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映画鑑賞メモ:『ジョーカー』(2019)

見てきました。好き嫌い、いい悪い、上手い拙いの評価は一旦おいといて、ともかく今年の映画の”顔になる”作品なのは確かでしょう。年に1つか2つ、そういう映画が出てくる。そういう映画。

きれいな画がたくさんあって眼福。
とくにジョーカーがある一線を越えて精神的超人と化してからはコミックが元であることへの義理を立てた画作りがあって、けっしてリアリティを上げっぱなしに耽溺した実写化ではないと思う。
その意味で、一部メディアの記事で「アメコミの枠を越えててすごい」みたいな形容してるのはなんか違うかなと。そもそもアメコミの枠(あまりに射程が広すぎる言葉だ)ってのはむしろこういうことを何度も試みてきたはずだしね。

俳優の顔がいいのを堪能できる映画はたくさんあるけど『ジョーカー』の場合は俳優の顔面の筋肉がいいという体験できて楽しかった。ホアキンの顔がアップになるたびニコニコしちゃったよ。

社会的・政治的にうんぬんは二の次で、あくまで個人の気分についての映画だった。その線で言えば解放的ですがすがしいハッピーエンドではあるでしょう。『天気の子』ならぬ狂気の子。東京は水に沈みゴッサムは炎に踊る。めでたしめでたし。

なお、これの出来を引き合いに邦画や国内フィクションをくさす評を見かけたけど、そんなこと言う必要はまったくないとは思う。例えばだけど『少女椿』~『無垢の祈り』~『ミスミソウ』~『バカヤロー! 私、怒ってます』あたりでグラデーションを敷いてその合間のどこかに『ジョーカー』を収めることできるでしょ、みたいな。

また、この映画を見て「誰でもジョーカーになりうる」なんて考えるのは、生活のすべてを筋トレに捧げれば誰でも世界トップクラスのボディビルダーになれるかもというくらいには、いやまあ確率はゼロじゃないだろうけども……って感じ。

大半がなれるのは道化の恰好して暴動の中で物盗りするヤカラまでだよね。ジョーカーに笑い飛ばされるほう。
凡百はジョーカーにはなれない。だけど路地裏でバットマンをこの世に生み出す悪夢の引き金を引く役割はあてがってもらえる。そここそが観客にとっての救いではある。ジョー・チルに乾杯。

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