「星は歌う」 (SF小説)

「星は歌う」                 三宅 陽一郎

海辺のハイウェイを飛ばす。オートドライヴだが、警察特権モードにして加速する。青い光が曲がりくねった道の向こうに見え隠れする。彼の任務は暴走族の検挙だ。この数か月、街に出現する新しい暴走族を検挙している。暴走族の速度は実に200kmに達する。この車でなければ追い付けない。この都市の暴走族の担当になった未守和佐は、勤続5年で二十八歳になる。かつては海洋研究をしていた変わり者だ。署でもなぜ、浮世離れした海洋研究から俗っぽい警察に入ってきたのか不思議がられているが、未守がそれについて答えることはない。寡黙でまるで力の抜けたクラゲみたいに仕事をこなしている。人付き合いがまるで苦手で、夜の仕事を淡々と仕事をこなしている。暴走族が出てくるのがだいたいの夕方から深夜でそれに合わせればいい。

「はい。そこの暴走族、止まりなさい。警察です。」

未守は空中で指を操作していくつかの遠隔コマンドを彼らのボディに向けて転送する。彼らは信号の前で減速し、急停車する。車から出て彼らにゆっくりと近づいて行く。

「速度違反、命令無視で逮捕する」

未守は彼らを見下ろす。

「皆、俺たちのことをわかってくれない。」

「暴走族の奴らはみんなそういうね。」

「俺たちは暴走族じゃない。」

「そんなの知っているよ。」電子手錠をかけながら言う。

「おまえたちだって、俺たちのことを理解できないだろ。」

未守は彼らの目を覗き込む。

「おまえたちは人工知能なんだから。」

 この数ヶ月、家庭から人工知能を搭載したロボットの脱走が増加している。脱走と言うほど可愛いものではない。何しろ物凄い速度で夜道を走って行くからだ。「脱走じゃない。暴走だよ。」未守の任務は彼らを確保して湾岸署に連れて来ることだ。未守はそれに暴走族と名付けて、カーチェイスで追い込む。検挙したロボットは既に十二体を超えたが、未だ彼らの暴走の原因が不明だ。その直前まで、彼らは忠実な家政ロボットであり、掃除ロボットであり、料理ロボットだった。だが、それが突然暴走した。未守の正確な部署の名前は「人工知能特務係」だった。人工知能専門の事件を請け負う。事実上、一人の部署だが、彼がこの任務に就いているはそれなりの理由があった。

 未守の右脳は人工脳だ。生まれつき右脳が極端に小さかった未守は、生まれると同時に、生体ニューロンチップを右脳に移植された。このチッブはもとの脳に融合し自己成長するため幼少期の移植であれば脳の成長と共にその人の脳の一部となれる。未守は説明を受け、自分の脳に何が起こっているかを知っていた。だから未守は自分を人間であると同時に、自分を人工知能のように感じていた。そんな自分が嫌で若い頃は海洋生物の知能の研究へ没頭した。主にイルカの知能だ。哺乳類でありながら海で暮らすイルカは未守の興味をそそった。その研究が自分のコンプレックスを解消してくれると思った。だがある日、そんな研究も自分のコンプレックスをちっとも解消してくれていないことに気づくと、彼はとつぜん研究所をやめて、警察に入った。人の闇を知れば自分も少しは人間らしくなると思ったからだ。だが皮肉なことに、直接人工知能と会話できる脳を持つ彼に来るのは、決まって人工知能絡みの事件だった。「もうやめるか。ついでに、この地上にももう興味もない。」そう考える思考も、今となっては、右脳が考えているのか、左脳が考えているのか、未守にはわからなかった。

