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初めての入院 ~花見事件

 断酒20年のヨウスケです。

 生まれて初めての入院。

 病名は「急性肝炎」。それもアルコール性の肝炎ではなくウイルス性の肝炎。

 A型肝炎から始まってB、C型肝炎とウイルス検査をしていきますが、どれでもありません。

 D、E型肝炎ウイルス検査にもひっかかりません。

 ドクターが首を傾げている間に肝機能数値はどんどん下がっていき、2週間で退院となりました。

 「先生、やっぱりこれって酒の飲みすぎですよね?」

 「もちろん飲みすぎもあるけど、酒だけでこんなに数値が上がるわけがない。」

 ドクターは原因のウイルスを突き止めるため、通院になってもウイルス検査を続けてくれましたが、結局何のウイルスだったかは分からずじまい。

 その後、月一回くらいの通院が続きました。

 仕事の方は、病気の件を差し引いても情状酌量の余地無しということで辞めざるを得なくなりました。

 原因の分からない肝炎を持ったまま生活を続けていかなければならない不安と仕事や将来に対する不安を抱えたまま退院後の生活が続きます。

 退院後1ヶ月くらいは飲んでなかったので、1ヶ月半くらいは禁酒生活が続いていました。

 ところがある日、友達と今後のことを相談しようと会ったのをきっかけに飲んでしまいました。

 もちろん友達は

「飲んで大丈夫なのか?」

と心配はしましたが、

「 肝機能の数値は正常値まで下がっているから少しくらい大丈夫」

と言って居酒屋で久しぶりのビール。

 それだけで終わらないのがアルコール依存症。

 帰りに日本酒の一升のパック酒を買って、一人部屋で久しぶりの酒との再会の時を楽しみます。

 次の朝、両親が部屋に上がり込んで来て、残った酒パックを持ち去ります。

 気持ちは分かりますが、これには腹立ちます。怒られますが、私は知らん顔です。(今思うと当たり前で、両親には本当に申し訳なく思っています。)

 しばらくはちょこちょこ飲んでいましたが、通院日から逆算して通院前の1週間は絶対禁酒という「戒」はしっかり守っていました(笑)。

 そんな感じで年末くらいまでちょこちょこ飲んで、禁酒して通院という生活が続いている頃に、

「ウチの息子の勉強見てもらえないか?」

 と、家庭教師の話が出てきて、とりあえず勉強を見させてもらうことになりました。

 時間だけはあったので、ほぼ毎日くらい家庭教師に通っていると成績がグーンと上がり、その同級生中心に生徒が増えて来ました。

 時々飲んでは休むという相変わらずの面は有りましたが、だましだまし3年くらいフリーで家庭教師を続けていました。

 土日は半分パチプロみたいな生活をしている後輩とつるんで朝から閉店までパチンコ、その後は勝っても負けても居酒屋、そして後輩のアパートで飲むという、相変わらずのろくでなしぶりも発揮していました。

 そんな毎日でしたが、

「あの肝炎の原因も不明のまま。俺ももうすぐ30歳になる。いつまでこんな不安定な生活続けるつもりなんだろう...」

 ふと、強烈な不安感に襲われることがあり、とりあえず飲んでは気持ちを紛らわせていました。

 生徒達も何とか志望校に送り込むこともでき、生徒も居なくなった春に通信関係の工事のアルバイトに行くことになりました。

 そのアルバイト先で花見があり、

 やらかしてしまいました。

 地元では、というより全国でも有名な公園だとは思うのですが、花見の名所でもあります。

 工事関係なので職人さんも多く、隣に座っていた人(部署も違うので初対面)に

「表面張力~。表面張力~」

とコップに日本酒をなみなみつがれて無茶苦茶飲まされました。

 どのくらい飲まされたか全く分かりません。

 完全に記憶を飛ばしてしまいました。


 後で聞いた話では

 なんと

 公園内を全裸で走り回った

らしい。


さすがにこれを聞いたときは

「絶対嘘だ。いくら俺でもそこまではする訳がない!」

 と思いましたが、周りも止めるのに必死だったらしく、本当に大変だったらしいです。

 その後二次会にもしっかりついてきてビール飲んでたとのこと。

 二次会に行った記憶も全くありません。

 普通はところどころ移動中や、店に入った記憶などは残っているのですが、途中からすべて記憶を飛ばした経験はそんなにありません(と思う)。

 今なら動画撮られて世界中に拡散されているだろうと思うとぞっとします(苦笑)。

 その通信関係のアルバイトも半年ほどは何とか続きましたが、最後は連続飲みの無断欠勤続きで辞めることになりました。

 これからだんだん無茶苦茶になってきます…。


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