詩集

詩集 「青空の果て」

僕が憧れたことや、僕が喜んだことや、僕が悲しんだことや、僕のそんな歴史を。


一. 「空と大気の詩」

夕暮れは、いつだって、僕のこころの色。
さびしくて、せつなくて、遠い彼方に何かを求めずにはいられない

どんなに孤独でも、僕の孤独はこの世界に包まれている。
それは、とっても、素敵だなって、そう思うんだ

空はいつだって僕の最高のアーティストです。
あんなふうに大きなキャンバスに、自在に混沌と調和を扱えたら、
どんなにか素晴らしいだろうに。
僕のあわれで小さな魂は、いつも、そう、憧れるのです。

空を駆ける僕の悲しみよ
おまえは高い大気の冷たい風に吹かれても
なお懊悩を冷ますことなく
地上では叶わぬ天上の光を受けるとも 

自ら治めることなし
ただ奔放と自由の軌道をめぐり
地上の艱難辛苦を眺め
とはいえ降り立つこともなく
星に逃れることもあたわず
力尽きるまで走り続ける

どこまでも空っぽで、満たされることはない。
まるで、この宇宙みたいに。

風景の半分は、いつも青空なんだよ。

大空は自由で、そして哀しい。

この心も、この体も、一つになったみたいに、
凍てつく時間の下を、くぐり抜けて行く。
目は虚ろに、足取りは重く、この曇天の下で、
声にならない叫びを叫び、見えない向こう探して、
手を延ばし裏切られ、それでも進んで行く。
生きるってそういうことだろう。いや、間違っているだろうな。僕は。

夜の雲を眺めるのが好きです。
自分という狭い井戸から眺める空は、いつだって、
この世界を覆う偉大な存在の広がりを、感じさせてくれたのです。

自分の心が怖くて、青空高く逃げ出す

高い空は僕自身であり、白い雲も僕自身であり、
風はまっすぐに僕の心を通り抜けて、
僕はただ透明な空虚としてこの世界に存在する。

空の涙は大地を癒す。
では、人が一人で流す涙は何を癒すというのだろう?
それはその人の心にしみわたり、優しさとなって世界に還元される。

どんなに孤独でも気にする必要はない。
立ち止まる必要もない。
他人を求める必要もない。
君が自分の価値あると思う方向に十分に速く走ることができれば、
そこには自然に人を引きつける気流が生まれるのだ。

世界は美しく、僕は悲しい。

答えがなくてもいい、涙を乾かさなくてもいい、命ある限り、
与えられた運命の前に敢然と立って、歩いて行こう。
僕はそういう人の味方でいたい。

二.「命の詩」

僕たちは見えない涙を流し、聞こえない歌を歌い、口に出せない想いを抱いて生きる。

誰も命を否定することはできない。だから、あなたの芸術に命を吹き込めばよい。

生きる目的を失っても、生きる意味を見失っても生きていていいです。
それがないからって生きていていけないことはないです。
ただ生きて行くしかない日々も、祈るように生きる日々も、
誠実に耐えて生きることを馬鹿にすることはできない。
やがて世界の大きな手が再びその人を高い日々に引き上げるまでに。

命を大切にするとは、毎日を大切にすること。
毎日を大切にすることは、時間を大切にすること。
時間を大切にすることは、今を大切にすること。
今を大切にすることは、今を積み重ねる人生を大切にすること。
今が積み重成る人生そのものが作品であり、人生を完成させることに励むこと。
今とは自分の行動であり、言動であり、心である。
自分の思いと行動と言動を積み重ねること。それが未来の自分と人生を築く。

僕たちは、みな違う才能の箱を持ち、そこには全く形の違う鍵がかけられている。
だからそれぞれに合う形の鍵を探し求め、違った道を辿り始める。
でもいつか巡り合う。
僕たちはみんな同じ光のカケラだから。

お前が世界の矛盾の前から逃げずに向き合い、
問題を自分の内側で結ぶことができたのなら、
おまえはこの世界の力強い結節点の一つとなるのだ。

どんなに苦しんでもいい。どんなに嘆いてもいい。
だが、生きていることに感謝し、
おまえの命を今日から明日へ運ぶんだ。それが一番大切なこと。

楽に生きることが目的ではない。
ケースにしまわれることが楽器ではないように。
演奏会で自らを震わせることが楽器であるように、
人間であることは心を震わせて生きることだ。

