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#038_なにものかになるって、楽しいことばかりじゃないけど、こんなにしんどいものでしょうか?

バーで隣の席に座ったおじさまに相談するつもりで、ここにきました。
よければ話し相手になっていただけると嬉しいです。

私は27歳、小さなデザイン事務所で、デザイナーのたまごとしての日々をおくっています。

やりたかった仕事のはずで、学生のときになりたかった姿のはずなのに、毎日楽しくありません。

ものをつくりたいという気持ちはあるけれど、本当にやりたいのはこの仕事ではないのかもしれません。

年齢も年齢なので、友達は結婚し、子供もいて、絵に描いたような普通の幸せの中にいて、このままじゃそっちの幸せもつかめずに、なにものにもなれない気がして、ふつふつと不安です。

なにものかになるって、楽しいことばかりじゃないけど、こんなにしんどいものでしょうか?

私はこのままここにいて、幸せになれるんでしょうか?

このまま自分を信じていて大丈夫でしょうか?

「なにもの」ってなんだろうねえ。

どうも、おじさんです。なんと!妄想パターン。バーで若い女の子(おじさまと書いてるからそうと仮定させてもらった)に声かけてもらえるだなんておじさん光栄です。

悩んでるねえ。何者かになろうとするのはしんどいよねえ。理想と現実はやっぱり違うもので。思ってたのと違うことはたくさんあるよね。

ただ年をとってきて、案外「理想>現実」でもないなあと思うようになってきた。あれ、現実の方がよかったかもしれないということも結構あったりして。

おじさんになって思うのは「なにもの」という言葉はちょっと幻かもしれないなあと思ってきた。

僕の場合、当時「なにもの」に本当になりたいと思っていたわけじゃなくて、対外的に「なにもの」として存在していたい、認知されたい、というだけだったような気もする。承認欲求というか。裏付けがありそうな自信を持ちたかったというか。

ただ拠り所として「なにもの」かに僕もすごくなりたかったというのは、それはそれで自分も健全だったんじゃないかなあと思う。全然不思議には思わないし、そういう考え方をしていたのも、別にもったいなかったとも思わないかなあ。

昔はなんでもかんでも気合と根性でとにかく突き進んで勝ち取らないと!と思っていて、そういう若さで出せる勢いやパワーを使いながら、一般的な価値基準や、外からの評価とか、自分の体力気力と本気で一度向き合ったことで、自分の得意不得意、好き嫌いもゆっくりと見えてきた気がするんだよねえ。

だからとりとめのないことを言うと、今の延長もあるだろうし、ないかもしれない。笑 当たり前のこと言ってるけど。どんな形にも期待しすぎては良くないというか。何度か本気でぶつけてみないとわからないと思うんだよなあ。

僕も10代に憧れた「なにもの」(僕の場合はシンガーソングライター)には結局なれていないし、シンガーで大成するなんて絶望的に無理だろうと思っているし、本気で取り組む気もないのだけど、でも今がすごく楽しいし、充実してきたというか。こういうこと言うとおじさんの捨てきれない高いプライドみたいに聞こえちゃうかもしんないけど、そういうのじゃなくて。

なんというか、おじさんになってみると「なにもの」かになるということ自体はあんまり大事じゃなかったけど「なにもの」かになろうとなりふりかまわず走り抜けた時間は全然無駄ではなかった、みたいな感じかなあ。

現状、相談者さんがどれくらい辛いのかがわからないので簡単には言えないけど、まだ我慢できそうであれば、言い方悪いけどすこーし「たかが仕事」くらいに思って、それ以外の時間を使って他の可能性を試してみたらどうかなあ。視野が狭まっている可能性もあるねえ。今の現状のままでもなりふり構わず走り抜けることができる方向がもしかしたらあるかもしれない。試しに本気で走り出してみる、みたいなのを僕はよくやる。

他のものづくりで気になることがあるなら、どんどん新しいことに挑戦したらいいと思う。それでなにか見つかればラッキーだし、見つからなくても、選択肢が減った後で今の仕事しかないかも、となったら腹がくくれるような気がする。

腹をくくって「一生の仕事だ!」なんて気合い入れてやってたら、突然走り抜く気合が出てきて、さくっとうまく行っちゃっりもあるしね。でもその後思ったより面白くなくなっちゃって急に冷めちゃったりしてね。あ、やっぱこっちにしよ〜みたいに変わっちゃったりして。僕もあったなあいろいろ。それも全部いいよね。

結局はどうなるかなんてわからないんだよなあ。おじさんになったってわからないもん。最近は心と体の健康には気を付けつつ、今できることをやれるようにやるしかないのかなあと思うよ。

もしかしたらそういうフラットな心の状態が自分を信じているということかもしれない。案外、そういうのが外から見るとちゃんとした「なにもの」に見えたりするかもねえ(でもそのへんは自分であんまり考えない方がいいな、きっと)。

僕は来年40歳になるけれど、最近今までで一番音楽が面白くて。去年あたり突然3倍くらい面白くなった。不思議。

でもそれはがむしゃらな20代があったからそう感じるなあと思う。音楽で食えるわけがないと思ってたし、不安はずっとあっただけど、当時は20代で音楽は諦める前提で、とにかく後で後悔しないように出し切ろう、とだけ思っていたかな。そういうネガティヴパワーもいいかもねえ。僕は合ってたかも。ちゃんとぶつかるのは大事だったなあ。

今、この瞬間に出来ることなんて、実はそんなに沢山ないような気がして。20代のときに漠然と不安なのは、その今出来ることの「先」の可能性があり過ぎるだけで(ネガティヴな可能性も含め)。40歳になろうとしてる今の僕は色々試した分だけ、その「先」の可能性がほどよく減ったというか。そのへんがちょっと楽になってきただけかもなあ。

結局はおじさんも若者も、今日より良くなることを考えて、出来ることを思いついた順に一つずつやるしかないのかなあと思っているよ。

でも無理して頑張れとは思ってなくて。どんなことも、どうしても辛いなら避けるのがいいと思っている。一旦休憩もいいし。無理してるうちに抜けられなくなっちゃうみたいなこともありそうだから。

逃げると自分を追い込んじゃうから、逃げるでなくて「避ける」みたいな感じがいいのかな。本気で目を凝らして避けていたら何か見えてくるものはあると思うんだよな。ドッジボールみたいに、受けても避けてもいいと思うのよ。受けた方がかっこいいというのは実際そうかもしれないけど、一旦無視でいいかなと僕は思っているよ。

※おじさんに相談してみようかなと思った方はこちらから。
https://miyauchiyuri.com/ojisan