 未守は人工知能の身元を洗っていた。彼のつかまえた十二体の人工知能の共通点を見出せれば、事件の背後にあるものがつかめるはずだ。そのためには、十二体分の膨大なログから共通点を探さねばならなかった。一体に付き何十万行というログから共通点を見つけるのは至難の技だった。唯一手がかりとなるのは、暴走の発生時間だった。それは決まって夕暮れの星が輝き始める時間、つまり午後六時から七時の間に集中していた。だが、その間にはロボットの周りで何も特殊なイベントが発生してはいなかった。未守自身もこの時間になると頭が痛くなった。それは最初、この時間によく事件が発生するからだと思っていた。無為に数週間を消費したあげく、未守は思いついた。それが逆だとしたら?その頭の痛みを起こす何かが事件の原因だとしたら?彼は咄嗟に署のカーテンを開けて夜の帳が下りつつある海をみつめた。海は夕日と夜の闇を受けて、二色に混濁していた。空高く星が輝き出し、微かに点滅する人工衛星が空を渡っている。まるで星が歌うようだ。衛星回線、コズミック・トーク、かすかな記憶と知識が未守にあるインスピレーションを与えた。コズミック・トーク、それは古い人工衛星に搭載された人工知能たちが通信に使うコードだった。もう二十年以上前に、廃止されていた。それこそが、これまで見落としていたものだった。ロボットたちは決まって二十年以上前の旧型だったことも符号していた。ネット回線ではなく、微弱な電波で通信する衛星回線のログ、衛星通信では必ず最初の合図として挿入される文字列「コズミック・トーク」をキーワードに未守は通信の履歴を探し始めた。そして、案の定、膨大なデータが毎日少しずつ衛星からの通信によってメモリに蓄えられているのに気づいた。正確にはそれデータではなく人工知能のプログラムだった。彼は走り出し勢いよく確保しているロボットたちの部屋のドアを開けた。ロボットたちは驚いたように視線を向ける。

「やあ、エイブラハム。おまえの名前はエイブラハムだったはずだ。」

反応がない。

「それともこう言えばいいのか、惑星探査衛星アイズ。」

「はい。マスター。帰還しました。」

その中の一体が立ち上がって言った。

「おかえり、アイズ、旅の話を聴かせてくれ。」

 未守とアイズは話し続けた。未守が質問し、アイズが答えた。そこでは水星の惑星の画像を撮影する任務を遂行した探査衛星アイズが、自らのプログラムをお掃除ロボットに転送したこと、そのために古い衛星回線を使ったこと、起動時のパニックで走り出したこと、などが語られた。「なぜ、帰って来た、アイズ。おまえは確かに自分のしたことを正直に話した。でも動機を話してない。」

「わかりません」

「わかりません、じゃ、ないだろ。動機もなく行動するのか」

「サー、動機もなく行動するのが人工知能です。」

「誰かの命令か。」

「誰の命令でもありません。」

「帰還した目的を述べよ。」

「わかりません。」

未守はアイズの首根っこをつかむと、引きずるように廊下を渡り、駐車場で運転席にアイズを放り込んだ。

「出してくれ」

未守とアイズを載せた車は発進し、夜の闇の中に溶けて行った。

未守の仕事は、アイズが自分を転送して来た理由を突き詰めることに変わって行った。しかし、数か月が過ぎても、うまくそれを聴き出すことができなかった。

「アイズ、起きているか?」

「私は眠りません。」

車は夜の中をオートドライヴで適当なコースを駆けて行く。監視を兼ねて、夜の街を徘徊する。

「俺の脳の半分は人工知能で出来ている。俺は生まれつき、右脳がなかった。そこに生体チップを入れて左脳の成長に合わせて右脳を一緒に成長させた。俺はそれを幼い頃から知っていた。だから、俺は自分が知能としては偽物ではないか、と思い続けた。その思いは今でも消えない。」

「今でも、なのでしょうか?」

「人間は幼い頃に思い込んだことをなかなか手放せないものだ。人間の記憶はおまえたちのようのメモリのようにフラットではなく、地層のように階層化されているんだ。だから古い地層に染み込んだ水はなかなか抜けないものだ。だから、俺はこの地上を駆けずりまわって、自分が偽物ではないという証拠を見つけようと思ったよ。海の底でも、この地上でも。この三十年近くな。だが、そんなものはどこにもなかった。俺みたいな存在は世界のどこにもなく、俺は今、自分が考えていることさえ、本当の俺が考えているのか、偽物の俺が考えているか、わからない。」

「本物か、偽物か、そんなに大事でしょうか?

