第2章 なぜみやこやをつくったのか_さけられない貧困問題は、そのうち「じぶんごと」となる


ワタシマチメソッドに向けて、第2章「なぜみやこやを作ったのか」最後のテーマです。

第2章は、みやこやを作るに至るまでという内容で、社会背景や私自身の生い立ち、今の思いなどを書き綴ってきたのですが、最後にこの「貧困問題」は外せない問題です。

私は元々地域包括ケアシステムという言葉を使わず「地域福祉」という名称で20歳の頃から色々な事に取り組んできました。その中でぶつかる「壁」というものがあります。例えば、障がいの問題、雇用の問題、男女参画、子育て、様々な事に対して取り組んでみるけど、やってもやっても解決しない感覚がずっとあります。それは何でだろう?と長年思っていました。

児童養護施設に勤務していた時期から、虐待・・・特にネグレクトと経済の問題がリンクしていることは痛感していて、活動の主軸もその辺りで行ってきました。特に当時立ち上げた団体のメイン事業は「子育てフリーペーパー」だったんですね。なぜなら、子育て情報を無料で手に取ることができれば、経済問題を抱える家庭も自由に情報を取れると思ったからです。
講演時には「児童虐待=ネグレクト=経済問題」という話をするようにしていて、何かしら虐待問題と経済問題(貧困)は繋がっているという事を訴えてきてはいたのですが、「貧困」という言葉でガッツリと取り組んだことはありませんでした。

丁度包括ケアのメイン事業である「デイサービス」を立ち上げる頃に、子ども食堂をすることになり、その流れから、湯浅誠氏(派遣村村長で有名な社会活動家)と出会い今まで感じていた「点」が一気に繋がっていく感覚を覚え衝撃を受けたのです。

湯浅誠氏「岩盤を穿つ」https://www.amazon.co.jp/%E5%B2%A9%E7%9B%A4%E3%82%92%E7%A9%BF-%E3%81%86%E3%81%8C-%E3%81%A4-%E6%B9%AF%E6%B5%85-%E8%AA%A0/dp/4163719407

この本が、私のこれまでの活動の全てを根本から考え直すきっかけになったのです。

私は初めて「貧困」という言葉に真正面から取り組む事になりました。

それから、貧困問題に没頭する数年間を過ごしました。私の活動をご存知の方はご承知の通り、「下流老人」「貧困クライシス」の藤田孝典氏に何度か来県頂き、県内の貧困の状況を見ていただきながら、私自身が感じる貧困問題について専門的な部分から助言を頂くという作業をさせていただきました。

実際、貧困問題に特化して取り組むと全く見え方が変わります。
虐待の視点から見える風景と、貧困の視点から見える風景が全く違うことに驚きました。虐待になると児童福祉と男女参画がベースになってくるのですが、貧困になると、就労支援、生活保護、社会保障などの事情が浮き彫りになってきます。
「貧困問題」に取り組むことで、各関係課の仕組みの構造や課題が見えてくるようになりました。更に一歩進んだ福祉政策が見えるようになったのもこの頃からです。

やればやるほど、衝撃の事実が見えてきました。

貧困問題は近い将来「じぶんごと」となる

これが、確信した大きな事実です。

自己責任といっている時代は終焉を迎えているんですね。

年金の問題、2000万円不足問題、子ども達のワーキングプア問題、8050(ひきこもり)問題などが高齢者の生活を脅かしている。

私の周囲にもいます。大きい会社で努めていた方が、退職をした。多額の退職金をもらったのでそれで生活できると思ったが、直ぐに底を尽いた。母親が思った以上に長生きをしてしまって、お金を食うというのです。

自分一人であればそれなりに生活ができても、子どもや家族がいたらそうはいきません。そういった全てをひっくるめて、どう生活をやりくりして行くのかがとても大事な課課となりはじめている。社会全体がそういう不安の中で生きていくことになり始めている。

大問題がもう一つあります。しっかりと社会保障費を取れるだけの、給与をもらえる人が減っているということ。非正規雇用が増えているということです。そうなると介護保険料を徴収できないというパターンになってしまいます。そうなるとどうなるでしょう?介護料が減ってしまいます。すると社会全体で介護サービス料がまかなえなくなるという深刻な状況にに陥るということです。

在宅で生活をする。施設で生活をする。ここに、「貧困」というキーワードを絡めて見ると、大変な事がやってくるイメージにつながります。どんなイメージかというと、将来自宅で孤独死が増える。尊厳死が認められる。

介護サービスは大概が1割負担です。1割負担というとどれくらいだと思いますか?
入居施設に入ると、様々な費用もかかり15万円以上の経費がかかるといわれています。

自力での生活ができなくなってくると、最低でも15万円以上は確保しないといけないということになります。

そこを捻出するのが誰なのかという話です。
貧困は社会問題になってしまうのです。他の人が貧困で大変だね。という話ではなく、個人の貧困はやがて社会の貧困へとつながり最終的に当たり前の機能がなされないという状況に陥る。

地域包括ケアシステムの大きな問題は、正に、この「貧困」「生活困窮」に対しての具体的な措置がないこと。そして、恐ろしいのは近い将来私たち自身もこの対象になりうるということ。

年金と退職金だけでは生活できない時代はもう、すぐそこだ。・・・いや、既にそうなのだ。先日2000万円不足問題の流れから「資産運用を」という話になったが、今から資産運用と言われてもできない。

そういった、当たり前のことが崩れ始めているという状況を「貧困」というキーワードから見ると、かなりリアルに体感できる。

かなり、恐怖なのです。

私が子どもの貧困対策の活動をしている目的は二つあります。

子ども達の虐待防止。

・・・そして、高齢者社会問題をいかに先延ばしにできるか。

実は、子どもの貧困問題と地域包括ケアシステムの落とし穴はとてもリンクしているのだ。

※この辺りは、ワタシマチメソッドで結構丁寧にお話しているので、興味のある方は是非ご参加下さいね。

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