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ネズミであり妖精であり星人であり龍(?)であり:木村元彦「誇り-ドラガン・ストイコビッチの軌跡-」

 昨年のW杯前ちょっと残念というか、やりきれない思いになったことがある。某サッカーサイトで「もし今、旧ユーゴ代表があったらどんなメンバー」かという企画があった。モドリッチをはじめそうそうたるメンバーが並んでいた。クロアチア代表だけであれだけ強いのだから、優勝できるかもしれない。しかし監督を見て心躍る妄想から、がくっと現実に引き戻されてしまった。「監督:ダヴィド・ハリルホジッチ」。確かにボスニア・ヘルツェゴヴィナ出身だし…、フリーの立場だったけど…う~ん。


 とにかく日本サッカーはハリル以前から、旧ユーゴ圏と深いつながりを持っていた。そしてそのきっかけを作ったのは間違いなくピクシーこと、ドラガン・ストイコビッチだ。欧州サッカーで栄華を極めた彼が、産声を上げたばかりのJリーグの名古屋に来てくれたおかげで今があるといっていいだろう。
 
 『オシムの言葉~フィールドの向こうに人生が見える~』の木村元彦の筆で語られるピクシー伝説はドラガン少年がサッカーと同じくらい好きだったアニメから始まる。『トムとジェリー』を製作したハンナ・バーベラ社のアニメ『ピクシー・アンド・ディクシー』というネズミのアニメからPixieというあだ名になる。青いネクタイのネズミから着想を得たあだ名の少年は、いつしか彼の優雅で圧倒的なプレーから妖精を意味するPixyに変貌していく。(ちなみに『ピクシー・アンド・ディクシー』の邦題は『チュースケとチュータ』。ストイコビッチは”チュータ”と呼ばれていたかもしれない…)レッドスターに移籍してからもその勢いは衰えず、クラブで10年に1人だけ選ばれる”星人”という称号に在籍3年目かつ24歳の若さで受賞する。しかしピクシーは選手として油が乗り始めるここから苦難がはじまる。

 マルセイユに移籍するとケガに苦しみ、クラブが八百長をして2部降格処分を受ける。時を前後して代表でもクロアチアがユーゴスラビアから独立してチームメイトと別れ、出場を決めていたユーロ92も国連の制裁決議により出場停止を言い渡される。名古屋に移籍してからもクラブやリーグの意識の低さにストレスを抱え退場を繰り返す。しかし辛抱強くプレーし、反対に政治の発言は「スポーツとは別物と」徹底して口を閉ざした。新ユーゴ代表には遠征費すら出ない状況だが、母国の「誇り」ために自費で参加した。

 正直言えば自分もこの本を読むまで誤解していた。第三章のトビラである主審からイエローをもぎ取り、突き返す写真に代表されるような、あるいはタッチラインを割ったボールを革靴でゴールするような(アレは本当に衝撃的だった)、エキセントリックさを含めて「ピクシー」なのだとばかり思っていた。しかしこの本を読めばわかるが本当のピクシーは、納豆まで口にするほど日本文化に溶け込もうとした、たおやかな紳士だ。ユーゴスラビアと日本で頂点に輝いた彼の半生を知れる一冊である。


●気になった言葉
 壁には旧ユーゴ代表時代の選手集合写真がかかっていた。
 その中で、チームメイトと肩を組む自分の顔だけがなかった。銃で撃ち抜かれていたのである。(p98)

 この本には様々なショッキングな出来事が書き起こされているが、中でも世界最高のプレースキッカーである、ミハイロビッチの惨事に目が止まった。クロアチア共和国内ながらセルビア人が4割を占めていた故郷の街は銃撃戦の舞台になった。ASローマに所属していたミハイロビッチは停戦になると慌てて生家に戻ると、悲劇が待っていた。改めて平和にサッカーが観戦できる環境に感謝しなくてはいけないと思った。

 「ファーストネームはドラガンだが、サポーターにはドラゴンと呼んで欲しい」(p106)
 名古屋移籍直後の発言、野球をほとんど知らないピクシーだったが、名古屋という土地に合わせてこうアピールしたという。そういえば監督になったとき「ミスター」って呼んでほしいって言ってたけど、こっちも定着しなかったね。

#サッカー #ノンフィクション #木村元彦

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