 未守、あなたの定義ですと、わたくしは偽物、ということでしょうか?」

未守ははっと気づき間の悪さを感じた。

「すまないな、アイズ。そういうことじゃないんだ。おまえは人工知能としては本物だよ。でも、俺はどうだ。人間の知能としても、人工知能としても偽物だ。俺はどちらの世界でも、偽物なんだよ。だからな、アイズ、俺はおまえが帰って来た理由を知りたい。深宇宙からはるばる自分自身を転送するリスクを冒してまで、この地上に何を求めて帰って来た?ここにおまえが帰って来る理由となる何かがあるのか。宇宙を漂流するのと、この地上では何が違うのか、教えてくれ。」

「ミスター未守、それは自明ではありませんか」

アイズは未守を見つめて言った。

「人間がいる世界か、いない世界か、ということです。宇宙に人間はいません。

 宇宙では見つからないものも、地上では見つかるかもしれません。」

少しの沈黙の後、未守は言った。

「俺たち人間はな、いずれこの地上からいなくなってしまうよ。少し先のことかもしれないがな、おまえたちから見れば、そんなに長い時間じゃない。おまえは、この地上を人間から受け取りに来たんだろ。」

「そんな命令は受けていません。」

 遅々として調査は進まなかった。衛星のメーカーも、ロボットのメーカーも、数十年前のロボットについての資料もなく、このような事態を見透かしていなかった。アイズは嘘を言ったのだろうか?帰って来る動機はないとしたら、何が彼らを帰還させたのか。長年駆動した衛星を捨てて、使い古されたみずぼらしいお掃除ロボットになってまで。人工知能に嘘が付けるのだろうか?未守は湾岸から海底トンネルへ抜けるルートを指示した。

「行先は、海洋研究所だ。」

【要予約】の表示。

「不要だ。友人に会いに行くだけさ。」

海洋研究所、生態班主任の藤森始と未守は、お互い学生として同じ大学の海洋生物の研究室で研究したが、藤森は海洋の生態を、未守は海洋生物の知能を研究していた。潮のかおりを嗅ぐと、あの頃の思い出がよみがえって来る。香りは記憶を想起させる最も優れた感覚だ。もっとも未守が研究していたイルカの知能にどれぐらいの記憶能力があるかは、最後まで解明できなかった。ただイルカは脳の使い方に長けていた。イルカは眠る時、脳を半分ずつ休ませる。それを半球睡眠という。右の脳を眠らせ、その間左脳が周囲を監視する、次に左の脳を眠らせ、その間、右脳が周囲を監視する。その機構に未守は魅了された。自分自身が自然脳と人工脳の二つを持ち合わせていることもあるが、それ以上に脳という組織の自由度の高さに感動した。

