護の話になると「そうならないようにがんばろ!」と、やはり介護は避けがちです。(子育ての話はあんなに楽しそうに話してくれるのに)

「誰でもはやらない」し「できればやりたくない・されたくない」となると、間口も狭まります。
業界を活性化させるような動きは起きるはずもないし、ホリエモンなどの著名人からの一石を投じるような発言や提案も起こりづらくなってきます。

よりブラックボックス化し、制度の上塗りでごちゃごちゃになり、誰も手をつけようともしなくなります。
これは社会保障全体でも言えることで、国民一人一人の感情や環境・状況が違いすぎるがゆえに複雑になり(複雑であることが必ずしも間違っているとは思わないが)、「誰でもはできない」「できればやりたくない」と思われるようになるでしょう。

そして、もう一つ忘れてはいけないのは”ブラックボックスの中にる人たち”(介護業界内)です。

聖人と言われ(本音で”聖人”と思っていないことはこれまで述べてきた通り)、「誰でもはできない」と間口は狭まった環境の中で、当事者達はどのように思うのでしょうか。

それがまさに”例の芸能ニュース”に代表されるような言動になってくるのではないかと思います。

「私たちの仕事は”特別”なんだ!」
「素人にはわからない!」
「専門性ガー!」
「”プライド”ガー!」

これ以上言うと、求めていない反感まで買ってしまいそうなのでやめときますが。

こうやって、自分自身を袋小路に追いやり、身動きが取れない状況になってきています。

いいじゃない、「誰でもできる仕事」で。
その「誰でもできる仕事」の中で、あなたやあなたのチームにしかできない「専門性」「個別性」を出していけばいいんじゃないですか?

介護業界全体をアップデートしたいのならば、まず、自らの無力さに向き合い、変なプライド(自分自身)を笑い、そして、内にある想いに耳を傾けて、また頑張りましょう。


<終わり>



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