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麻実れい 芸能生活50周年記念コンサート 三重奏

麻実れい芸能生活50周年記念コンサート 「三重奏~Rei Asami Trio~」
構成・演出 広渡 勲
北島直樹(Piano) <特別出演>寺井尚子(Violin)

エレガントとは

ターコさんの50周年記念コンサートに行ってきました。
会場は銀座ヤマハホール。ビル正面のガラス壁面には「おかえり、おんがく。」という大きな文字。延期になっていたコンサートが、無事に開催できてよかった。ホールに入ると、ソーシャルディスタンシング仕様の入場者数になっていたのがせつなかったけれど。見たかった人、来られなかった人、たくさんいらっしゃるだろうに。

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オープニングは、ピアノの演奏が始まり、そこにターコさんの深くて低い声だけが聞こえてくるという演出。姿は見えないけれど、客席はもう、完全に麻実れいの世界に引きずり込まれている。魔力。

そして、登場したターコさん。ソバージュにした長い髪をたらし、ノースリーブのテーラードジャケットとパンツ。色はもちろん黒だ。

わるーいパリジャンみたいな感じで、だらしなさそうに登場し、けだるい感じでわるーいシャンソンの語り歌を数曲歌う。

舞台を歩き回っては、座り込んでみたり、上の方(二階席ですね)を見渡したり、跳ねてみたり、キザなポーズをしてみたり、いたずらっぽい笑顔をしてみたり…、まったくどんなことをしてもサマになる。

わたしも含め、客席にいる全員が、ターコさんと何度も目が合っていたと思う。なんなんだろうね、誰もがぎゅうっとつかまれてしまう、あの魔的な力。森茉莉さんに見てもらって、いまのターコさんのことを書いてもらいたいと思う。

古きよき時代の宝塚スタアらしさ? 昭和の大スターの雰囲気? 大女優の風格? ターコさんはそういうものだって持っているけれど、それだけでは足りないと感じてしまうのは、ターコさんの美しさや存在感が、何かを加え、盛り立てられてつくられたものではないからだ。

ターコさんはいつだって、ありのままでそこにいるだけ。なのに、女性とか男性とかタカラヅカとか男役とか女優とか、あらゆる属性を超越した存在であり続けて50周年! 類まれなる姿があり、その姿に溺れることなく精進してきてのことなのだろうけれど、いや、そんな簡単に説明できるようなことじゃないと思うけれど、エレガントってこういうことをいうのかもしれない。

あらがえない

歌の合間のおしゃべりも、もちろん麻実れいの世界。
舞台下手には、北島直樹さんが弾くピアノが置かれ、上手はヴァイオリンの寺井尚子さんのスペース。中央に花が飾られ、ソファーやシンプルな椅子が置かれている。「ターコさんの秘密のお屋敷に招かれたわたしたち」といった風情。そこでターコさんは、よく知った人と、ごく普通の世間話をするように、でも、親密で秘密めいた雰囲気で話すのだ(密がふたつ。でも、まさにそんな感じなのだ)。

「宝塚ってイヤなところでね…」
ターコさんがゆったりと話し始める。何を言うのかと思えば、「入団してからも試験があるんですよ」と言う。

試験も、大きな役をすることも、面倒くさくてしょうがないターコさん。悪いことするのが大好きだった音楽学校時代、下級生時代の「悪いこと」をした話はずっと聴いていたくなるほど面白い。

修学旅行に行くのがイヤで、ボイコットして東京に行き、見つかってしまって、銀座の凮月堂でいっしょに来た子と相談して、しょうがなくムラに帰ったなんて、バンカラ過ぎる。「入学したときは成績が1番で、卒業したときはビリだった」って本当だろうか。あまりに光り輝いていて1番にするしかなかったってことですよね?

新人公演で主役をすることになっても、嫌でたまらなかったとか、白塗りをして休憩時間にみんなで大笑いをしているので、お化粧がぽろっとはがれ落ちてしまったとか、舞台のことを教えてくれた上級生が春日野八千代さんと天津乙女さんだったとか。

そんな面白い話をいくつも、あの声で、いつものように淡々とエレガントに話すのだ。

舞台や歌ももちろんだけれど、あのゆったりとしたおしゃべりにうっとりしない人なんていないだろう。そして、ターコさんはそのことをよく知っていて、「ここにいるのは私のことを大好きなおともだちばかりだから、何も気にすることないわよね」とでもいうように自由気ままにふるまう。いや、どこであっても、誰であっても、そうなのかもしれない。無意識かもしれないけど、とてつもなくエレガントな媚態をする。ターコさん。なんて悪い人なの。でも、誰もあらがうことはできない。

ターコさんが演ずる人でよかった。わるーい人だけど、ターコさんが本当の悪人だったら世界は大変なことになってしまうし、ジゴロか何かが女性から何かを抜き取っていくようなことは絶対にしない(あたりまえ)。後には幸せな気持ちだけが残るだけだ。

100周年に会いましょう

用意された曲、どれもがすばらしかった。

シャンソン数曲を歌い、ゲストのジャズのヴァイオリニスト、寺井尚子さんに舞台を託した後は、柔らかいシルエットの黒燕尾にローズ色の羽根をまとって登場。シンプルだからこそ、ゴージャスさが際立つ。前半はシャンソンの名曲。そして、「大好きな宝塚の先輩」の越路吹雪さんが愛した曲を歌ってくれた。

