第1回《Lascia libera la gola》

 フレーニ先生のレッスンは厳しいです。大変厳しいです。最近でこそ慣れてきましたが1週間のレッスン中、毎日ひとりは必ず泣いていました。私も何度ノイローゼ気味になったことでしょう。レッスンの前の週になればレッスンで怒られる夢を見るようになり、レッスンの週は何度もうなされて目を覚ましていました。

 どうして、このような状況になるのでしょう。それは、先生がレッスンで使われる言葉の9割くらいが"Lascia libera la gola"と"Su, avanti"の二フレーズに占められているからです。学生はいろいろな方法を試すのですが、どれもうまくいかず、だんだん引き出しがなくなっていきます。そして、結局この2つのフレーズのみで注意されるものですから、まるで追い詰められていくかのような感覚に陥るのです。

註:歌えるようになってくると、そんなことはありません。先生と勉強し始めて1、2年くらい、声が定まるまではこればかり、ということです。

 前者は「喉をそのままに」、後者は「上へ、前へ」ということが直訳になるわけですが、これを直訳で理解していなかったことが、長年私を苦しめることとなりました。


 まず、フレーニ先生と勉強するまでは「喉は開け」とずっと教わってきたわけです。

註:唯一、私が歌の勉強を始める前に五十嵐喜芳さんのマスタークラスを見学することがあり、彼のみ逆のことをおっしゃっていました。

 ですから、喉は開くものだ、という先入観がまずあるわけです。そして、そのせいで、「喉が窮屈にならないよう開いた状態にしろ」みたいに勝手に頭の中で変換してしまっているのです。

 しかし、喉が窮屈にならないように開こうとすることすら、実は余計な力であり、先生のおっしゃることとは異なるわけです。

 フレーニ先生のおっしゃることは"Lascia libera la gola"または、"Lascia stare"ですから、その言葉通りに考えると、「そのままに、あるがままにせよ」ということだったんですね。つまり、喉がそうなりたいなら、そうなるがまま、というのが私の解釈です。

 声帯は高音になればなるほど、他の筋肉の力を借りて緊張していくようにできています。その緊張の具合を「喉が締まっている」と感じてしまうと、そこに問題が生じてしまうのです。声帯は高音に向けて緊張していくのが自然なのです。ですから、声帯が緊張していくなら、ありたいがままに任せよ、決して別の筋肉で補助するものではない、ともいえるでしょうか。

 現にフレーニ先生は「喉は絶対に開くな」とおっしゃいます。そして、「あらゆる教師が『喉を開け、喉を開け』というが、私がそういう教師に出会ったらその教師をひっぱたく」などと、恐ろしいこともおっしゃられます。

 まれに、喉を締め付けながら歌ってしまう歌い手がいる場合には、"Non stringere, lascia aperta!(閉めるな、開いたままに!)"ということがありますが、これは非常に稀です。年に400時間以上一緒にいて、2、3回聞くかどうか、という感じです。ですが、やはり、通常の開いている状態のままにせよ、ということで、決して矛盾したことではありません。


 さて、フレーニ先生は喉について、"Lascia libera la gola"としかおっしゃいません。今思うと、それは真理であり、そうとしか言いようのない、金言でもあるのですが、当時、はっきり言って劣等生で、先入観の強い私は、その言葉のままご指導を受けたとして、全てがうまくいくどころか、いつも怒られてばかりだったわけです。

 先生のおっしゃることができないのですから、それでは、いつ破門されてもおかしくありません。しかし、自分の感覚的才能にすでに見切りをつけていた私は、どうにか先生のレッスンについていくために、解剖学、音響学、物理学、音声学など、様々な分野から、フレーニ先生のおっしゃることを自分なりに解明しようと努めました。

 ここからは、それらの内容をかいつまんで説明していきたいと思います。

註:なお自分の感覚的才能に見切りをつけたのは芸大に入学して間もない頃です。自分が好きなように歌うと誰にも評価されず、アマチュアの歌い手も、一般社会人も含め、あらゆる方に歌以外の仕事を勧められたものです。


 まず、喉を開く、喉が締まる、とはいったいどういう状態をさすのでしょうか?さらに言えば、人間の喉といわれる部位には、開け閉めできるところ、または空間を広げたり狭めたりできるところが、一体どれほど存在するのでしょうか?

 まずは図を見てみましょう。

図は「Out of bounds 補足資料S1: 喉頭および声帯の構造」より引用

 非常にざっくり言いますが、喉頭近辺で開閉できる箇所は、主に3箇所しかありません。その三つとは、「喉頭蓋の開閉」「声帯の開閉」「喉頭を下げることによる喉頭腔の拡大」です。順番に見ていきましょう。

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