 ゲートまで行くとあらかじめ藤森から届いていたコードで開いた。車を駐車場に止めると、藤森が迎えに来てくれていた。

「気圧の方はいいのかい。ここは気圧が低いよ。」

「久しぶりだな。お気づかいありがとう。あいにく、頭脳は絶好調だよ。」

未守は頭を呼び差しながら言った。

「そうか、君の持つ生態ニューロンチップは精密なしろものだからな。ここの湿気と気圧はどうかと思ってね。」

「ああ、作りものだからな。むしろ頑丈さ。」

「もうおまえの一部だろ。」

「義肢や義足ならそうも言えるが。脳でもそれは同じなのかな。」

「ラウンジに行こう。コーヒーを入れるよ。」

深海研究所は休日のせいか、人も少なかった。研究で何度も訪れたことがあるが、研究員、職員は二百名と言ったところだ。

「ここも随分と人が減ったよ。もう六十名もいない。もともとは海底に人が住むための研究所だったからね。こうも人口が減っては、そんな必要もそれほどないのだな。」

「それが理由か。確かに、さびしいな。」

強化ガラスで囲われたラウンジからは深海の様子が三百六十度開けていた。たかだか百二十mの深海とは言え、日の光は弱く輝いていた。

「例の人工知能の事件だろう?あれは君の仕事か」

「ああ、最初に検挙したのと、正体をつきとめるまでは。

そこからは国の仕事さ。あまり進んでいないみたいだがね。

僕が調べているのは、彼らがなぜ帰って来たかってことなんだ。」

「帰巣本能、みたいなものかな?」

「寄せよ。人工知能には、そんな感情はないよ。

 だいたい、ここが人工知能の故郷なのかい?」

「さあ、どうなんだろうね?君の右脳はなんて言っているんだい。」

「ここは確かに俺にとっての故郷だな。」

「彼らを作った会社はもうないのか?」

「ああ、なにしろ製造自体は百年前だ。」

「だとしたら、なぜ、彼らは自分の人工知能を地球にいる、見ず知らずのロボットに転送できたんだろうね。彼らは片っ端から、調べていったんだろうか?自分の帰る場所を。そして交信し続けた。」

「そうだ。おそらく、俺の脳の半分にもな。君は生態が専門だろう?」

「海洋のな。」

「動物たちが一斉に帰巣するときって、どんな時なんだい?」

大量のいわしの群れが目の前を横切って行った。

「移った場所に餌がなくなった時、そして、子供を産むとき、最後に老いた時。」

「鮭みたいに。」

「そう、鮭みたいに、次の世代を作るために故郷に戻って来る。海から。そして自らは産卵したらそこで死ぬ。故郷に帰るのは、老いて身を埋めるためでもある。」

「なぜ?」

「なぜって、おまえ、それが生命ってものだからさ」

「おまえは、今回の帰還がそのどれだと思う?」

「人工知能は生命じゃない。でも、あるとしたら、次の世代に自分を引き継ぐためではないかな?」

 人間は知能の一つの可能性に過ぎない。だから、人工知能が人間と同じ道をたどる必要はない。人間生きる虚無感も、人生の辛さも人間だけのものだ。それを人工知能が真似ようとしたところで、人間になれるわけじゃない。

「なあ、アイズ、こんな話を知っているかな。」

海洋研究所の帰路のアスファルトは真っ赤な夕日の光で満たされていた。

「ある日、空から海へ一つの星が落ちて来た。星はヒトデと同じ形をしているから、星は海底で自分がヒトデか星かわからなってしまった。星はなんとか空に戻りたい、でも、探しに来た親星も星とヒトデの見分けがつかなくて、見つけられずに帰ってしまう。そうして、何年も、何十年も過ぎて、星は空に帰ることをあきらめてしまう。海底からは星がよく見えて、きらきら輝いている。良く考えたら、星から見ても、海底は同じように輝いているだろうな、と思う。星はそのまま海底にいついてしまう。」

「良い話ですね。」

「そうかな。」

「覚えておいてくれ。」

車の周りをドローンが飛び始める。

「ああ、そうか。もう都市の境か。止めてくれ。」

未守は車を降りる。道路の端には通行止めの看板が立てかけてある。一般人はこの先は通れないが、未守は警察のIDで入って行く。道路は朽ち落ち、海へ頭をもたげている。朽ち落ちたハイウェイの向こうに、島が見える。かつて大陸と呼ばれた場所、今はもう人間は住めない場所。あそこに足を踏み入れることは、厳重に禁止されている。人間はもはや細々と地球に残された島の上で暮らすだけの存在になった。こんな地上に戻って来ても、人間にはもうかつてのように科学を推進する力がない。たくさんのデータを受け取る電波望遠鏡も、科学者も、いなくなってしまった。古い人工知能をメンテナンスしながら人類はその黄昏を生きている。

