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失礼な発言の上手なかわし方と「空気」

(初出:旧ブログ19/5/27)

この1年ほど、テレビで失礼な発言を上手にかわす例をよく目にする。例えば、

・ザギトワに「どういった男性がタイプですか?」→「あまり良い質問とは言えないわ」
・松本人志が『ワイドナショー』で指原莉乃にセクハラ発言→Twitterで「松本さんが干されますように」
・大坂なおみに「対戦相手について日本語で感想を聞かせてくれませんか?」→「英語で答えます」

こうした「上手いかわし方」には賞賛の声が挙がるのは当然だと思うのだが、ちょっと不安に思うことがある。こうした気の利いた対応をするが、「当然」だという風潮になってしまわないかである。彼女達はひとつのジャンルで頂点を極めた女性たちであって、間違いなく「一般人」ではない。アイドルやアスリートの中でも一流、言ってみれば「超一流の人」の対応である。これを当たり前だと思うのは一般人に「ボルトのように走れ」と言うようなものである。

コミュニケーションの本を読んでいて驚いたことがあった。「もしセクハラを受けたら」、というシチュエーションの対応策が「ユーモアを持って返そう」だったのだ。例として

・「バストはいくつなの?」→「2つです」
・「太った?」→「幸せ太りです」

という回答が載っていたが、そんなウィットの効いた答え、指原のような才能のある芸能人ならいざ知らず、一般人がスッと出来るのか?しかも「こうした答えをすれば、場の空気を悪くしないで済む」と書いてあってさらに驚いた。なんでセクハラされた「被害者」が気をつかわなきゃいけないのだろうか?悪いのは明らかにバストサイズなんか尋ねたほうである。そうした無遠慮な発言に傷付いているにもかかわらず、さらに傷付いた側が工夫した返答をしなきゃいけないなんておかしい。

コミュニケーションの本なら「もし、不用意な発言をしてしまったら」を書くべきではないだろうか。もちろん失礼な質問や発言を「しない」のが一番だと思うが、人間どうしても間違いはある。その時は「ちゃんと誠意を持って謝る」ことだと思う。どうも最近失言の揚げ足をとる事ばかりに気を取られて、謝ったかどうかが二の次になっているような気がする。「謝って済む問題か」どうかという問題はあると思うけど、それは当事者が決めることで、周りが決めることではない。

最後にそもそも論になるが、「空気を読む」ということが、当たり前になるのはおかしなことだと考えている。あれはテレビが産んだ言葉だと思うのだが、「収録の進行に合わせろ」や「番組内容に沿った発言をしろ」、「司会者の進行を妨げるな」という様々に微妙なニュアンスを含んでいる上、テレビに出れる高いトークスキルを持った人が使っている高度な技術の言葉だ。一般人に同じことを求めるのはこれも、「ボルトのように走れ」と同じことだと思うのだけど。

#空気

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