メルモ

日々の小さな喜びや人生の機微に触れ感じたことを綴っていけたらなと思っています。時には赤…

メルモ

日々の小さな喜びや人生の機微に触れ感じたことを綴っていけたらなと思っています。時には赤裸々に、時には大胆に。

最近の記事

言葉には力がある

自分の言った言葉で誰か傷つく人がいるとそれは「凶器」になる 誰しも一度は経験があるのではないだろうか 自分が思ってもみなかったように捉えられ、自分の言葉で誰かが知らず知らずに傷ついていたとか 後になってわかることだから、分かった時点ではどうすることもできないのだけれど。 誰も傷つけたくないのはみんな一緒だけど、相手によっては「なぜそんな捉え方をする?」と言わんばかりに誤解をしている人もいるし、自分でもなぜそんなことを言ったのかわからなくなる場面も出てくる。 まだ、相手

    • 病気が気づかせる夫婦の形

      うちの夫は「超」男脳だ。一つのことしかできないし、あまり細かいことにこだわらない。だからこそ、冷静なのだが時折私に対して冷たいと思われるような暴言を吐いてくる。 私にとってはそれが苦痛でならなかったが、その暴言(と思っていた言葉)は実は私の痛いところ(核心)を突いてくることがわかり、少し見方が変わった時期があった。 女性で多いのは「感情」で流されること。その時の「好き」とか「嫌い」とか「やりたい」とか「やりたくない」とかその時の感情でクオリティが上がったり下がったりする。

      • 不足感は恐怖を、足るを知ると満足感が生まれる。

        欲深さは人間であるためのものなのか、目の前にあるものを手に取るとまた次のものが欲しくなる。それが人間だ。野生の動物は空腹の時だけ狩に出かけ、満腹になれば大人しく自然の中で生きている。そうして命の連鎖を保っている。 どの動物も、植物も地球上の生き物すべてにおいて、バランスがありそのバランスを保つように命が繋がっている。すなわち増えすぎると淘汰されるということだ。 それは生きているもの、生物だけじゃなく地球も同じなのではないかと思うことがある。地球を破壊しようとするものを淘汰

        • 瞑想、迷走、明窓

          時々、自分のしたことに後悔するのは誰しもがあると思うけど、私の場合過去の自分がなぜそんなことをしたのかわからず、ただただ自分を責める傾向がある。 周りを見れば「良い人」ばかりで自分はなぜその中にいて、なぜ自分は「良い人」になれないのか。 それは見る方向が違っているからだと気がついた時、視点を変えて見ることにした。客観的に自分を見ることで何かが変わると思っていた。そしてもちろん見る角度を変えれば見える景色が変わってくるので、疑問に対する答えは出るのだろう。 しかし、そこで

        言葉には力がある

          とても感じの良い人に会うと気持ちが高揚するけど、世の中はバランスが取れているんだなと思うことが多々ある。 とても良い人に会って、気分が上がって、調子に乗って落ち込むと次はそんな人に出会う。現実は自分が引き寄せてる!ならばいつも良い気分でいよう!そうすれば出会う人が変わるんだ!

          とても感じの良い人に会うと気持ちが高揚するけど、世の中はバランスが取れているんだなと思うことが多々ある。 とても良い人に会って、気分が上がって、調子に乗って落ち込むと次はそんな人に出会う。現実は自分が引き寄せてる!ならばいつも良い気分でいよう!そうすれば出会う人が変わるんだ!

          noteの書き方

          私がこのnoteを書き始めたのは「匿名」で何かを書きたかったからで、思いの丈や赤裸々な感情をぶつけたいと思ったからだ。しかしヘタレな私は感情をぶつけることすらできないでいることに気がついた。 ネットの中は無法地帯でTwitterや2チャンネルなどは匿名でバンバン言いたいことを言っている人もいる。だけど、自分にとってそれがしたかったわけじゃなく、とにかく心中を吐露したかっただけなのにそれすらできなくなっていた。勝手に誰も見ていなくても「いい子ちゃん」になりたがっていたようだ。

          noteの書き方

          ネットの中でいろんなことが言われていて、「こうすれば良い」「こうしないとダメだ」「これからはこんな時代だ」って言うことに振り回されがち。大切なのは本当に自分が納得して行動しているかって事で、振り回されていると自分を見失う。そして、それは誰かのせいになり責任転嫁が始まるんだ。

          ネットの中でいろんなことが言われていて、「こうすれば良い」「こうしないとダメだ」「これからはこんな時代だ」って言うことに振り回されがち。大切なのは本当に自分が納得して行動しているかって事で、振り回されていると自分を見失う。そして、それは誰かのせいになり責任転嫁が始まるんだ。

          ラッキーだと思われる人生にも隠れた努力がある

          めっちゃラッキー! これまで生きてきた中で何度思ったことか。数えきれない「ラッキー」に恵まれていると最近まで思っていて、周りの人から「ラッキーな人ね」と言われることも悪い気はしなかった。だが、ある時ふと気がついた。 「ラッキーな人ね」といっている人の言葉の中に「嫌味」が含まれているということに。子供みたいに素直に受け取っていた私はそれに気がついてこっぱずかしく、また自分の浅はかさに穴があったら入りたい状況にもなった。 ラッキーというニュアンスは良い意味にも使われるが、使い

