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#042_緊張せずに自然体に話せるようになるにはどうすればいいでしょうか?

宮内優里さん こんにちは、初めまして。LOGシリーズは感情的でもなく自然な雰囲気があり、家で絵を描きながら流していると空気感がいい感じになって捗るのでとても好きです。

宮内さんには、さほど緊張せずに自然体で人と話せるようになるにはどうすればいいのかを相談したいです。 私は販売業をしています。また、これまでの仕事もすべて接客が主体の仕事でした。会社勤めをしながら写真家としても活動しているので、ご依頼を受けて撮ることもあります。そのため、さまざまな方々と話す機会は多く、いつも落ち着いていて人と話すのが上手だとお褒めいたいただくこともあります。

しかし私自身は、人と話していると気疲れてしまってあとで辛くなるのです。それはお客さまや会社の人、クライアントに限らず家族、友人、恋人などあらゆる関係で起こります。 話をすること自体は好きなのですが、あれこれ気を遣ってしまうために気疲れして、あぁもう誰も話したくないと自分の殻に閉じこもることが出てきて、その気分の起伏にも疲れて嫌になります。

気に入られようにするとか、嫌な思いをさせないようにするとか、気を遣いすぎることは話している相手も疲れさせてしまうことではあることと思うので、私自身がさほど気を遣わずにコミュニケーションが取れれば解決できるのかなと思いつつも、なかなかそれができずにモヤモヤしています。

どうすればやたらと気疲れせずにコミュニケーションを取れるようになるのでしょうか。 宮内さんが人と接するときに苦しくならないために心がけていることなどあれば、教えていただきたいです。

自然体になろうとするその気持ちや行動は、むしろ自然体を遠ざけてしまうかもしれない

どうも、おじさんです。LOGシリーズ、聴いてくださりありがとう〜。絵を描きながら、うれしいです。写真家もしてたり多才。すごい。

さて、人との接し方。これまた僕に相談してきているのはなんでだろうというのは正直ピンとこないけれど、せっかく書いてくれたのでなんか思いつくまま書いてみよう。

実際のところ、人と接するのは僕もあんまり得意だと思ってないし、しょっちゅうクヨクヨ悩んでいるし、実際はそんなにたくさんの人と会いたいとは思ってないから、ミュージシャンの中でもあんまり頻繁に人と会わないで済むような自宅でできる仕事(音楽業界の中でも割と)に自然と流れてきた感じかもしれない。人は好きなんだけど、苦手な人はいるしねえ。(けっこう苦手な人、多いしなあ)

僕も話が上手いとか、話すの好きだよねとか言われることが(たま〜に)あるけど、家族や友人と話すときと、そうでないときとは全然違うし、相手によってがんばってたり消耗してるときもたくさんあって。

緊張してたりして会話に間が空いたりすると、すぐ頑張って空回りして話盛っちゃうとか、あんまり思ってもないこととか、一言余計なこととか、間の悪いことうっかり言ってしまったりして、よく凹んでいるよ。。

とはいえ、自分が苦しまないために心がけていることも正直あんまりないかかもなあ。なんかもうある程度仕方ないかなあと思ってきた。変わろうと思っても変わらなかったなあ。

※余談だけど、中学生のころ、おしゃべりな自分に辟易していて。スラムダンクの流川みたいな無口になることに憧れて、突然、敬語で話し始めたり、うなづきしかしないとか挑戦してみたけど、当時気になっていた女の子に気持ち悪がられてイライラされたのですぐやめた。というのを思い出した。

実際に今、自然体にというか楽になるために僕がやっていることとすれば、シンプルに人と頻繁には会わないようにしているくらいかなあ。あとは大人数の場に行かないようにしたりだとか。この人苦手かなあと思ったら無理してまでは会わないとか。

相談者さんは仕事上、そういうわけにもいかないかもしれないけど、僕の場合はシンプルに回数が減ると心に余裕が生まれてくるから、それはとりあえず精神的にはいいんじゃないかなと思っていて。人と話しすぎて疲れる、みたいなことはよくあるかな。基本、話すのは好きなんだけどね。

自然体になりたいなあとは僕も思うけど、実際に自然体って何なんだというと、僕もよくわからないんだよねえ。少し答えとズレてしまうけど、僕も演奏したり曲作りをする時に自然体で取り組みたいけど、いつもそうはなれなくて。

でも考えてみると「自然体でいよう」という発想自体がだいぶ自然体じゃないし、むしろかなり遠いところにあるような気がしてきていて。がんばればがんばるほど、どんどん離れていく気がするような。冷静に考えるとそりゃそうだ、なんだけど。

自然体になりたいと悶々した状態よりも、あんまり自然体ではないけど、今はとりあえずしょうがないかとか、このままでいいか、と思えている状態の方がかなり自然体に近い気がするんだよなあ。とりあえず、現状を受け止めるというか。許すというか。

そういう風に過ごせていると「あれ?今少しだけ自然体になれてたかも」とか後から気づいたりして。「今、俺は自然体になれているぜ!」なんて思ってるときは間違いなく自然体じゃないんだよね、きっと。なんにも意識してないくらいで後から気づくようなものなのかなあ。

いつでも自由にそういう状態になれるわけではないけれど、そういうときに出来た音楽は作品の具体的な善し悪しを飛び越えると言うか、そんなこと言うことすらも無意味に感じて、僕はとりあえず好きだなあと感じていて。自然と生まれたものって言語化できない部分の良さがあると思っているよ。

んー音楽でなぞってみると、僕としては少し答えに近づいたような気もするけれど、どうかしら。自然体というのは、頑張ることとも頑張らないこととも違うところにある気がするんだよなあ、なんか。

あー、あとは自分を取り巻く環境も大事な気がするなあ。自然体になれる環境とそうでない環境はやっぱりあるし、それは人によっても違うだろうし。僕もステージ上がったら緊張しちゃうとかね。マイクとかカメラ向けられると話しづらいとか。

うーん、でも色々書いていたら、全部ひっくり返すようなこと言うけど、別にしっかり解決しなくてもいいかもしれないなーとも思っちゃった。そういうコミニュケーションが苦手な気持ちが半分あると、その分だけ同じような人に優しくなれるような気もするんだよね。そういう考え方もよくない?僕はやっぱり自信満々な人よりも、そうでもない人のほうが人間としては自然だと思うんだよなあ。

んー取りとめなくなりそう。だいぶ頭ぐるぐるしてきた。このへんにしておこう。笑 こういうのも受け止める。笑

とりあえず自然体じゃない自分も良しとしていくのはなんか良さそうだよねえ。あとは流れに身を任せつつ、嫌だなあと感じてしまうものを減らしながら、受け止められる嫌じゃない領域をゆっくり増やせていければいいのかなあ。意識しているだけでも違うと思うんだよなあ。

あー、なんとなく「良い・好き」よりも「悪くない・嫌じゃない」の方が自然体に近い気がするかも。悪くない、嫌じゃないってあんまり意識はしないんだよね。でもその周辺、環境づくりのヒントになりそうじゃない??

僕もわかんないけど、今はそんな感じで考えているかなあ。僕もそういうフラットな方向に向かいたいなとは思っています。なんか自分を振り返るきっかけにもなったかも。いずれにしろ少しずつな気がするなあ。お互いにゆっくりと良い方向へ流れていけるといいねえ。

※おじさんに相談してみようかなと思った方はこちらから。
https://miyauchiyuri.com/ojisan