お気楽弁当

毎日弁当をつくっている、と言うと大抵の人が「偉いねえ」という反応を返してくれる。反射的にそう返すことになっているのだろうと思う。わたしがこどものころ、趣味が読書だと言うと大人がみんな「偉いねえ」と言ったのとおなじだ。なにが偉いのかよくわからなかったが、弁当も似たような感覚なのだった。

ひとりぐらしで弁当を詰めていればそりゃあ偉いしマメだな、と思うのだがわたしは家族と暮らしているので、朝はご飯が炊けているし昨日の晩のおかずがたいがい残っている。おまけにさいきんの冷凍食品はじつに便利で、凍ったままいれておけばお昼ごろにはちょうどよくなっている、という「自然解凍OK」なものがかなりの数ある。OKじゃないもののほうが少なくなってきている。

わたしが朝やっているのは炊けているご飯を弁当箱の下の段に詰め、上の段に昨日の残りと自然解凍OKの冷凍食品とプチトマトを詰めるくらいだ。残りのおかずはいちおうレンジで温めて冷ましてからいれてはいるが、大した労ではない。ここ半年くらいはやる気があるときしかたまごすら焼かない。

わたしが弁当をもっていくのは、単純に毎日昼に何百円か出すのがもったいないからだ。毎日は三百円でも、稼働日が二十日間なら六千円である。わたしはその何千円かを、本なり化粧品なり服なりにつかいたいので、家族の恩恵にあやかって弁当を詰めている。外食費に対してわたしはかなりしわい。わたしが弁当じゃなくなるのはそうとう疲れた日か、夜に予定があって弁当箱がじゃまな日だけだ。

こないだ子持ちで仕事をしている女性から、もう三十に届こうかという自分の子供の弁当を未だにつくっていてめんどくさい、という話をきいた。自分も持っていくからついでといえばついでだが、三人分って大変なのよ、とのことだった。へええ、と思った。つらいなら作らないでいいのになあ、と思ったのだ。高校生にそれをやるのはちょっと酷だが、三十なんてもう大人なんだから、お昼がなければ自分でお金出してなんとでもするだろう。わたしみたいにケチなら自分で作るだろう。世のお母さんは悩みながらもやってしまうのか、と思った。やらなくていいのに。もっとらくしていいのに。

つくってくれるうちが華だぞ、とわたしはその子供たちに思う。わたしはたぶんもう誰からも弁当を日常的につくってもらえることはない。わたしは自分に子供ができても、高校までしかがんばらないと思う。自分がそうだったから。
自分の弁当を詰めるのは気楽である。食の好みも知っているしそれぞれのおかずの汁の出方とかもわかっているし、それに対する対処法もわかっている。あーへんなもんいれちゃったな、とは思っても、つくった人に対して腹立ったりとかはしない。自分だから。もうこの冷食買うのやめよ、とか思いながら食べる。お気楽弁当持ちなのでした。

#日記 #エッセイ #弁当

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やこ

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