朝の憂鬱……からの脱出!
ジャッジされることの憂鬱と言ったら……。
何もかも、基準がないと始まらないのはわかっているが
何もかもに基準を設けると、結構きつい。
それは、自分があまりにも自由になりすぎているからで
少しずつ変えていけば良いと思うのだ。
でも、変化の途中には行き詰まることもあるし
急に走り出すこともある。
人それぞれ、ペースがあると思う
だが、それを人にコントロールされてはいけないのだ。
人がなんと言おうと
いや、人の言葉がわかりすぎるからこそ
そこで止まる勇気が必要になるのだ。
目の前にいる人が言ったことで
何かを感じ取ると言うのは、その人の感覚であり
「言って欲しいこと」
それもコントロールだ。
例えば、自分ですなおに「こうして欲しい」言えばいいものを
それをこっちから言わせるように話を持って行く
それはコントロール以外の何物でもない
それがわかるからこそ、時々自分が嫌になる
人の気持ちがわかるのも良いが
あまり深入りしすぎると痛い目に合うよ
そう耳元で言われたような気がした。
誰かの言葉に一喜一憂することなく
自分のペースで走って生きたいと思う。
これで最後にしよう
って前回のnoteでも言った気がするw
うむ、あれから何時間も経っていない
朝を迎え、それが強化されただけだった。
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