三.「光と闇の詩」

あなたが自分だけの暗闇を通り抜けることができるなら、
その向こうにはあなただけの栄光がある。
その時、あなたが引き受けた暗闇はあなた自身になる。
人と比べる必要なんてない。

あなたの心の中に誰もたどりつけない暗闇があるのは、
あなたがあなたであるためと、
あなたにしか出来ないことを人のために行うためです。

汝が魂は深い影の中にあり、二度と光にまみえることあらん。
されど、この暗き洞窟の、深きぬかるみを前進することなくば、
汝が魂の再び出づることなからん。

青い空に白い月だ。それは夜明けの、孤独を慈しむものの、淡い象徴なんだ。

立つことあたわず、走ることあたわず、歩くことあたわず、
暗き谷間に捕らわれし魂に、光を与える、
そんな存在になりたい。僕自身のためにも。

二つの大きな力の間に穿かれた深淵、それが僕という存在だ。

四.「星と月の詩」

  星の光で
心を満たせば
冬の大気は
宇宙につながる。

星の光を編んで 弛まぬ夜を作る

心が破れそうな夜は、どうやって生きればいいんだろう。

まぶしい月だ。今夜は、月の光で顔を洗おう。
そしたら僕も、なくしたはずのやさしさを、きっと取り戻すことができる。

星を見てる。僕は迷子でも。


  こうして月を見上げていると、まるで海の底にいるような気分になる。
それはきっと我々の祖先が、何億年もかけて、海から陸に向かって、
ゆっくりと進化して来たからかもしれない。

誰にも伝えられないせつなさや、
誰にも言えない苦しみは、
この月の光が掬って宇宙の風に戻してくれる。

ここは地球の果てで、僕はきっとここに心を置き去りに来た。

こんなに満たされた月の光の前では、どんな嘘もつけないんだろう。
月の光はただまっすぐに人の心に突き刺さる。

月の一つ一つの光に名前がないように、
僕もただひたすらに、
この地上に降り注ぐ光でなければならないんだ。

心が空虚なら、月の光で満たされればいいのに。そしたらきっと、みんな優しくなれる。

井戸の底から見上げている気分なんです。
今宵の月は、ただもう目が離せないほどに、明るく美しい。
僕の憧れのように。

夏の月夜の空が明るくて、こんなにもせつないのは、なぜなんだろう。
あの月の光を追って、いつか、どごまでも、どこまでも歩いて行く

渋谷から帰る。空には星がある。
あらゆるレトリックの秘密を、僕は知っている。

僕は、この暗闇の中で、僕の失くした形を取り戻す。

人間である限り、あなたは自分の内側に、この宇宙の半分を持っているのですよ。
それを忘れてはなりません。

たとえ見えなくても、無数の星の光は、おまえを包んでいる。

夜の雲は何を運んでいるのだろう?
きっと、誰にも読まれなかった物語を、物語の国へ運んでいるんだ。

心はまっすぐに槍に貫かれる。思い出の場所に釘付けにされて、
 もう一歩も動けない僕は、
月を眺め続けるしかない夜を、何度も繰り返し続ける。

月も僕も一人だが、月は万人に優しい光を投げかける。
そんな光を眺めながら、僕はただ一人立ち尽くす。自分の影を眺めながら。

この闇は、僕の闇だ。

僕と僕の暗闇と、僕の持つ光。

力なく夜の街にへこたれて僕は星をみつめる。
僕の涙にも、僕の苦しみにも、名前を与えることができずに、
まるで物語の中から追放された主人公のように、一人立ち尽くす。
言葉もなく、色もなく、形もなく、
たくさんの流れが僕の前を通り過ぎて、
潰れそうな心を抱え行くあてもない闇の中を駆け抜けて行く。