          ラッキーだと思われる人生にも隠れた努力がある

          人生何に気づきどう生きるか

          毎日生きていく中で、同じことの繰り返しだとしても気づきはあるもので、同じことを繰り返していると自分では思っていても、案外全く違う結果になることもある。 一日生活をすれば、その一日に起こったことが自分の中に積み重なり自分の厚みとなり経験となる。何も起こらない日はない。誰とも出逢わない日はあっても、生きているとずっと寝ていない限り、何かが目に入ってくる。何かが聞こえてくる。感覚は視覚や聴覚よりももっと多くのものを感じている。 現実を直視していた時期は自分の目に見えるもの、耳に

          人生何に気づきどう生きるか

          昔の男へ

          本当に突然に、昔の男から連絡が来た。 思い出すのは彼と過ごした日々だが、あの頃は何故か2人でお日様の下を歩くことはなかった。 付き合い始めた頃はそれをあまり考えていなかったが、そうなればなるほど不思議なくらい盛り上がるもので。 いつしか、密かに会うことがお互いの気持ちを昂らせていき、まともに恋愛することができなくなっていた。 今我に帰ると、なんであんな恋愛していたのか、そもそもあれは恋愛だったのか? 私が知らないだけで、相手には家庭があったのか?などと想像を巡らせていた。

          昔の男へ

          決してメンタルが強いわけじゃない その場を和ませるという、子供の頃からの癖が出てるだけだ。 もうやめよ、こんな生活。自分がすり減っていくだけの生活はもういらない。 誰かを楽しませるのではなく、自分を楽しませよう。 考えてみれば酷い言葉を投げつける相手も、もしかすると弱い人間かも。

          決してメンタルが強いわけじゃない その場を和ませるという、子供の頃からの癖が出てるだけだ。 もうやめよ、こんな生活。自分がすり減っていくだけの生活はもういらない。 誰かを楽しませるのではなく、自分を楽しませよう。 考えてみれば酷い言葉を投げつける相手も、もしかすると弱い人間かも。

          変わりゆく自分の役目

          会社でもある程度の年代になると次の世代へ向けてのサポートが必要になってくる。自分がやる方が早いとわかっていても、自分の技を若い世代に継承していくことを優先させなくてはいけない時もある。 どの年代でも、それは起こっている。例えば毎年新卒を迎える会社だと新人で入った次の年には自分は先輩になり、新人に教えることも仕事の一つにもなる。 そんなことを繰り返しながら人と人はつながっていくのだなと思うのだが、それは会社だけでなく家庭の中でもあり、社会全体でもある。例えば家庭の中だと親は

          変わりゆく自分の役目

          忘れない日々〜本当に忘れてしまうのか

          どうやら私は少し心が病んでしまったのかもしれない。覚えてないことを「忘れた」と思い、それは病気だからだということに結論づける。冷静に考えれば違和感があることに気がつくはずだ。 もしかして「覚えていない」は事実として最初から存在しなかったとしたら「忘れた」ことにはならないからだ。だが私は全てにおいて「忘れてしまった」と感知していた。少しだけ違和感があったにもかかわらず強引に真実でないことを作り上げようとしていた。 なぜそうなってしまったのか。それはたくさん張り巡らされた「伏

          忘れない日々〜本当に忘れてしまうのか

          忘れない日々〜お酒と寂しさ

          忘れたくないものを書き留めることにしたのだが、それはなぜか? 実は私には不安がある。それは私の母の認知症にあった。 母娘なら遺伝もありうるのだが、実際に症状が出ているのかと言われるとまだ顕著に現れては居ないはず。(まずは本人が気がつくと思う)だが、本人が不安になる要素はなんとなく忍び寄っていると思う。そして母も、そんな不安を抱えながら過ごして居たのかと思うと胸が苦しくなるのだ。 単なる物忘れならそれで良い。それで終わるのなら、それに越したことはない。だけど、一人の胸に収め

          忘れない日々〜お酒と寂しさ

          忘れない日々

          人生の中で、忘れたくないことをここに残しておこうと思う。これは私の未来への希望。そして生きる力になるはずだ。忘れない、忘れたくない、でもどうしようもない日々にフックをかけるために。 私の母は「認知症」だった。亡くなったのはそれが原因ではなかったが、認知症を患った母の面倒を見ることが困難になり、グループホームへ入所してすぐに、亡くなった。忘れたくないのに忘れていく。そんな日々を過ごした母はどんな思いでこの世を去ったのだろう……。 それを思うと胸が苦しくなるのだが、母が生前に

          忘れない日々

          最低だと言われても残したかった

          備忘録として残しておこうと思う。 7年前にブログを始め、なんとなく自分の発信することに気がついてくれる人がいて、それを「自分の評価」として頑張ってきた。ブログ塾なんかにも行って、学び自分の文章がどこまで通用するかなんてことも考えていた。 でも、やってみても読者登録も「いいね」もそんなに伸びず、PVの数に一喜一憂し「人の評価」に踊らされてきた。 もちろん、評価してもらえることはありがたいし、自分の発信をわかってもらえることは嬉しい。でもそれは自己満足にしかなっていなくて、

          最低だと言われても残したかった