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私はいかにしてサウナにハマったか

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 サウナが好きです。ここ1年くらいかなり足しげく通っている。最近では毎週金曜日にサウナに行くのが半ばルーティンワークのようになっている。ミッドウィークにちょっとイヤなことがあっても、「まあ、金曜サウナ入るし。そん時に汗と一緒の”水に流したる”ワ」みたいな気持ちになる。中でもおすすめの入り方が、「交互浴」である。

・サウナor熱湯にじっくり浸かり汗を流す
・水風呂に入りキンキンに冷やす
・水風呂を出てクールダウン
・以上を3~6回ほど繰り返す

 これをやると個人的な実感だが、ひどかった肩や腰の凝りもかなり軽減されたし、偏頭痛もかなり減った。翌日ぐっすり眠れるなど(かなり深く寝てしまうので、寝坊しても良いように週末に行くのだ)効果を感じている(筆者注:効果には個人差があります。また心臓等に負担のかかる入浴方法なので実践するときは気を付けてください)。とにかく「健康」を実感できるのが楽しい。そして「健康を楽しむ」という10代のころには無かった娯楽を享受しているところに、「俺もオトナになった!」的な成長を感じる。もっとも「じーさんくさくなった」のかもしれないが…。

 しかしなぜサウナは楽しいのか。『テルマエ・ロマエ』にもあったように、風呂というエンターテインメントが古代から存在するのか、すこし考えてみる。一つにはハダカになる、ということがあげられると思う。公共の場所でハダカになることは基本的にツヨシくんを含め許されないことだが、風呂ではOKである。見ず知らずの人間と多数顔を会わせているのにハダカOKというのはなかなか異質、非日常の空間である。そして太ってる人、痩せている人、筋肉質の人、お肌つやつやの人、胸毛ボーボーの人、と一概にハダカと言ってもこの世に一つとして同じハダカは無いと、一緒に湯船に浸かってるとぼんやり思う(もちろんジロジロ見たりはしないですよ。これはマナーです)。人間の原始的な光景が広がっている空間というのが、「風呂という娯楽」の根幹にあると思う。

 そして「原始的」といえば、風呂やサウナに身を投じている際は「それしか出来ない」ということである。当たり前のことだが、このデジタルデバイスが進化を遂げた昨今、iphoneでtwitter見つつ、ウォークマンで音楽を聴きつつ、テレビで録画したバラエティーを流しつつ、パソコンで文章を打つ、なんてことも出来てしまう「ながら」社会だ。便利と言えば便利だし、それを手放そうとは全く思わないけれど、時折その余裕の無さに少々疲れることはまあまあある。そんななかサウナは基本的に”持ち込み禁止”である。じっくり体を休めることに集中できる。ゆっくりとハダカで汗を流してると、なんだか忙しい現代社会から切り離された空間に踏み入れているような雰囲気になる。

 そうしていると、結構文章や小説のアイデアも浮かんでくる。じっくり考え事をするのにサウナはもってこいの場所なのだ。そして「サウナそのものの事も文章にしちゃえ」と思いついて書いたのが、この記事です。

#エッセイ #サウナ  

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