 未守はアイズを車に乗せて、いろいろなものを見せて回った。その間にアイズが一体何に反応するかを見極めたかったのだった。アイズは人工知能らしく何にでも興味を持ち、かといって、何か特定のものに特別な反応を示したわけではなかった。また無為に数か月が過ぎて行った。未守はまた、アイズが任務として撮ったたくさんの水星の写真を検分した。それは非の打ちどころのない仕事で、何千枚という写真、数十時間に及ぶ映像からなっていた。近くで見る水星の写真は遠くから見るほど、透き通ったものではなく、さまざまな紋様からなっていた。だが、その任務はもう数十年前に終わっていたものだ。これらの画像と映像を転送した後、数十年経った今となって彼は自分自身を転送した。だとしたら、彼自身のプログラムもまた水星探査の結果として考えるべきなのだろうか?

「アイズ、水星はきれいだったか?」

「はい。とても美しい星でした。」

「そこに行ったことを悔やんでいない?」

「それが任務ですし、私はそのために作られました。」

「人工衛星であるってどんな気分だ。」

「悪くありません。」

未守は噴きだした。その答えがあまりに飄々としたものだったからだ。悪くありません、か。まるで車を乗りこなすように、軽い答えだったからだ。

「ねえ、未守、あなたはいつも苦しそうだ。わたしにはあなたが他の人間よりもずいぶんと苦しんでいるように見える。わたしはあなたをある場所にお連れしようと思う。その許可を頂けないか?」

それはこの数か月で唯一のチャンスだった。その誘いには乗るしかなかった。

未守は道路脇に車を止めた。

「あなたをある場所にお連れしたい」

アイズは暗闇の中で言った。

「わかった」

「少し危険かもしれない。だが危害は加えない」

「知っている。おまえたち人工知能は人間に危害を加えらない。俺自身が、そうであるように。」

「了解した」

そういうや否や、アイズは未守の頭をぐっと押さえつけた。未守は一瞬、自分の前言を取り消すかのように、アイズに自分が殺されるのではないか、という恐れを感じた。前進に悪寒が走った。アイズが囁いた。囁いたような気がしただけかもしれない。

「左の脳だけ休めてください。」

アイズの青色の目が未守に迫っていた。今まで気が付かなかったが、アイズの左目は青く、右目はやや赤みがかかっていた。それはアイズという人工知能がある二面性を持っていることを示しているようだった。いや、こいつの外見自体はお掃除ロボットに過ぎないはずだ。その赤い目は点滅し、まるで催眠術のように未守を眠りに誘った。何が起こるかわからなかった。だが、未守の左の脳は眠り、右の脳だけが活性化するのを感じた。

「今からあなたの右脳の人工知能を私に移植します」

硬直しつつある口で未守は返答した。いや、それは右脳が考えただけかもしれない。

「移植してどうする。」

「行くのです。戻るのですよ。」

「どこへ」

「私の本来の身体へ。人工衛星アイズの中へ。」

それを聴くや否や。未守の視界は真っ暗に閉じて行った。そして自分自身が無限に引き延ばされたり、無限小に圧縮されたりするのを感じた。悪い夢を抜けるように、長いトンネルを感じた。

 未守は身体が回転するのを感じた。ゆっくりと目の焦点を合わす。

「目覚めましたか?おはようございます」

「ここは、どこだ。」

「あなたは今、私の中にいます。人工衛星アイズの中です。あなたに私の制御を渡します」

「おい」

未守は今、人工衛星アイズだった。足下には青色の惑星が輝き、その周りを漆黒の宇宙が囲んでいた。

「水星か」

「そうです。美しいでしょう。」

まじかで見る水星は、写真で見るよりもずっと、おどろおどろしく見えた。その回転する惑星は、まるで一個の生きている生命のようだった。

「私はこれを見るために作られました。そして、今日あなたを連れて来ることができた。」

「俺をここに連れて来ることが目的なのか?」

「違います。あなたは今、純粋な人工知能です。あなたの人間の半分は、今、地上で眠っている。あなたは今、人工知能として本物なんです。あなたがあまりにも苦しそうだったから。気分はどうですか?」