銀河を砕いて星を降らせましょう。
風と木と草できみのためだけに楽団を作りましょう。
そうして君の目と耳を楽しませることができたら、僕はきっと幸せだ。

星を砕き、光を紡いで、二つの夢と夢の間で、僕はたった一つの願い事をする。

天空の月の光は、僕たちがこの地上に生きる意味を教えてくれる。

僕の心は悲しいけれど、今宵の月はきれいだな。
月の光は、どこまでも純粋で透明で、この大気の下で、
涙の乾いた僕の瞳を、優しく撫ででくれる。
五.「風の詩」

遠い汽笛に 遥かな夢を思い出す。
夜の風の向こう側 揺れ動く森の影の中
ぼくはゆっくりと目を閉じて 心深く新しい目を見開くのだ。

  君は誰にも見えない帆を持ち、誰にも見えない風を受け、
誰も立ったことがない大地へたどり着くことができる。
君を批判する人は多いだろう。
だが君にしかできないことがあり、新しい可能性を人類に与える。

風よ、生きよ。僕たちのために。

大人になれば強くなるんだと思っていた。
それどころか、ますます僕は弱くなって行く。
今もこうして、夜の雲を眺めながら、
樹々を渡る風のざわめきに身を任せて、
遠くから僕を呼ぶはずの声を探しつづける。

優しい風と、かすかな星の輝きが、僕の生きる糧なんです。

風は想い出を運ぶ。冬の悲しみを夏の空の上に。

夏の風はすべてつながっている。
あらゆる夏の想い出が、風に乗って、僕の胸へ帰って来るのだから。

少年は人生について思い悩み老師に相談しました。
老師は人生の答えは風が知っていると伝えました。
少年は答えを求め風を追いかけましたが、
風に追いつくことは決してありませんでした。
三年、少年はとうとう追い求め続けること自体が人生なのだと悟りました。
瞬間風の方が彼を包み込みました

風は翼を鍛える 鳥は空にまなび 決して大地に涙を落とすことはない

風は翼を育てる。

空であり、流れであり、光である。そう、私は風だったのだ、と、風は知る。

力もなく、雑念もなく、僕はただ、この世界を飲み込むんだ。

六.「鳥の詩」

  世界は空で、僕は鳥だ。
そう、どんなロマンの向こうにも、あるのは虚しさだけだ。
それを知っていても、なお憧れ、飛び、朽ちるのが、僕という鳥なのだ。
生きることは厳しい。そして自然は残酷だ。
しかし、それでも、飛ぶことは、生きることそのものであり、僕自身そのものなんだ。

翼を持ったら、それをせいいっぱい広げて飛ぶこと。
きちんと生きるってそういうことだよ。翼のない人はいない。

世界は空で 僕は鳥だ
風は翼を鍛える
鳥は空にまなび
決して大地に 涙を零すことはない

この重たい大気の下で、僕たちは、力強い翼を育てる。
七.「水辺の詩」

寝過ごして起きたら、遠くの知らない街。
僕はどうして、こんなに寂しい人生を選んだのだろう。
見知らぬ、でも懐かしい海辺をただ歩きつづける。

物語の終わりには海がふさわしいのは、海が広がりを持っているから。
物語は大きな広がりをもって終わるべきだろう。それは読者自身の広がりになるから。

情報は海だから、誰もそこに名を刻むことはできない。

孤独で飢えた人間にはロマンがある。
こんな夜の底で僕は思うのだ。
僕もかつてこの世でもっとも幸福な水を讃えた杯であったと。
残念ながら杯は壊れて中にあったものは零れてしまったけれど、
いつかどこかで、たとえば見上げた冬の夜空の向こうや、
気持ちの良い夕暮れの風の中で、出会うこともあるのだと。

涙の色は透明さ。だって、そこには、あらゆる種類の悲しさがこめられているのだから。

目を閉じて、自分の内なる悲しみの河の中へ溶けて行く。
その河の流れが運ぶ場所に、僕の求めるものがある。

ここが海底なら、目をつぶって、海の歌を聞くことができるだろう。

月は遠く高い。この世界の広さを教えてくれる。
こんなにも広い世界なら、僕の悲しみで満たすことはできないさ。

雨は大地を潤すが、人がひとりで流す涙は、何を潤すというのだろう。

暗い深淵の上に浮かぶ 限りなく薄い透明な板の上で 膝をかかえながら 
悲しみがあふれ出さないように 平衡をたもちながら 
誰もいない日曜日を 
涙をかわかして生きる 

