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『どついたるねんライブ』

「泣ける○○」の映画とか本とかに、良いイメージ持ってません。「皆、そんなに泣きたいのかな?」って思います。人前でなるべく泣きたくない。

『どついたるねんライブ』が「泣けるAV」といわれた時も、やだなって思いました。実際は初めて見た時から泣いたけど。

最初は、ノートPCの小さな画面でちょっと泣きました。先日初めてスクリーンで見て、75分間のうち60分くらい泣き続けました。でも、泣けるかどうかなんてどっちでもいいんです。

撮影してる人、ライブをしてる人、セックスしてる人、その場にいた人、全く意図していなかったであろう「音楽」と「セックス」のリンクっぷりが自分の中で止まらず、私はただただ泣き続けてしまったのでした。それぞれがそれぞれの仕事を全うしようとしているだけの空間。それがこんなに切なくてたまらないものになるとは。

どついたるねんが歌う「届かないもの」「死ぬほど欲しいもの」「でも手に入らないもの」に向けて腕を伸ばす屈託のない明るさと切なさが、額に汗で髪を貼りつかせてセックスに向かう2人の姿に重なって、私の涙腺は完全にバカになってしまいました。自分で引くほど泣きました。終わって客電がつく瞬間の恥ずかしさ。「ボロボロー!」なのは「精神」以外に、顔です顔。

『どついたるねんライブ』が世に出る前、ツイッターで質問してる人を見かけました。「作品の方向性が分からない。意図は?」と問われた梁井監督は「AV撮影とライブ撮影を同時にやったら、どうなるか?です」って答えてました。え、そんだけ? 主旨とか狙いとか、ないんだ! とちょっとビックリしたんですが、なるほど、こうなったわけなんだ。

だから、これはAVでもライブフィルムでもなく「記録」なんだな、ドキュメンタリーなんだなと思います。非日常の狂乱の世界から静かにそれぞれの日常へと続く道に戻してくれる通路も、しっかり用意されている。イイ印象がなかったどついたるねんも大好きになりました。うれしい。ありがとう。ライブに行きたい。

『劇場版 どついたるねんライブ』、あちこちで上映があるようです。スクリーンで見た方が絶対良いと思います。どうぞ大きな画面で、大きな音で。

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