見出し画像

「本当は自分が・・・」:”探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点”に見る無名人の温度

いじめ、パワハラ、セクハラ、モラハラ、SNSの誹謗中傷、自警団、過剰なポリコレ、炎上、異常クレーム、”おでんツンツン男”、クソリプ、ノイジー・マイノリティ(ラウド・マイノリティ)

皆さんは、ここまでのキーワードを読んでどう感じましたか?

自分はやっていますか?

やっていませんか?

本当ですか?

自信はありますか?

多分、僕のnoteを見るような人は、そもそもこんなことをやるほど「ヒマ」で「クズ」ではないと思います。
もちろん、我が国には「表現の自由」なるものが存在しているので、上記のようなキーワードの行為・言動を起こす人に、「何もするな。黙れ。」というつもりはありません。

ただ、僕は「ヒマ」で「クズ」だとは思ってしまいます。すいません。

もう一度、皆さんに問います。

やっていませんか?

少し質問を変えます。

思ったことはありませんか?

そうです。
上記のいかにもパワーのある行為を、やったことはなくても、思ったことならあるんじゃないですか?

最近の事例を思い出しながら考えてみてください。

・高齢ドライバー問題
・芸能人の不倫
・薬物依存
・某有名芸能事務所の闇営業問題
・外交政策の動き
・政治家の「芸術展」への介入

ほんの一部ですが、ここ1,2ヶ月での有名な動きを挙げてみても、これくらいはありますね。

こと日本においては「芸能ニュース」の割合が世界的にみてもかなり多いを言われています。

芸能ニュースに限らず、「注目のアスリート」や「あの人(素人)すごい!」みたいな企画がたくさんあります。
日本のメディアのほとんどはこうした、「この日本人すごくね?」的企画に覆い尽くされています。

そうした背景を前提として、上記のような”スキャンダル”に敏感に反応してはいませんか?

有名人と無名人

有名人のあり方は少し昔と比べても変化してきていると思います。

遥か彼方にいる、手の届かない存在だったものから、
手を伸ばせばすぐそこにいる存在へと変化してきているように思います。

でも、それは、”会いに行ける”的距離感ではなく、”会いに行けなければならない”的見えない圧力によって形成されたものではないかと思うのです。

・有名だからって調子のんな
・顔だけじゃん
・歌だけじゃん
・俳優気取りかよ
・アイドル気取りかよ
・あいつ昔は〇〇だったんだろ?w(嘲笑的)

有名人は、”会いに行ける”的世界観で距離を縮めてきたのではなく、日本独特の全体主義的同調圧力によって、縮めて行かざるを得なくなったのではないかと思います。

逆転妄想

そんな時、ある映画に出会いました。

俳優:大泉洋、松田龍平のコンビが、北海道ススキの探偵となり、社会の闇と闘っていくコメディサスペンスアクションです。

このシリーズの第二弾、【探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点】が非常に、現代の「有名人と無名人」を捉えているなあと思いました。

話のあらすじに沿って気になったポイントを挙げると、

ススキののある仲良しのオカマ・マサコちゃんが殺されるところから、かつてマサコちゃんと親交のあったカリスマ政治家と裏社会が関係しているような展開でした。

しかし、真相は、マサコちゃんがマジックショーでテレビ出演を果たしたことに起因する「嫉妬」だったのです。

最終局面で真犯人が口にしたのは、

・なんであいつなんかが目立つんだ。
・俺はいつも日の当たらない仕事をして嫁と娘をボロアパートで養っているのに。
・オカマなんて、目立たずに、日陰を歩いてろよ。

そう、日本全土を巻き込む大スキャンダルだと思われていた事件は、だた、一市民による「嫉妬」だったのです。

この事件の真実は、
・本当は自分が目立ちたい
・頑張っている自分が無名人で、頑張っていない(ように見える)、あるいは、目立ってはいけない(と認識している)ような奴が有名人

その構造が許せないのです。

ただの狂った殺人鬼です。

でも、

よく考えてみてください。

みなさんも同じような思いを持ったことはあるんじゃないですか?

・俺の方が営業件数を多く回って大変なのに、アイツが目立っている
・俺の方が深い思考をしているのに、あの子は振り向いてくれない
・私の方があなたのことを思っているのに、あんな女と・・
・こいつ(芸能人)どうせ整形だろ
・コネでしょ
・七光りでしょ
・面白くない、なんでこんなのが人気なの?

これ、ぜーんぶ、狂った殺人鬼を同じような考えに見えませんか?

自分の思っていること、考えていることは、あたかもこの世界の普遍的価値であるかのように錯覚し、その価値から外れるものを徹底的に糾弾する。
自分の方がすごい、自分の方が優れている、自分の方が考えている。

自分は特別。

自分だけが特別。

でもこれは、人間生活を送っているといつかのタイミングでやってくるそうです。
特にモラトリアム期間の葛藤の中にもこういった心の動きがあるそうです。

みなさんが思っていることは、みんなが思うことかもしれません。

そしてそれは、自己成長のある一地点に過ぎないのかもしれません。


この記事を読んでドキっとした人。

大丈夫、みんな同じです。

よくわかります。


僕も、かつてそう思っていたから。


<終わり>


この記事が参加している募集

買ってよかったもの

シニアの方々が、主体的に・楽しく生活し続けられるよう、頑張ります!少しでもご協力頂けると幸いです。