平等と平均は違う
人の目を気にしながら生きてきてようやく自由になりました。
そのことを実感させる出来事がありました。
誰かのことを思う時、その人を特別に思うと他の人に悪いと思う。
それは「平等」の履き違えかと。
平等にしたいと思う時、何もかも同じにしないといけないと思いますか?
大事にしたい人を大事にして、そうでない人はそれなりにする。
大事じゃない人をないがしろにするのではなく、大事な人を大事にしたいだけなのに、平等に大事にしないといけないという思いが湧いてくる。
それは平等の履き違えです。
日本の教育は「平等」を「平均」にしていると思います。
平均はどんな人も、そんな状況でも同じようにすること。
皆と同じでないといけない
その思いが、親は子供に「枠の中に入りなさい」という教育を強いてきたように思うし
そうやって育った子供は自分ができないことに関して、違和感を感じることに関して蓋をしてきた。
それは世代が変わっても同じで、伝承されてきました。
良いこと伝承すれば良かったのに……。←独り言
本当の平等は一人一人の個性にあった環境で同じ目線に立てるようにすること。
相手ファーストだと思うのです。
だけど、残念ながら昭和の教育は枠の中に入れてしまえば良いという
「平均」が良いという教育だったように思います。
皆がこぞって良い大学へ行き、良い会社へ入り終身雇用制を約束され
サラリーマン人生を終える頃
ふと何かに気づいた人は第二の人生を歩き始める。
今は、すでに気づいている人も多いとおもますが、自分で自分の人生を始められる。
いつからでも始められる。
そして自分の個性を活かすこともとても大切なことだと。
それに気がついた大人が子供達の未来を心配しているのです。
私もその一人
平等と平均を考え、オリジナルな人生を送ってほしい。
そして自分達もまだまだこの先長い人生を後悔することなく生きて行きたい。
そう思ったのでした。
ふと湧いてきた思いを書き綴っています。
教育関係の方、頑張っているのに報われない方もいると思います。
だけど、現場で苦しむ子供達もいる。
両方の思いが、誠実な思いが実る方向へ行く社会を一人一人が考えていかないといけないのかなと
普通に生きる私が思ったのでした。
私に何ができるか、考えてみます。
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