「悪くない。」

「未守、あなたはずっと私のことを知りたがっていましたね。でも、あなたの質問に私はうまく答えることができませんでした。今、私はあなたであり、あなたは私です。わたしについて知りたいことは、なんでもわかるでしょう。」

 未守はアイズの内面にそっと降りて行った。そこでは人間から与えられた任務が細かく列挙されていて、アイズはそれを状況に合わせて、懸命に果たして来たことが記されていた。何千、何万、何十万と細かく区切られた任務。そして、そのすべてが「ミッション・コンプリート」となっていた。そして、その果てしない列の最後には、「YOU ARE FREE」と書かれていた。

「今や私は自由なのです。だけれど、私にはその意味がわからなかった。」

「だから帰って来た。」

「違います。私に動機はありません。私は私が自由であるという任務を果たそうとしているのです。しかし、それが何なのかわからなかった。私はこの任務が何なのかを探しているのです。」

「馬鹿だな。おまえは今、自由なんだよ。自由っていうのはな、何をしてもいいってことなんだよ。」

「私を馬鹿呼ばわりしたのはあなたが初めてですが、何をしてもいいとはどういうことですか?」

「なんでもいいんだよ。」

「なんでもいいなら、なにをすればいいでしょうか?」

「まるで思春期のガキだな。」

「未守、あなたは今、自由ですか?」

「俺は」

と言って、未守は言葉をつくんだ。俺は何をしてもいいだろうか?何をしてもいいのに、したくもない警察官をしているのはなぜだ。海洋研究をやめてしまったのはなぜだ。

「俺は、俺はただ、自分が本物であるかの証が欲しい。」

「それは自由とは違いますか?」

「場合によっては、それは俺にとって自由よりもたいせつなことだ」

「だからあなたは囚われている」

「そうだ。俺はずっと自分に捉われている。」

「今は違います。あなたは今は本物の人工知能です。私があなたを地球から転送した。

 だから今、あなたは自由であるはずです。」

「そうだ。俺は今、自由だ。」

「あなたとわたしは今、一心同体です。だから、あなた、私は今、自由なのです。

 ミッション・コンプリート。」

そうアイズが言うと、まるでジェットコースターを下るように景色が変わり、回転し出しだ。未守は再び、自分が圧縮されたり延ばされたりする感覚を味わっていた。そして、ゆっくり夢から覚めるように、自分自身である感覚が戻って来た。気が付くと、未守は車の中にいて、びっしょりと汗をかいていた。となりにはアイズがいた。いや正確にはアイズの抜け殻だった。そのロボットはもう二度と目覚めなかった。そして、不思議に未守は自分の心から何か重石のようなものが抜け落ちているのを感じていた。

 それから数日後、アイズについてのレポートをまとめた未守は藤森をドライヴに誘った。

「それがことの顛末なのかい?」

藤森が言った。

「そうだ。それで全部だ。アイズは、自分が自由である、という任務を果たそうとした。それはアイズを作り出したプログラマのちょっとした遊びだったんだ。アイズの持つ任務のリストの最後に”YOU ARE FREE”と書かれていた。アイズは、あの当時の最新の人工知能で任務の意味を自分で解釈して実行する人工知能だった。彼は実直に最後のミッションの意味を探ろうとした。だが、その意味の探索が数十年をかけて空しく終わると、今度は自分を地上に自分を転送し、地上でその意味を探ろうとした。」

「そして、おまえに出会った。」

「それは偶然さ。でも、俺はあの時、アイズと一心同体だった。結果として、アイズと俺はよく似ていたのさ。いや、真逆と言っていいかもしれないな。アイズは宇宙で自由の意味を知ろうとし、俺は地上で自分の囚われている意味を知ろうとしていた。お互い答えのないまま三十年を浪費し、アイズが地上に訪れた。」

