見出し画像

忘れえぬ作品-クロード・モネの作品群

忘れられない作品というのは多くあるけれど、もっとも長い付き合いの作品といえば、クロード・モネの作品群かもしれない。
中学生の頃、私は美術部にいて、好きな作品を模写するという課題に、モネの「キャピュシーヌ大通り」(だったと思う)を選んだ。ぼんやりしたタッチの、穏やかに落ち着いた風景が気に入ったのだろう。仲の良い友人はダリを選んでいて、さすがだなと思った記憶がある。
モネは家族も多く、こんな風に生活を大事にして生きてゆきたいという思いがあり、ある種人生の指針でもあったような気がする。

就職して二年目の秋、妹と美術館巡りを目的にパリを訪れた。当時できたばかりのオランジュリー美術館で、モネが生涯手放すことはなかったという、卵型の壁一面に展示された、睡蓮を見た。色彩が柔らかくあたたかく、睡蓮がまるで生きているように見えた。旅行や仕事で疲れていたのかもしれないけれど、ぼうっと睡蓮を眺めていると、その絵のなかに入り込んでゆき、そして風景が動きだすように思えた。モネはこれが描きたかったのか、と思った。だいぶ長い時間を、睡蓮の前で過ごしたように思う。私も一生をかけて何かに取り組みたいという思いを持たせてくれた作品のひとつである。当時、まだ詩は書き始めていなかった。

時は経ち、今私の部屋には「印象・日の出」の複製がある。時々その前でぼうっとする。未完成とも思われるタッチの荒い画の中で、明るいオレンジ色の太陽が意志の象徴のように燃えている。これを印象・日の出、と言いきったモネの気持ちを思う。

印象派に惹かれるのは環境や時代や、様々な理由があるのだろう。しかし、クロード・モネの作品に出会えたことは、私にとって間違いなく幸福である。一生をかけて出会い、また再会し、教えられ、支えてくれる作品群と人物である。

反射熱第12号寄稿

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?