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宮本亜門の作品を見て

別段、ディスりたいわけではなく、ものすごく示唆に富むというか、いろんなことを考えさせられた作品だったので、思ったことをまとめてみる。

舞台はセリフがないとどうしてもストーリーが分からない

90分間(KREVA以外)セリフのない舞台。「え、90分もやって、もつの?ストーリー展開できるの?」そう最初に思った。そして、案の定、どういう物語なのかよく分からなかった。

いや、おぼろげには分かるよ、主人公が挫折して、なんか宇宙人出てきて、気持ち固めて、戦うみたいな。だけど、この1行を説明するのに75分以上かかってるわけですよ。

人が気絶したのか、二人の関係は一体何なのか、敵はどこから現れたのか。そういう細かい設定は、さすがにパフォーマンスでは伝わらない。いや、絶対に伝えられない。なのに、何にも伝えてくれないから、こっちは考えるわけです。一応推測するわけです。でも、正解かどうかははっきりは分からない。だから、もやもやする。もやもやしてるからパフォーマンスされても、スッとは入ってこない。正直退屈です。

なのに、しゃべってはいけない理由が見当たらない。ダンスとパフォーマンスだけだからこそ作れるエンタメもあると思う。でも、この舞台でしゃべってはいけない理由が見当たらない。むしろセリフがあったほうが、絶対にこんな長々と無駄なパフォーマンスしなくていいし、ストーリーもよく分かる。

90分のストーリーを展開させるのには、さすがに文字情報がいるんじゃないか?って思った。だから、チャップリンとか無音映画をみたくなった。一体どうやって物語を展開していたのか。音声を使わない物語の作り方がものすごく気になった。


Wrecking Crew Orchestraは暗闇の中だからこそ映える

存在は知っていたけれど、見たことなかった。そして、目の当たりにして、めっちゃ興奮した!いい。最高にいい。

音楽に合わせて電飾がリズミカルに切り替わるのも、透過スクリーン使って、あたかも人間が浮いているかのような演出になるのも、電飾の切り替えによって(ストロボ)アニメーションのような見え方をするのも。すべてがよかった。今でもどうやってあの平面モーションを作っていたのか知りたくて仕方ない。

ペンライトと無線使った演出然り、Perfumeの紅白の演出然り、単なる新しい空間での電飾の演出にしか思えなくて、別になくてもよくない?制御しなくてよくない?ってものがほとんどだったけど、これは違う。ダンスと音楽と電飾、それを融合させるには制御しかないと思わせるくらい、見ていて完璧な演出だった。楽しませるための演出になっていた。ただ最新機材を使うための演出じゃなかった。

この欽ちゃんの仮装大賞を思い出した。途中、直立から横になっているような動きが見えていたからかな。この卓球の手法を使えば、三次元のダンスが四次元(時間軸込み)に見えることさえ可能だと思ったし、逆に二次元に射影することで、不思議な映像を映し出すことも可能なんだと思った。

これを考えた人、本当に天才。

だからこそ、他の演出がまったくもって邪魔だった。ふつうの人が出てくるためにスポットライトやレーザービームを使うから、Crewのメンバーがちらっと見えてしまう。光ってしまう。真っ暗闇の中に光って消えて光るからこそ美しいはずなのに、周りに光が漂っているために、完全によさが消えてしまっていた。それが最高にもったいなかった。

空気には暖かさの他に固さがある

45分が経ったあたりだろうか、いきなりアイドルがテレビから飛び出して、歌を歌い始め、僕らに手拍子を求めた。はっきり言って、やる気が起きなかった。

45分間よくわからないまま、ずっと座っていて双方向的でもない舞台。そこでいきなりアイドルが出てきて、僕らに手拍子を求める。「はぁ?」って思った。はっきり言って、お前たち都合じゃねーかよと。俺たちがやりたくてやってるなじゃなくて、台本にそう書いてあるから、その方が演出上盛り上がるから、僕らが手拍子を“しないといけない”。

まじで腹が立った。

吉本のまだ舞台デビューしてない芸人ですら分かると思う。空気が作れていないと、お客さんは動かないってことくらい。ただ見ているだけの舞台だと、完全に空気がそっち方面に固まったあとに、別の空気を作るのは至難。しかも正反対のインタラクティブな空気とか絶対生まれない。

しかもここは新国立劇場。客層的にも明らかに固い。なのに、完全に固めるテンプルで固めたあとに、なぜ、手拍子を求めたのか。

手拍子をさせたかったなら、もっと最初にそういうアクションさせたり、状況を作ったり、そうやって細かくお客さんを教育して、空気をインタラクティブな方向に固めていかないと無理なんだなって思った。

そのあたりは、が~まるちょばが最初にやるお客さんの巻き込み方を見習ってほしい。

人は見返りがあるからアンコールをする

手拍子を求められ、何人かのお客さんが手拍子をしても、音は爆音でかき消される、そして、手拍子をしたところで何がどう変わるわけでもない。

EDMのイベントみたいな音楽かけるなら、起立してリズムにノッたほうがいく分か演出に合っている。なぜ手拍子なのか。しかも、音楽のリズムも時々変わるわ、演者も手拍子求めてすぐ止めるわで、まったく人ののせ方がわかっていない。乃木坂の初期の生駒ちゃんくらい下手だった。

そもそもにして、手拍子は自分たちの奏でる音によって舞台演出が作られるところが楽しさなのであって、手拍子してもなんのフィードバックもないんじゃ、やってなくてもよくね?になる。ライブビューイングでアンコールをするくらい虚しい行為だと思ってしまう。(まぁライブビューイングまで行く人は大好きだから、フィードバックなくてもアンコールするけどね)

まぁ百歩譲って、叩いて体動かしたい人向けにはいいだろうが、だったら起立してリズムにノッたほうがよりよい。

なんというか、演出上大切なわけでもない、自分たちが盛り上がるにも物足りない。手拍子という演出は、この場合本当に最悪だったと思った。

最後に

と、宮本亜門さんという大御所をここまでディスってどうするんだと思ったけれど、最終的に「亜門さんだからこんな無茶なチャレンジできたんじゃないか!」「こんなどう見てもリハの段階で面白くないって演者全員が気づくだろ!ってのを、やりきったことがすごい!」「佐藤雅彦の課題のようにこんなの作れるかよ!ではなく、え、こんなんで舞台っていいの!?だったら俺でも作れるかも!!!」って思わせるために作ったんじゃないかと。

「青ペンのはなまるをあげたい」という同席者のセリフが最高に的を射ていた。

後輩たちに多大なる勇気と、舞台でやっちゃいけないことと、守るべき原則とを背中じゃなくて、本番で、新国立劇場で見せた宮本亜門さんは、度量の広い人だなと思った。まじで。イヤミとかじゃなく。