ある日、私が投げつけられたもの

『透明の棋士』(ミシマ社)刊行記念イベントに行ってきた。

一年程前にこの本の企画を著者の北野氏に伺った際、刊行の暁には是非トークショーをと私は勢いよく北野氏の前に土下座し、彼の靴の裏を舐めて懇願した。私の両膝の擦り傷という犠牲の上に、この夜のイベントは開催された。あの泥の苦さを、舌を削る砂のざらつきを思い出しながら、私は新宿へ向かった。話の彩りに少しばかり脚色したが、そういう事情で大層楽しみにしていたライブトークのことを、著書北野新太氏、ゲスト瀬川昌司五段、本田小百合女流三段の敬称を以下略して書く。

会場は紀伊国屋書店内、カフェの横であり書店の隅であるイベントスペース。右にコーヒー、左に書籍。「私は新聞記者で、喋る仕事ではなくて。こうして喋るのは人生最初で最後です」という北野が司会進行をするようだ。時に「~でございますでしょうか」と迷走する語尾で、瀬川には順位戦対永瀬戦について、本田には倉敷藤花戦、里見との一局について聞く。北野の、脚を15度開いて椅子に掛け、マイクを持つ右の肘を左手で包んだり甲で支えたりする仕草は、少し三浦に似ている。

三人の、無理に盛り上げようとしない、少し低めで安定したテンションは、書店でのトークイベントに似合いだ。遠足のバスの中、最後尾の騒々しさから逃れ、前から三列目で静かに語り合う輪のような。

北野がゲストに用意の質問を投げ掛けていく。さあ、今日も私の文章に羽生の名が出てくる。私が羽生を特別扱いしているわけではない。人が将棋を題材に何かを語るとき、羽生はレギュラーで四番で監督で支配人でマスコットキャラクターなので、日は東から昇り、水は低きに流れ、将棋話に羽生が現れるのだ。三浦のことはえこひいきしているので、関係や脈絡を無視しても私は名前を出す。三浦。さて、羽生の存在とはどのようなものであるかを聞かれた瀬川は「はじめからスーパースターで、この世のものではないと思うこともあります。飄々としていて、勝ち負けで変わることもない。他の棋士と何が違うのかと言われてもわからないのですが、羽生さんには一歩先が見えています」と語る。

話題は羽生の記憶力の凄まじさに。どの対局に誰が取材に来ていたかまで覚えている羽生に「この対局の時にいましたよね?」と言われて驚くと話す北野は、なぜだろう、この羽生の言葉をモノマネで再現したのだ。「今の、モノマネだよね?」「唐突に羽生の真似を?」客席に走る衝撃と動揺、密かな笑い。少しぎこちなく訥々と、肌に感じ脳に響く将棋と棋士の魅力を静かに語っていた男がいきなり投げつけてきたモノマネと、北野が客席を指して自分の将棋の師匠だと紹介した人物がボソッと漏らした「似てないね」の一言に、堪えようとしていた私の笑いはヒーッヒッヒと喉を破り、ねるねるねるねをねる魔女の声に似た音を響かせた。ヒーッヒッヒ。書店の隅でヒーッヒッヒ。

イベントも終盤。本のタイトルでもある棋士、将棋に関わる人たちの透明さについて、将棋界はなぜこのような場になり得ているのか、将棋が人に透明性をもたらしているのかそれとも心が美しい人が将棋に集うのかを考えている、将棋のために生まれ将棋のために生きているように映る棋士の前で、果たして己は何のために生まれ何のために生きるのかを自問させられるのだと語る、さっきモノマネをしていた人。棋士の透明さにモノマネをしていた人の魂が震えるのは、彼自身が持つ透明な部分と共鳴するからだろうなとぼんやり思う私。

質疑応答では、エッセイと観戦記の違いについて。観戦記には将棋の内容を記すことが必須であり、将棋の担当になってからそれまで桂馬の動きを間違えて覚えていたことに気がついた自分の棋力で盤上技術を書くことは、高尾山登山が限界の体力でエベレストの登るようなもので、だから観戦記には膨大な時間と労力がかかる。それでも登る、それを自分に課している。棋士という優しい彼等は、聞けば何でも教えてくれる。教わったことを突き詰めて、めちゃくちゃ考えると、ちょっと解る。駒の能力は一定を超えないのだから、ひたすら考えると、指し手の意味が解る瞬間があるというようなことを流暢に語った。開始から1時間40分を経て緊張もほぐれ調子が出てきたあたりでイベント終了。

北野は瀬川、永瀬と昼食をとりながら、永瀬が高校を入学初日に辞めた理由を聞いた。「永瀬は『ここに僕の人生を上向かせるものはひとつもないと思った』と語った」と話す北野に、「ちょっと違うかも」と瀬川が言う。その瀬川に対し北野は「私にはそう残ってるんです」と、小さく主張した。同じものを見て、その人に何がどう残るか。私は北野の中に残るものが好きだ。彼の記事をこれからも読みたいと、もう少し上手なモノマネが見たいと思いながら帰った。



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