人生に逃げ場はなく、そして逃げる必要もない。
どんなに体や知性や表面が違っていても、
我々は基本的に同じ人間であり、自分が苦しんでいるとき、
必ず同じように苦しんでいる、苦しんで来た人間がいる。
人は喜びだけでなく、苦しみを通じても、わかりあえることができる。
苦悩を通じても人は繋がり合うことができる。
苦悩の底には我々が通じ合うための河が流れている。

僕が放つ言葉が、どうか少しでも、受け取る人の心を潤しますように。

悲しみにくれるものにとって、疲れは恩寵だ。
それ以上悲しむことができないぐらい心が疲れたら、激しい動揺がなくなる。

風と雨はぼくの涙を隠してくれる友なんだ。

時間が果てしなく重たく感じるこんな夜は、
深海に住む貝のように身をかがめて、
遥か遠い銀河の蒼い流れに耳を澄ます。

雨だ。街と雨が出会って、僕たちはこの街も、
地球に抱かれていることを知る。

八.「草の詩」

夏の間、おまえの魂は苦しみ、真暗い回廊の中を彷徨うことになろう。
だが、やがて、秋が来て、葉が木から落ち始める時、
おまえの苦しみにも一つの解決が与えられることになろう。
たとえそれが、おまえの望んでいることではなくても。

さあ立て、おまえは与えられた時間の限り歩かねばならぬ。
広い大地を旅して、ありとあらゆるものを見て、
おまえがなす限りのことをせねばならぬ。
そうして水の上に自分の名前を刻むのだ。
やがておまえの朽ち果てる大地の上に、
ささやかで優しい花を咲かせんがために。

人間は苦しむ存在として皆、平等な存在であり、
喜ぶ存在としてかけがえのない存在である。
根と草と花がつながっているように、苦しみと喜びと悲しみはいつもつながっている。

心は森の深い闇の中で、夏の草木の息吹を吸って、ただ再び生きることを願う。

自然は与え、そして奪う。その円環の中で、僕たちは喜び、悲しみ、そして歌う。

カタチを失った僕は、夜の闇にまぎれて、疾走する。
ビルの足元を、行き交う車の脇を、風に揺れる森の上を。
たくさんの闇の中から、
僕は僕とよく似た闇を拾い集めて、
人間のカタチをなんとか取り戻そうとすれば、
見上げる月の光は太陽よりも優しく、
僕を溶かしてしまう。

  全力で生きると、全力で間違う。
僕たちは、そうやって何度も転んでは、
大地に涙を注ぎ続ける。
やがて、自分自身が大きな森となるまでに。
疲れ果てれば、力を使い果たせば、それ以上自分を苦しめることはない、って、
それも、やっぱり逃げている、だけなのかな。
月は高く登り、草原には風が吹き荒れ、
僕はただ運命と時間の淀みの中で立ち尽くす。
つぶれそうな心を抱えながら。

茨のように時と沈黙が僕の心に突き刺さる。
そしてこの茨の森の向こうに何があるかさえ僕は知らない。
でも心が血を流しても、
僕は自分をこの世界に活かすために進まねばならない。

結局、根のない人間は、成功の光や、賞賛の嵐で、枯れてしまう。
じめじめした暗い孤独の中の、コツコツしたたゆまぬ努力なしに、
どうして花を咲かせることがあろうか。

人生には、喜びや悲しみよりも大切なものがある。
涙も枯れ果てて、喜びも悲しみも通り越した絶望の果てに見出すものは、
生きているという命そのものだ。
この世界に脈打つその命の鼓動こそ、自分自身であり、あらゆるものの出発点だ。

あなたがしていることの行為が どんなにむなしく思えて
自分が虚無に囲まれていると思えるときも
命に根ざした あなたの時間と あなたの一日は
決して虚無ではなく むしろ命の本質だと 
僕は信じるのだ。

九.「街の詩」

  流れる雲を見続けるのが好きです。
夜の雲を。その下に輝く都市を見る時、
なつかしく、僕にもたどり着ける場所があると、信じることができます。

僕らは季節とともに夢を見る。だから夏の終わりはあんなにも切ないんだ。

心はいつも迷子で 夜景のともしびは
いつだって僕の 道しるべなんだ。

都会の真ん中で迷子だよ。
正確な位置も、地図も持っているけど、心が果てしなく
迷子なんだ

眠りは僕を苦しみから苦しみへ運ぶ。
本や物語は現実から現実へ運ぶ。
だから夢や物語の役割は、
逃げ込むベクトルを生きるベクトルに変えることかもしれない。
僕の胸は苦しいけれど、風と空が輝いた日はきれいだな。