「ラストダンスを私に」は、ソファに身をまかせて脚を組み、足先で行儀悪くリズムを取ったりしているのが、最高にすてきだった。

ピアノの北島さん、寺井さんのヴァイオリン、そしてターコさんが歌う「三重唱」で「愛の讃歌」。演奏も歌も素晴らしかった。ヤマハホールは本当に音がよくて、ピアノとヴァイオリンとターコさんの声が、すうっと体にしみ込んでいくのがわかる。

寺井さんが再びヴァイオリン(ターコさんも大好きだというプッチーニの歌劇『トゥーランドット』から「誰も寝てはならぬ」)を演奏した後は、タイトなシャンパンゴールドのロングドレスで登場。袖がシースルーで、袖口から手の甲までが繊細なレース。ナチュラルなメイクなのに、衣装にちっとも負けていない。白いバラの花束を持って現れ、舞台の中央に置いて、宝塚の思い出の歌の数々を歌ってくれました。

最初は『ベルサイユのばら』から「心のひとオスカル」。続いて『風と共に去りぬ』から「さよならは夕映えの中に」。『うたかたの恋』。『はばたけ黄金の翼よ』と続いた。

歌の前に、アンドレ、レット・バトラー、ルドルフのセリフが入るのだけど、それが、タカラヅカ調ではなく、今のターコさんのお芝居で、こんなふうにもできるのだと驚いた。本当にすてきだった。

そういえば、最近の宝塚のお芝居では、セリフの後に歌っていうパターンがあまりないなあ。あれが好きなんだけどなあ。

歌の後には、一曲ずつ思い出を語ってくれた。

宝塚の『うたかたの恋』が誕生したのは、映画を見たターコさんが、やってみたいと言ったのがきっかけだったとか。

『風と共に去りぬ』のことは、タカラヅカの男役ではぎりぎりのお芝居で、レット・バトラーが一番やりがいがあったと。新人公演の舞台稽古を客席で観ているときに、振付家か演出助手の方だったかが、レットのことを「こわい」と言ったとか。ターコさんも「こわい」と思ったと。ターコさんは「風共」ではなく「風」とおっしゃっていた。それがなぜかとてもすてきだった(すてきとしか言ってませんね)。

『はばたけ黄金の翼よ』を歌ってくれたのは、去年、雪組が全国ツアーで再演(望海風斗さん主演)したからだろうか。「はばたけ」と「パオラの祈り」を歌ってくれた。歌い終わって、「パオラを聴けるとは思わなかったでしょ?」とひと言。うわああああ。レアなんだ。ファンの皆さま、うれしかっただろうなあ。ターコさんの「パオラの祈り」。確かYou Tubeにあがっていたと思うので、ぜひ検索してみてください。

ラストソングは「愛の旅立ち」。

歌い終え(歌う前だったかもしれません)、本当は45周年のコンサートで終わりにするつもりだったけど、つい「次は50周年で」と言ってしまって実現したのだと明かしてくれた。

そうだったんだ。45周年のコンサートも、やっぱりこのヤマハホールで見ていて、5年後の約束をとても楽しみにしていたけれど、ターコさんを現役時代から応援している方にとっては、特別な5年間だったかもしれないと思う。

コンサートのスタッフが、退団後に初めてリサイタルをしたときからずっと変わらないというのにも驚く。ターコさんだからそんなこともできたんだと思うけれど、出会った人との関係を大切にする方なのだろうな。

ターコさんは、「自分といっしょに歳をとっているのだから」と、ファンの方がもう出かけるのも大変なのじゃないかと気づかいながら、「幸いなことに、この道はまだ続いているようなので」私もがんばる、皆さんも元気でいましょう、「100周年もやりましょう」と。

ターコさんの口から出た次の約束は、5年後の55周年ではなく「100周年」。それって、天国で会いましょうという約束ってこと? 『うたかたの恋』みたいに?

カーテンコールの最後、いらした方みんなに手を振って、投げキッスもたくさんして、ターコさんは舞台を後にした。舞台に置いた白ばらの花束を手にして。

私は残念なことに、現役時代のターコさんの舞台は見たことがない。いらっしゃっていた方は、ずっと見ていらっしゃっている人も多いのだろう。ターコさんとファンとのつながりが、宝塚を退団してなお、途切れることなく続いているって本当にすごいと思った。胸が熱くなった。

帰ってからしばらくしても感動は消えなくて、「すみれの花咲く頃」という舞台実況アンソロジーCDに「さよなら公演 舞台あいさつ集」があったことを思い出して聴いてみた。

昭和60年4月30日。宝塚大劇場でのさよなら公演のターコさんのあいさつはこんなふうだった。

《皆さまのおかげで、無事、千穐楽を迎えることができました。ありがとうございました。宝塚を知り、そして、皆さまと出会え、とても感謝しています。すてきな思い出を、ありがとう!》

ターコさんらしい、飾りのないあいさつだった。声やなんかは変わっても、全然変わらない。

ところで、舞台に置いた白ばらの花束。あれはどういう意味だったんだろう。花束を置いて、コンサートを封印するつもりだった。その封印を解いたということ? というのは考えすぎだろうか。

100周年は100周年として。その前にもまた、コンサートが実現しますように。ささやかながらリクエストをするつもりでここに書いておきます。

芸能生活50周年 おめでとうございます。


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