羽生のおかげで

あなたにとって大切なものは何ですか。

私は何より心の平安を大切にしている。人間関係、特に恋愛は心を乱すものであるから遠ざけておきたいという考えに基づいて私は孤独なのであり、容姿に多大なる難があるとか性格が鬼や悪魔に近いとかひたすら酒に溺れているとか、そういう現実を主な理由として独身なわけではないとここに主張する。
とかく争いを好まない私が将棋という必ず勝ち負けがある世界を愛してしまった。

私は心の平安を第一にしながら将棋観戦を楽しみたい。

ああ、確かに私は三浦を少しばかり余計に応援しているさ。UNIQLOでオリジナルプリントのTシャツを作ることが出来ると知り「HMSS」というロゴを入れた一枚を誂えて将棋ファンがたむろする場に出掛けては「これは羽生森内佐藤、島研Tシャツだよ」と説明しながら、心の中では「弘行、三浦、凄く、素敵…」と唱える程度に少しだけ三浦を贔屓している(「SS」の部分はその日の気分で「鋭い攻め」「さすがのサバキ」「スーパーソウル」「誘って誘われて」「秋刀魚の塩焼」等に変わる)。
それでも私は全ての勝った棋士に、三浦に勝った棋士にも心からの祝辞を述べる。心の平安を愛する私にとって嘆いたり悲しんだりすることは大損なのだ。人生には避けられない悲しみもあるけれど、その悲しみに泣くこともあるけれど、私は私が選んだ好きなことからは喜びしか貰わない。

Twitterで対局の結果に何かしらを投稿すると「宮戸川さんは、勝った棋士に対して『○○先生おめでとうございます』から将棋の感想を言うのが唯一良いところだと思います。あとはクズですね」というようなリプライをいただくことがある。これは、心の平安を保ちながら将棋ファンであり続けるために私が選んだ道。誰が勝っても喜び、誰が負けても嘆かない、私はそう在る。その在り方を支えるのが羽生絶対主義。

私は必ずしも羽生を応援しているわけではないが、羽生が常に勝者である世界を良しとする羽生絶対主義者だ。

テレビ番組の密着取材で座右の銘を聞かれた羽生は「運命は勇者に微笑む、で」と答えたものの、聞き取れなかったスタッフに「え?」と返され「うんめいは、ゆうしゃに、ほほえむ!で。出典とかないです」と繰り返す、ほんのり間抜けな姿で番組が終わったため強く印象に残ることとなった彼の座右の銘に従えば、将棋に限らず運命は常に羽生に微笑むことが、コンビニで700円ごとに引くクジも羽生に限っては全て当たりであるのが正しい。
何かを絶対的存在に据えることで安らぎを得んとする者や思考停止の快楽を求める者にとって、神または羽生は、その座にあまりにも適任だ。神の方の説明は鳩森神社で聞いて。
羽生は比類なき大棋士であるだけではない。全ての言動が私利私欲から遠く離れたところにある羽生が正しいと思ったことの正しそう感、羽生が良いと信じることの良さそう感、羽生が望ましいと考える世界の望ましい世界感。私が100年かけてたどり着いた結論より、羽生の思い付きのほうが信用出来る。世界は羽生に任せた。羽生が幸せな世界は平和な世界。羽生よ更に幸せになれ。

この立場から将棋を観戦すると、勝負の7割強は世界平和をもたらし、そうでない場合は盤上の熱戦が楽しめる。羽生の対局は必ず、平和か私の楽しみをもたらすもの。ちなみに世界平和については加点法を採用しており、羽生が勝てば平和得点が加算され、勝たなければ維持される。
羽生と戦ったり、なかなか戦えなかったりもするけれど、プロ棋士の、私が人生を5回繰り返す間ひたすら将棋に打ち込んでもその域にたどり着けるわけもない棋士たちの対局そのものが有り難い。全ての対局は勝敗に関わらず善なるものなのだ。誰であろうと勝った棋士には「おめでとうございます」と言いたくもなる。

私は羽生絶対主義者たることで様々な悩みから解放され、勝敗に関わらず心穏やかに将棋観戦を楽しみ、世界の平和を羽生に託し、羽生が決して考えることのない下らぬ与太に集中して思いを馳せ、馬鹿馬鹿しさ解き放つ日々を我が物としている。
羽生の幸せと世界平和を漠然と祈りながら将棋連盟モバイルに課金するだけで。

今日も私は心安らかに、全ての勝者を祝う。

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