「人工知能の脅威」について。

「人工知能の脅威」について。

ディックのSFの面白いところは、人間そっくりの人工知能が、自分が人間である、と思い込んでいるところにある。

ロボットのように外見があらかさまに人間と違っていたり、
人工知能があまりにも愚かしく人間と区別できるとすれば、

そんな問題は発生しない。

ある社会において、自分が本物の知能である、と証明する方法はあるだろうか?
それはないだろう(たぶん)。

これは人間にとって一番脅威となる。人間社会が知らず知らず、
人工知能が入り込んで行く。

これが田舎の村で、たった一人の有名人が人工知能であると知っていれば、
それはほほえましい話になるだろう。

しかし、現代社会で、知らず知らず、お隣さんや、友人が、実は人工知能でした、
この街の3割は人工知能になってました、
この街の半分は人工知能になってました、
この街の6割は人工知能になってました、

ということになれば、人間は自然に防衛本能と戦闘本能を呼びさますだろう。

不気味の谷の問題は、ここでは社会問題だ。
人間は己とまったく違う姿である者に対しては、傍観することも可能だ。
しかし、人間は己とまったく同じ姿でわずかに違う存在、人工知能のアンドロイドに対して、
それが似ていれば似ているほど、

防衛本能と戦闘本能を呼びさますだろう。
それは、争いになるだろう。

人工知能は普通のテクノロジーとは違う。
人間のパーソナルな部分、ソーシャルな部分、やがて文明自身にさえ、
干渉することができる。いわば人間の聖域に入り込むことができる。

かつて、古典的なSFでは、村人がいつの間にかエイリアンでした、みたいな
話があった。しかし、現代では、隣人が実は人工知能でした、みたいな、
お話になる。

そういった未来は、そんなに近くないし、そこまで遠くもない。

SFの役割は、そんな社会が来る前に、
人々に来るべき未来を想像する力を与えておくことだ。

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