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『モッシュピット~プロローグ』

岩淵弘樹監督『モッシュピット(仮)~プロローグ』という音楽ドキュメンタリーを見ました。

音楽の話は難しい。音楽そのものはシンプルなのに、好きなバンドやミュージシャンの話をするのは難しい。自分も音楽に蹴っ飛ばされたり抱き締められたりしながら何とかここまで来た感じで、音楽は大切なものです。頼ってたり信じてたり絶対的だったり、宗教に近い部分すらあると思う。宗教の違いは戦争も引き起こすようなことですね。

本来好きなものなんて自分勝手でいいはずなのに、音楽ってセンスが問われるみたいなとこがある。初対面で「○○が好き」といわれたら、モノによっては「あー、そんな(ださい)の好きな人なんだ」ってつい心の中で思っちゃうことありませんか。私は正直あるんです。またはその逆で「それが好きなの? センスいいね!」と思うこともあります。センスってなんだろ。「趣味が同じ」ってことか? 

私は『モッシュピット』に出てくる人たちを全く知りません。だから見る前から非常に怯えてました。好きじゃないかもしれない、面白いと思えないかもしれない。イイと思えなければ「センスない人」になるのかもしれない。いま東京で流行ってるんでしょ。しかもメジャー大流行じゃなくアンダーグラウンドなんでしょ。つまり「アンテナ鋭い人たち」ってことなんでしょ。そんでもってこれは映画であり、「安心と信頼のハマジムブランド」なわけです。これをカッコいいと思わないとアンテナ低い人になるんでしょ。イヤな書き方をしています。でも個人的にはこの映画を広げる側に回る可能性まであり、いろんな意味でリトマス紙。庇いたいけど違和感もあるこの流れ。見る前からもう見たくない気分にまでなってました。

自分で自分に何重にもかけてしまったつまんないプレッシャーを破ってくれたのは、当の岩淵さんです。この映画を作り始めたあたりで「何も知らないままでいい。予備知識なくていい、彼らの動画とかも見ずに映画見てください!」と心強いことを言ってくれた岩淵さん。上映の前日に会った岩淵さんは、私を見つけてやってくると「明日、来ますか! モッシュピット見ますか!」と聞いた。「見ます!」と答えました。この日、岩淵さんと交わした言葉はコレだけ。自信なのか嘘っこの自信なのかは知らないけど、その強気でまっすぐな態度がとにかく嬉しくて、この映画をどう感じても岩淵さんにはちゃんと感想を伝えよう!と思いました。

映画は、ピンと来ませんでした。

熱を持った何かが蠢いていることは分かった。でも蠢いている気配しか届かなかった。イイなと思う曲もあった。面白そうだと思う人物もいた。が、全体的には誰が誰だかよく分からなかったし、分からないのに画面には次々と泣いてる人や熱狂している人が登場し、反比例して冷めた感じで見ることになりました。音楽を伝えると同時にそこで起きている潮流を伝える映画だと思うんですが、自分にはその潮の流れをつかむことができなかった。

映画の中である男性が言う「コミュニティからこぼれたマイノリティが集まってコミュニティを作ってしまう、さらにそのマイノリティがコミュニティを作る」「そこからハミ出したのが俺たちだ!」というような言葉。てっきり「だから俺たちもコミュニティを作っている!」と言うのかと思ってしまった。そんな塊に見えてしまった。ごめんなさい。

モッシュピット、序章です。あらかた概略の説明は終わったのかも。さらにスピードが加速したコアな映画になるのかも。やっぱりこれは熱狂の渦に入っていた人、空気を知っている人が楽しむ映画だったのか。悪い意味じゃなく嫌味でもなく、それならそれでも全然いいんです。最近見たばかりの岡村ちゃん主演の映画『Peach』は、映画としては評価が低かったりもするけれど私は大好きだし、ファンが集まってクスクス笑いながら見る劇場体験としても最高に最強にこの上なくハッピーでした。だから、そういうのも全くもってアリだと思います。何にも悪くない。

それでも、こんな文章をグダグダ書いているのは悔しいから。サッパリ分からなかったらすぐ諦めてます。そうではなかったと思う。熱狂じゃなくてもいいから、微熱くらいでもいいから、センスなんかなくてもいいから、私もこの『モッシュピット』に乗りたかったんだよ。寂しい。


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