僕にも誰かを愛せるとその手を重ねて知らせて

寝つけなくて、ようやく寝たと思ったら一時間後に目がさめて、もういちど寝入ったと思ったらアラームより30分以上も前に起きてしまった。

原因はわかっている。その原因を考えるにつけ、 どうも自分は気が小さすぎる、ということに思いあたっていやになる。こんなことで、と思うし、ほかのひとが話していたらこんなことで、と思うかもしれないことで、こんなふうに眠れなくなっているのだった。はずかしくて詳細を書く気になれない。

こんな最悪の体調で夜は歓送迎会なので大変まずい。ビールは瓶なら一本まで、ジョッキは二杯まで。あとはウーロン茶。それ以上のむとあした使い物にならなくなる。まあ休んでしまってもいいんだけども。有休を19日分もあまらせたまま辞めてしまうことに昨日気がついた。もっと使いたかった。もったいなかった。それだけが現職の唯一の悔いだ。あとは特にない。築きあげてきた関係性とか、慣れてきた仕事内容だとか、そういうものに未練はまったくないのだった。

辞めると決めてそれを口に出してからのこの4ヶ月、滅茶苦茶につらかったけども、それももうようやく終わる。転職は決して万能の逃げ道ではないけれど、でもわたしはほっとしている。いまは耐えられている面倒ごとやつらさが悪化して、仕事に向かえなくなるようなおおごとになる前に、いまの苦しい現状から足を洗えることに。

自分の意思では仕事に向かえなくなるほど追い込まれた人間がどうなるかということは、そばで見てきたので鮮明に想像がつく。いちど壊れたら、人格はもう元通りにならない。元通りにならないことが必ずしも悪いわけではないことは知っているけども、壊れたものを繕うのに、とんでもなく長い時間と労力とお金がかかることも知っている。

だからずっと怖かった。壊れないようにということだけ気をつけていままで働いてきた。壊れる予感がしたら、たとえ周りから見て時期尚早でも逃げなくてはと思っていた。自分を守れるのは自分だけ、という言葉を真実のままであり続けさせるために、家族に無用な心配と金をかけさせないために。

わたしにとって家族は、どんなに憎かったりそばにいるのがつらい時期や瞬間があっても、どうしても、大切なものだった。ないがしろにはできないものだった。いまもそうなのだ。さいわい家族の構成員のなかに気の合わないひともいないので、よほどのことがない限り家族は捨てないだろう。

わたしの人生はわたしのものだし、たとえ家族であれ、ほかのひとにはわたしの人生をどうにもできないのだが、それでも大切なのだった。わたしが職を変えることを、家族は皆ごくふつうに受け入れてくれた。そのことに、自分でも思ってもみないほど救われているのだった。

あと7日でいまの仕事はおわる。なにかが変わる予感はここにきて現実のものになった。やりたい仕事があるんです。なにも決まっていなかったあの日にそう話したのはうそじゃなかった。うそにならなかった。

#日記 #エッセイ #仕事

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