意味深な言葉で核心に迫らないで

わたしはB'zファンだ。ファン歴は丸8年。
先日、B'zのいちばん好きな曲は何かを真剣に考えた。全曲リストを横に置き、手帳の自由記入欄に書き出す、というやりかたで、いちばん好きな曲を焙りだした。

それは、『BAD COMMUNICATION』だった。やるまえからたぶんそうだろうと思ってはいた。いたが、あらためて、まじめに、全曲を目の前にして考え、それでもやっぱりバッコミだ、という結論になったのだった。

なぜそんなアタリがついていたかというと、この曲はわたしが、B'zに骨抜きになったきっかけの曲だからだ。2008年、B'z20周年に行われたライブの1曲目が、この曲だった。とはいえ、わたしはそのライブに出向いていない。このライブに密着した、NHKのドキュメンタリーを観て、知ったのだ。まっちゃんのグラミー賞受賞を祝して再放送された、2011年の3月に。

地方のホールのようなところを貸し切って行われた、20周年ライブの練習風景。バッコミのイントロが流れた瞬間、目の前がばーっと赤くなった。なにこれなにこれなにこれ。テレビの前で、自分がそう口にしたことをいまもおぼえている。狂ったようにバッコミのところだけ繰り返し聴いた。かっこよかった。かっこよくてかっこよくて、どうしてもこの曲をおぼえたいと思った。このひとになりたいと願った。強く。
思えばあのころは、いちばんそういう願望が強かった。そう、あのころわたしは稲葉さんになりたかった。

不思議なのは、同じあこがれでも林檎さんになりたいとか、Coccoになりたいとか、そういうことは思わなかった。女のひとには。
わたしがなりたいと心の底から願ったのは、男のひとばかりだった。稲葉浩志、チバユウスケ、浅井健一。さいきんでは宮本浩次になりたいと思った。決して叶わないから焦がれるのだろうか。ないものねだり。確かに、達成できなくても傷つくことは少ない。性別という、ひっくり返すのにとてつもない労力と根気を要する、ほとんど根本の部分が、ちがうのだから。

話が横に逸れたが、とにかくどうしてもバッコミを覚えたいと思ったわたしは、友達からベストアルバムを借りた。それが本格的にハマるきっかけになった。オリジナルアルバムやシングルを買い漁り、歌詞カードを読みこみ、あらゆるサイトや古雑誌で自分の知らないB'zの知識や歴史を詰め込もうと躍起になった。そしてその年の12月にはドームにいた。翌年にファンクラブに入り、いまに至る。

一生好きだという保証はない、と好きになったときは思っていたが、いまは、離れられないかもしれないな、と思っている。飽きない。

ここまで心底惚れ抜いているなら、いっそB'zを好きなひとと結婚したら楽しいかもしれない。稲葉さんにはなれないし、稲葉さんや松っちゃんと添い遂げることも叶わない人生だったが、B'zを好きなひとと結婚する可能性は残っている。ただライブで熱唱系の男のひとだったらまず間違いなくSATSUGAIしてしまう。好きなものが同じというのは、むずかしい。その発露の仕方が、ひとそれぞれなだけに。

1日きっちり8時間文章を書いて、家に帰ればB'zの『僕の罪』を聴きながら小説をひたすら書き進めている。主人公とおないどしの男を登場させたら、にわかに彩りが出て楽しくなってきた。わたしは創作物としての男は大好きなのだ。偶像崇拝。あってないようなもの。あこがれのひとたちも、みんな、そう。推しも、みんな、そう。男という生き物は。軒並み。

#日記 #エッセイ #音楽 #bz #Bz

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