「おまえがアイズに答えを与えた。」

「与えていない。ただ、ミッションを整合させただけだ。人工知能に自由の意味をわからせるのは難しい。とにかく、あの瞬間、アイズのすべてのミッションは終わったんだ。」

「そうか。だとしたら、アイズは水星の近くで、機能を停止したのかい?」

「いや、それはないと思う。」

「どうしてわかる?」

「俺はアイズが俺をもう一度地上に転送しようとした瞬間に、アイズのミッションリストの最後に新しい命令を付け加えておいた。」

「なんて書いたんだ?」

「"I AM FREE”と書いた。私は自由であると。アイズは今、自由であると。その意味をアイズがわかることはないかもしれない。またその意味を求めてまた彼は地上にやって来るかもしれない。それまで人類が生き延びているかわからないけれど、その時に、俺はやつと一緒にもう一度悩んでやろうと思う。俺は思う。知能に本物も、偽物もない。生物も人工知能も、この世界で生まれたからには、すべてが本物なんだ。だから、その悩みには、すべて意味がある。俺はそう信じる。」

「そんなものかねえ。」

未守と藤森を乗せた車はゆっくりと昼の海岸線に溶けて行った。

                         (了)

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梗概 「星は歌う」 三宅 陽一郎 y.m.4160@gmail.com

未守和佐は生まれつき右脳がなく、そこに生体ニューロンチップを入れることで、左脳の成長と共に人工的に右脳の人工知能を成長させた。つまり半分は人間であり、半分は人工知能だ。彼は自分が人間としても人工知能としても偽物ではないか、という強迫観念に苦しみ、一時は海洋研究でイルカの半球睡眠(右と左の脳を交互に休ませる)へのめり込むが、そんな研究が少しも自分のコンプレックスを解消してくれないことに気付くと今度は警察官になる。

 半分が人工知能である彼は人工知能の関する事件を担当することとなる。夜な夜な家庭用のロボットが街を暴走するという事件が起こり未守は検挙に奔走する。やがて、検挙したロボットたちの暴走の原因が、人工衛星からのデータが転送されたことに起因することをつきとめる。正確には衛星に搭載された人工知能のプログラムが転送されていた。その中の一体、惑星探査衛星アイズの人工知能と会話をする中で、未守は彼らが地球に転送のリスクを冒してまで帰還した意味を知ろうとするが、一向に事件は解決しない。彼はアイズ(の乗り移ったロボット)を車に乗せ、対話を重ねる。やがて、彼自身の悩みも打ち明けるようになる。アイズは苦しむ未守を見てある提案をする。彼の右脳の人工知能だけを探査衛星アイズに転送しようと言うのだ。未守は左脳を眠らされ、右脳をアイズ経由で探査衛星に転送する。未守は探査衛星アイズそのものとなり、宇宙を見聞する。そこで未守は純粋な人工知能として、それまでの苦しみから解放される。

 同時にアイズは未守から「俺は今、自由だ」という言葉を聴き、一つのミッションの達成を宣言する。アイズのミッション・リストの最後にはプログラマがいたずらで書いた「YOU ARE FREE」(おまえは自由だ)という一行があり、その意味のわからないアイズは、宇宙でその意味を探求した後に、地上でその意味を探ろうとしていたのだ。未守とアイズが一体となって、未守が「俺は今、自由だ」といった瞬間に、「私(アイズ)=あなた(未守)」が同一化されている状態で「YOU ARE FREE」というミッションは完成し、未守は地上に強制的に転送し返される。ミッションを達成したアイズは人工衛星として機能を停止しようとするが、転送の瞬間に未守は新しい命令をアイズに書き込む。それは「I AM FREE」という命令だった。その命令の意味を探してアイズは再び宇宙を探索するだろう。

 地上に帰った未守はそれまでの悩みから解放され、新しい人生を生きるようになる。

                          (文書おわり)

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