見出し画像

彼氏に求めていた事を35歳になった自分が実行して得たもの

小学生の頃、月刊りぼんを楽しみに読んでいた。
恋愛漫画が多く連載されている中
当時、沢山の女子を一喜一憂させた矢沢あい先生の作品。

・天使なんがじゃない
・ご近所物語
・パラキス
・NANA

など

どの作品にも、お洒落でスタイルが良いイケメンと天真爛漫なヒロインを軸に物語が繰り広げられる

その中でも、ご近所物語のヒロイン(実果子)とイケメン彼氏(ツトム)の間には他者がさほど、介入してこない恋愛が描かれていて幼いながらに、そんな平和な恋愛に憧れていた。

ヒロイン(実果子)がスーパーカブを親に購入してもらいイケメン彼氏(ツトム)と2人乗りで通学するシーンを読んで

「あぁ〜、大きくなったら彼氏の後ろに乗りたいなぁ〜。」

そんな、可愛らしい夢を抱いた小学生女子の夢を
35歳になった私が彼氏役として叶える事になった。

35歳になった私の後ろには、小学生女子の私が乗っているという妄想。(恐いねw)

この作業をする事で、何が生まれたのか?

“見える景色が全く異なるという事”
“彼氏が彼女に実際に出来る事と出来ないこと”

はじまりは、彼氏に求めていた後ろの座席だったが、操縦者になった私は後ろの座席とは全く違う景色を見ることになった。

憧れていた事が何かを拍子に頭の中をよぎり、
それが幾度も繰り返され
いてもたってもいられなくなり…
叶えたカブライフ。

月に一度、カブ遊び(ツーリング)に出るようになり風を切る爽快感、地図をたどる楽しみ、走り続ける苦悩、走り切る達成感…様々な感性が磨かれていく中で、後ろの座席に乗りたいと夢見た女子は?彼を見て・・・何を思う?

10代後半は恋愛しながら自己実現するストーリーに憧れるも
恋愛でつまづき(笑)器用にストーリーを進めれなかった。
彼を見て何を思う?の答えはきっと、2人の時間を2人で共有・共感したかったに尽きる。

そんな頃に、男と女は脳の構造が違うので一向に平行線だ。と論破された事がある。代名詞を性別で分けてしまうのは、とてもシンプルで、考え方として楽な道でもあるし理屈として不正解ではないし、私も一理あるとは思う。

が、そこに正解や見切り(話の終わり)をを求めるのは、寂しい気がする。

解決する事がお互いのクリアーに繋がるのであれば、相手の立場を経験できるならしてみる、経験できない物事ならば、想像力を働かせてみる。
もちろん、お互いに。一歩、半歩でも入る事で緩和するではないだろうか。
(面倒くせー、時間の無駄と思えばそれまで)

彼氏役となってオートバイを操縦して見えた事は、
思いやりや配慮という愛情表現で現実的に出来る事。
そこで生まれる感情と欲望。
その彼の背中を見ながら生まれる彼女の感情と欲望。

恋愛時代を終えた、私にとって今更ではあるが
クリアーに繋がって一人でスッキリした。

今日は、そんなアダムとイブの、ややこしい話し。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?