タンホイザーの涙 テノールとの対立Ⅱ

秋の演奏会が終了してから三木は癇癪を起こすことが多くなった。きっかけは些細なことばかりである。楽譜の整理がなっていない、練習に遅れた(無論、講義が長引いたため)、仕事量が多すぎて。挙げ出したらキリが無い。さらに三木はヴァイオリンパートの同期男2人に何度も謝罪を迫るようになった。「アタシがこんなに考えているのに!」これは三木の口癖になっていた。別に謝ることへの抵抗が無い我聞と桜井は三木の気が済むまで謝り続けた。そうすれば三木の癇癪は収まり、平穏が訪れるからだった。しかし、そんな対抗策も暗雲が立ち込めてきた。三木は楽団員室に謝罪要求メモを置いていくようになったのだ。これはお互いに講義が忙しくなってきて話し合いの時間が確保できなくなったためである。そのメモが他の楽団員の目に留まってしまったことが全ての過ちであった。特に叶女は三木を問題視した。叶女はクラリネットパートの同期であり、三木とは別の意味で気が強い。叶女は秋の演奏会でこそ三木の手伝いを自ら進んで行い、仕事をしないヴィオラの同期に敵対心剥き出しであった。そして三木のことを心配している節もあったのだ。三木はというと、途中で入団してきた叶女になかなか心を開けず、我聞と桜井にばかり泣きついては慰められていた。そのことも火種となってか、メモの件を知った叶女は烈火の如く怒りを露わにした。もともと酷い投稿が多かったSNSでは名前は出さないにしても三木を散々こき下ろす投稿が続いた。叶女は三木とSNS上でのつながりは無かったものの、他の団員のSNSを通してその投稿を見つけてしまったのだ。ここからは絵に描いたような泥仕合であり、三木は本当に叶女嫌いとなり、ことあるごとにヴァイオリンパートの男2人に自分の正当性の同意を求めたのだった。我聞と桜井は三木の癇癪にはうんざりしていたため、三木が落ち着くならいくらでも同意した。他方の叶女は別に同期へ三木を貶めることへの同意を得ようとはしなかった、というより12月に行われる演奏会の準備でそれどころでは無かったのだ。気の合わない相手がいようと、先輩の現役最後の演奏会をカタチにすることが至上命題であると叶女は認識していたからだ。その点は自分の機嫌を優先する三木とは大きな違いであった。
秋の演奏会が終わってから冬の演奏会に向けた2カ月は怒涛の忙しさであった。キャンパス内と大学の最寄駅近辺、演奏会場近辺でのビラ配りに始まり、学生街の飲食店への広報活動、演奏会用パンフレットの印刷、楽器搬入・搬出のデモンストレーション、エキストラの演奏者とのやり取り、気まぐれで練習に来ない指揮者への対応と、楽団員は総出で演奏会成功を目指したのだった。

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