コミュニティの閉鎖性

「閉鎖」という文字ヅラにパワーがあるので、誤解せず読み進めてもらいたいんですが、ポジティブに捉えています。
その理由と実態について書いていきます。

”コミュニティ”という言葉のパワー

皆さんは「コミュニティ」と聞いてどんなイメージを持つでしょうか。

・繋がっている感じ
・仲良い感じ
・ハートフルな感じ
・”愛”な感じ

「オンラインサロン」や「シェアエコ(シェアリングエコノミー)」の登場により、人と人とのつながりを表現するキーワードが目立つようになってきた印象です。

しかし、この「コミュニティ」という言葉、それぞれの個人や団体によって意味付けや解釈の違いが多く、一概に「〇〇!」と断定できる意味が見つかっていません。
因みにウィキペディアだと、

コミュニティ(英語:community):英語で「共同体」を意味する語に由来。同じ地域に居住して利害を共にし、政治・経済・風俗などにおいて深く結びついている人々の集まり(社会)のこと(地域共同体)。日本語では「地域共同体」が「地域社会」をも意味し得うるため、転じて国際的な連帯やインターネット上の集まりなども「共同体」あるいは「コミュニティ」と呼ばれる(例:欧州共同体、ラテンアメリカ・カリブ諸国共同体、アフリカ連合、米州機構、東アジア共同体(計画中)、国際航空通信共同体)。地域の共同体であることよりも地域住民の相互性を強調する場合、地域コミュニティとカタカナ表記する場合も多い。
ー出典:ウィキペディア

うーん。
わかりませんなあw

「コミュニティ」という様々な意味を内包した言葉だけが一人歩きして、本質的にどんな形か、どんな結果なのかが分かりづらくなってきています。

その意味について、僕なりの見解を書いていこうと思います。

「新しい村」:閉じた価値観

コミュニティを意味付けする上で、一般論的に「綺麗なもの」であるというバイアスから一旦離れて考えることが重要だと思います。
ついついテイのいい言葉で意味付けをしようとする場合をよく見ますが、必ずしもそうではないと思います。

結論から言えば、コミュニティは「閉じた世界・村・集団の中で価値観を共有し合うもの」であると思います。

人類学者:ロバート・ダンバーが提唱している「ダンバー数」の中では、人間が円滑に安定して維持できる関係は150人程度であると提案されています。
また別の研究などによると、「認知人数:500人」「関係人数:150人」とも提唱されています。

ということは、本来コミュニティとしての最適人数は多くても150人〜500人の間ぐらいの小さな集団ということになります。
その人数は、これまでの日本社会では「ムラ」と呼ばれていた集団でした。

テクノロジーが助ける「重なり合い」

これまでは「ムラ」と呼ばれ、あまりポジティブな意味で捉えられていませんでしたが、現代は少し事情が変わってきています。
リアルの社会では「ムラ」「集団」と分断されてきましたが、SNSやソーシャルメディアの登場により、仮想空間でコミュニティを形成できるようになってきました。

・地下アイドルを応援するコミュニティ
・コーヒーを語り合うコミュニティ
・フラダンスを楽しく学ぶコミュニティ

もちろんリアルな場での交流もありますが、LINEグループやフェイスブックグループを使って、たくさんのコミュニティが登場してきています。

そのグループに対して、「地下アイドルの応援もええけど、そんなことより、年金問題も考えろ!」などというのはお門違いです。
価値観によって外界と分断しているコミュニティに対して、相入れないイデオロギーを押し付けても意味を成しません。ただのヘイトです。

一方で、「地下アイドルも好きだけど、インディーズロックバンドや盆栽にも興味がある」なんて人もいると思います。
これまでは、リアルの場でのコミュニティに限られていたので、時間とお金を含めた物理的コストが多くかかっていました。
しかし、テクノロジーの進化により、「複数のコミュニティ」に所属することが容易になりました。
僕も日中は会社員としての活動をしている時間が長いにも関わらず、10個くらいのコミュニティに所属する生活をしています。

江戸時代。自分の身を置いている「藩」を抜けると(脱藩)、死罪になりました。
でも現代は、手の中(スマホ)で、好きなだけコミュニティに所属することができます。
時に〇〇のコミュニティにマインドシェアを沢山使い、△△のコミュニティのマインドシェアを低めにして過ごす、なんてこともできちゃいます。

本質は”閉じた村”と転々とする「人」の価値

コミュニティ、コミュニティと言われていますが、コミュニティのもたらす本質は、一個人の価値の最大化だと思います。
もちろん役割として「つながり」とか「安心の場」という意味もありますが、それはあくまでコミュニティという「場所」の役割であって、「最低限必要」なものです。

一個人が複数のコミュニティに所属しながら、自分の好きなこと・楽しいこと・アドレナリンが出て気持ちいいこと・真剣に議論したいこと、などなど、自分を価値観ベースでカスタマイズできます。
無理矢理に自分のやりたくないこと、関わりたくない人に「多くの時間を割く」必要が無くなります。(少しはあった方が人間っぽいと個人的に思いますが)

自分の価値観を複数の場所で最大化し、テクノロジーによって最適化することによって、個人の価値が指数関数的に上昇します。
そしてその個人が、所属するコミュニティでさらに価値観を高めると、コミュニティ全体が活性化します。

=========

コミュニティという言葉はこれからどんどん進化していくでしょう。
意味や解釈ももっともっと広がりを見せると思います。
おそらくその過程の中で、摩擦も起きます。

ここで書いた「コミュニティの閉鎖性」についても正解ではないので、僕の中でも新しい感覚が生まれてくるかもしれません。

その度にコミュニティについて問い続けていきたいと思います。


レッツ、コミュニティ!!


<終わり>


シニアの方々が、主体的に・楽しく生活し続けられるよう、頑張ります!少しでもご協力頂けると幸いです。