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敷居の高い店で高級料理を食べるのも美味しいけれど、町中華のオムライスも美味しいし、自分で釣った魚を塩焼きにして食べるのも美味しい。

流行りの洋服に身を包んで(なんならそれがレアでハイブランドで)、オマケに髪を染めてみたりするのもお洒落だけど、有名無名関わらず自分の気に入った衣服を髪色とともに経年変化させていくのもお洒落だろう。

持ち家か賃貸か一軒家かマンションか、間取りは広さは家賃は駅から徒歩何分…そんなスペック条件も住まいのバロメーターだけど、例えば誰と住むのか、どんな公園のある町なのかだって大事だろう。

お金があれば上位のものを得られる可能性が高まる。
でも“上位”には“より上位”があって“最上位”まで果てがない。
それを追い求める感情がやる気や原動力に繋がるケースだってあるのも知ってる。

そう、よく知ってる。
なぜなら自分がそうだったから。

「年収は高いほうが良い」と教えられた20代前半。それを実現するためには目に見えた職をと願った30代。

そこかしこに年収◯円以上、ハイクラス、エグゼクティブ何某求人やスカウトが溢れているから、世間的にもきっとそうなんだろう。

でも、良い感じの公園や緑道のある郊外に住んで、おまけに近所の町中華が美味くて(自炊も好きだし)、もう十分過ぎるほど服や靴を持っていて、そして何より良き隣人(妻やむぎ、親、友人、仕事相手)に囲まれて……。ってなると、何を求めればいいんだろう。

強がりでも僻みでもなく(そういうの食べたことも、着たことも、借りたこともあるし)。

今までの自分がくそすぎて、この先の景色が見えない。
これまではわかりやすく結果的なものが物質性だっただけで…でも今後は「何ために」というような精神性を模索してみたいとある人たちを見て想う(憧れる)。

キレイ事かもしれないし、お金もあればあるでいいんだろうけど、ほどほどというか。「何のために働くのか」という矜持をどう持つか。

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