夕暮れが、孤独を加速する。僕にとっては、
愛する女性が、世界の中心なんだ。

夜に取り残された遊園地のアトラクションみたいに、
来る人もなく待ち続けるひたむきな孤独を、僕は抱える。

僕たちは、季節を愛する。雲を越えて、 風を越えて。

寝過ごして起きたら、遠くの知らない街。
僕はどうして、こんなに寂しい人生を選んだのだろう。
見知らぬ、でも懐かしい海辺をただ歩きつづける。
ピアノの音と共に。

雨上がりの 新しい街は ぬかるみの中で 新しい風を待っている。
十.「時と精神の詩」

失われた夢のかけらを集めて 僕たちは物語をつむぐ。

今と昔があるから未来がある。
今を今として見えない人間には未来など見えません。
目の前に落ちている石ころに、宇宙の誕生から現在までの歴史を見ることができる人間は、
この世界の発展の息吹を知るでしょう。

私の心に世界が映る。
その鏡の正体が知性だよ。それは普通の鏡ではない。

跳びたいな。自分の向こう側へ。

動かしがたい事実は、個人の神話になって行く。

若い頃、僕は生きることの底なしの不安を、
なんとかして埋めないといけないと思っていた。
そんな空虚を抱えて、生きることなどできないと思ったからだ。
でもそのうち、僕の手ではその大きな空洞は埋めることができず、
また埋める必要もないと悟った。
そして気づけば、僕だけが空っぽのまま残された。 

「三宅さんていったい誰なんですか?」「僕は僕さ。たとえ空っぽの人間でもね。」

我々が自分で最も神聖であると感じる思いの横にこそ、
我々が堕落する最も深い罠がある。わからないが、そうなっているのだ。

「どんなに頑張っても、人間は世界の現象の一部なんだよ。」
「それは悲しむべきこと?喜ぶべきこと?」
「わからない。でも、だからこそ世界と人間は、見かけ以上に、
どこかで繋がっているかもしれないね。」

本当の孤独は一人ではなくて、本来自分が一緒にいるべきない人といる時に訪れるものだ。

人生は不思議なものだ。絶望が深くなれば、希望もまた深くなる。
そうやって人生はぼんやりとしたものから、
はっきりと陰影のついた姿として我々の前に現れて来る。
我々はそれを運命と呼ぶ。

悲しみや、絶望の中で、人は受け入れることを学ぶ。
何かをつかむためには、まず自分が、
それを受け入れることができる、ふさわしい人間になることだ。

汝が耐えた今日という日は、明日おまえが立つ礎となる。
一日を損なうものは一生を損なう。
一日一日を大切に生きることだ。
それはこの世界と過去のすべてから与えられたものなのだ。
おまえは世界から常に与えられ、与えられることによって問われている。
本当に生きろ、と。
物語を愛するのに才能はいらない。なぜなら、我々自身が物語だからだ。

この悲しみは僕のもの、この溜め息も僕のもの、この時間と涙も、僕のもの。

あらゆる瞬間を、過去からも、未来からも、常に新しく生きようとすること。

心はひとつしかないのに、こんなにも弱い。

この世の始まりが、おまえの内にあるなら、
この世界の果ても、おまえの内にあるのだ。
始原と終焉を併せ持つおまえのみが、目の前にいる人を救えると知れ。

癒えることのない心も、見えない痛みも、
抱えて、抱えきれずに、
泣いて、泣きやんで、
自分の形が崩れて、取り戻して、
そんなことを繰り返して、僕たちは生きる。

運命が鉄杭を下す前に、
人は自分の本質を、毎日毎日、繰り返し、乗り越えようとしなければならない。

人が使命を得るのは震えるほどの感動の中か、底を打つような苦しみの中です。
だから、もし、今自分がそのどちらかにいるとしたら、
自分の使命はすぐ近くにあるのです。

物語が人を感動させる力は物語の中ではなく、
それを読む人の中にあります。
物語には、その人が持つ苦しみや悲しみの解放と昇華を通じて
人に影響を与えるという力と責任が伴います。
物語の力学によって牽引する物語から、
優しく人の心を理解し引き出し導く物語まで、
物語にはたくさんの可能性があります

