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森絵都 みかづき

友人S氏の推薦本。
灰谷健次郎の『兎の眼』にも通ずるテーマをガルシアマルケスの『百年の孤独』の手法で物語る、"教育"をテーマにした三代記。

"不条理な世の中を行きぬくための、たしかな知力を子供たちに"

どこかで聞いたことのある言葉だけど、この言葉を出発点に物語は始まる。明子と吾郎は志を同じくして八千代塾を立ち上げ、結婚する。
"塾"を舞台にありとあらゆる教育の問題に立ち向かい、時に飲み込まれ、そして新しい教育を世代をかけて切り開いて行く。

教育に携わる人間の9割がたは、子どものため、子どもの頭と心を豊かにしてあげたいという気持ちを持ってると思う。だけど、そこに世の中の潮流やら保護者の要請やら時間的制約なんかがのしかかってきて、それに押しつぶされるように志を見失う。

本来の教育というものは、成果が現れるのに一定以上の時間を要するし、その成果の現れ方が同じになることはない。だけど、ビジネスとしてそれを行おうとするが最後、"目に見える成果"を求められるようになる。
だから、ビジネスとしての教育には限界があるよね。という諦念ではなくて、本質的にはそうなのかもしれない、でも、それでも元々あった志を完徹させるためにはどうすればいいのか、ということを大島家の人間たちが三代に渡って人生を賭けて模索し、様々な形で答えを出して行く。

私は受験戦争に命をかけるなんてバカじゃないの?と思うし、評価機能を限りなくミニマムにした環境下のほうが個々の能力を伸ばせるんじゃないかと思ってる。
だから、千明のやり方には反発心を抱いたし、やっぱり学習塾なんて…と思うこともあった。
菜々美の言う、『がつがつ勉強して、良い大学に入って、いいところに就職して、お金をいっぱい稼ぐため?ほかのみんなに勝って幸せになるため?そんなせちがらい競争で人生つぶしてる段階で、もうみんな、全員が負けなんじゃないの?』という言葉にも激しく同意した。
でも、文科相と民間の塾が太陽と月の関係であるように、"勉強"と"学習"もまた、太陽と月のような関係になるんじゃないのかな、と少し柔軟な気持ちになれた。

この本には"もっと子どもを信用しようよ"という気持ちが溢れんばかりに込められている気がする。教育って"受けさせる義務"のほうが"受ける権利"よりも存在感があるから、どうしても"大人が求める理想の子供(というかこんな大人になってほしいという理想)に偏りがちで、"こんな大人になりたい"だとか"これをもっと学びたい"ってのが置き去りにされている。

それは、"子どもはまだ判断力がないから"という見くびりから来てる考え方だと思う。
理想の上司とおんなじで、"君の判断で、やりたいようにやってごらん。それでもし大変なことになったら、私が助けてあげるから。責任をとってあげるから"って言えるのが大人の役割なのではないのか?

私には長年温めている、"知的活動を流行らせる取り組み"という野望があるのだけれど、この本を読んで久しぶりにやる気がみなぎってきた。
本当に読んでよかった。できることなら100冊ぐらい買って、配って歩きたい!
#miyochanbooks #読書 #読書記録 #森絵都 #みかづき #教育 #書評

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