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『アート』ってナンジャラホイ

あくまでも私見ですが、写真そのもの、写真それ自体はアートではないと思っています。特にスナップ写真。

目の前のモノをただひたすらコピーしていくだけですからね。コピー機の前に突っ立ってA4普通紙をトレイに流し込んで複製を延々続けながら、たまに上手くコピー出来たモノをこのnoteに載せたり、ギャラリーに展示しているだけに過ぎない、裏紙のメモ用紙製造機ですよ。

ただ。

一つのモノ、コト、ヒト、バショをひたすら撮り続ける。これはアートになり得るのではないか、いや、「これはアートだ!」と自分に言い聞かせています(笑)。アンディ・ウォーホルのキャンベルスープの缶やモンローのアイコンのような。もちろん僕が撮るものはそんな高尚なもんではありませんが(笑)

【セコムのステッカー】

狂ったようにセコムのステッカーを撮ったりしてます。例えばこれを1000枚2000枚と撮って並べてみると、なんかアートじゃありませんこと?セコムが何か意識を持って別の存在になって来ませんこと??


【名古屋・なごや・ナゴヤ・758】

ある時はノイローゼかのように『名古屋』って文字を追いかけてみたりします。名古屋の夏の暑さにやられて「名古屋、なごや、ナゴヤ、758・・・」とつぶやきながら(危ない、危ない。。。)


【犬のフン看板】

「犬のフン看板が呼んでいる!撮れと言っている!!」と街を歩いていると急に脳内で鳴り響く病気ですので是非ほっといてあげてください(笑)


【アートってナンジャラホイ?】

想像を絶するくらいの数と量を重ねると、なんかアートじゃありません?

クダラナイことをさらに突き抜けてクソクダラナイことって、なんかアートじゃありません??

ここには載せませんでしたが、道に落ちているゴミも撮るし、日本人のマナーって何だろね?的な写真も撮ったりしています。それが =アート だとも思いませんが、撮らなきゃ、続けなきゃ、何がどうなるかなんて分からない。アートって「キレイねー・美しいねー・ステキやねー」だけの映える世界じゃないですしね。

政治的・歴史的なアレの件で【あいちトリエンナーレ】が各方面で紛糾の様相を呈しておりますが、みんなで「はてさて、アートってナンジャラホイ?」ってのを考える良い機会だなぁと思っております。先人が積み重ねて来たものとか勝ち取ったものとかも含めてね。

そしてこんなタイミングで展示のテーマ・モチーフにしてしまったのが幸か不幸か、日韓関係や慰安婦問題、、、なども改めて考え直す必要もあるんでしょうね。こんな時だからこそ。まぁでも相手が相手だからアレでアレですが・・・。

と、ふと思ったのは、日本の『臭いモノには蓋をする』教育も考え直すべきなのかなぁ、とかとか。義務教育を終えても、高校や大学を卒業しても、韓国との問題や歴史的背景とかって、自分の知識はたぶんスッカスカだったと思う(おかげさまで今もスカスカな訳だが)。

それが学校教育のせいか、自分の周囲のオトナタチのせいかはよく分からないが、もっとちゃんと学ばなきゃならん。ナニゴトも遅いってことはない。

何と言うか、、、自分の周りのカメラマンやデザイナって、よう物事を知ってるんですわい。裏も表も。ちゃんとインプット・アウトプット出来ている。ノホホンと写真だけ撮って生きて行けたらどんなに楽なことか(笑)

まぁでも、アートの本質や側面って、たぶんこういうこと、、、世にナニカを投げかけて波紋を起こすとか、世論を動かすとか、世界を変えるとか、まぁそう言ったことなんだろうなぁ、、、などなど、ネット上を飛び交う様々な意見を読みながら一人で噛み砕こうとしてモヤモヤしていた週末でした。

そんなモヤモヤを吹き飛ばすくらい頑張って今日も明日も明後日もガッツリ撮るぞー!(勉強もせい)

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