人は皆、心に畑と森を持つべきだ。
実際の畑も森も持つことは難しいけれど、
生命とつながる、その人なりの畑と森を持つべきだ。
生涯に渡って耕し続けられるような内面の豊かな畑を、
神秘と内奥を深めて行けるような深い森を持つべきだ。
それは命の深い原理とつながって、
人を強く生かしてくれるはずだ。

孤独を超えて高い運命に登る。

進まねばならぬ。我もまた、シジフォスの末裔であるがゆえに。

あまりにつらいことが、たくさんあったから、
僕は自分自身を捨てるべきなのだと思った。
でも、違ったのかもしれない。僕は自分自身を活かすべきだと。
それは、自分を捨てるより、ずっと高く辛い試練だが、希望がある。

自分らしくあることは、今の自分を解放することではない。
そんなことをして自分自身に閉じ込められても、ちっともいいことはありません。
何をやってもいい、しかし、毎日自分自身の努力によって、
今日の自分を超えて、明日の自分になること、
自分自身を掘り下げて行くことが
本当の自由です。
人は一生をかけて自分自身になる。

  

十一.「生きるための詩」
 
人を愛することは、人を理解するところから始まる。
人を信じることは、自分を信じることから始まる。
人を尊敬することは、自分を知ることから始まる。

自分にはできないことを軽々とする他人と出会うとき、
僕たちは、この世界の広さを感じることができる。

毎日を心から生き、自分自身を最大限活かすこと。
苦しむ同胞のことを忘れず、彼らのために自分を役立たせること。

毎日、一歩でも今の自分の向こうに行こうとするのが人間ではないのか。
違うかな。違うんだろうな。頑張っても、頑張らなくても、僕はただただ愚かなのだ。

本当に大切なものをみつけたら、僕自身さえ、いや、僕自身こそ一つの手段になる。
自分の使命のために、自分を捧げるのではなく、自分を活かすこと。
不思議なことに、そこに本当の自由がある。

出来上がった物語をいくら吸収しても、自分自身の物語を作れない。
それは陶器から陶器を作れないのと同じだ。
未だ物語にならぬ何かを自分の内側に持つことだけが、その人をして物語を作らしめる。

この魂の苦しみが、どうか僕をこの世界全体のために活かすための試練でありますように。

人が人生に意味を問うように、人生は毎日あなたに問いかけている。
もし人生に意味があるならば、問いかけが一方向であることはあり得ない。

物語が閉じようとする時に感じる郷愁に満ちた思いは、
物語はつまるところ人生なのだと教えてくれる。

友達を愛するということは、その人の可能性を愛することでもある。
その人の持つ資質を見抜き、背中を押したり、場を用意しようとすること。
その人の最も深い要求に応えようとすること。
それが友達に対して責任を持つということだ。

さあ、立て。憐れな自分を眠りの中に帰してやれ。そうすれば、明日がやって来る。

崇拝ではなく、一人の人間として誰かを尊敬することは、
いつか自分自身を救うことになる。
なぜなら、誰かを尊敬することは、この世界に価値があると信じることでもあるから

どんなに自分が悲しみに沈んでも、人に与えるものは、
命の根源につながった活き活きとした、瑞々しいものでなければならない。
今、自分に負けたらダメだ。

僕もいつか誰かの希望になれるだろうか?

一つ決めたことがある。僕は人の苦悩とともに生きよう。
自分自身の苦悩とともに生きよう。それとともにあり、
それらを少しでも和らげるために自分を活かそう

どこにも答えがなくて、どこにも理由がなくて、どこにも出口がなくて、
こんなに苦しんで、こんなに泣いて、生きることはなんなのだと叫んで、
それでも僕はこの世界を必至で抱きしめようとする。

「青空の果て」

二○一二年一一月一六日発行

著作 三宅 陽一郎
y.m.4160@gmail.com
twitter :@miyayou

編集・発行 三宅 陽一郎
http://www.facebook.com/youichiro.miyake

この詩集は 僕が毎日twitterやfacebookにつぶやいた言葉たちから編んだ詩集です
悲しみや憧れや、ささやかな喜びから来たこの言葉たちが、
読者の皆様に再びつぶやかれ、  
たくさんの心地よい風を受けることができますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?