結婚の条件

眞子様の結婚延期の報道がメディアを賑わせている。個人的には特に興味もないのだけれど、やっぱり気になる部分もある。それは、今回の件の具体的な内容がどうこうというのではなくて、「結婚の条件」がまたひとつ世論として広まっていくのではないか?という危惧。

結婚をする際に決め手となる要素は、人それぞれだ。相手への愛着や愛情、信頼関係、経済力、家族との相性、生育歴etc...もちろんひとつだけではないし、そのひとつひとつも人によって許容できる程度にはかなり差がある。差があるからこそ、人類は絶滅すること無く生きながらえている。

今回の報道はたいして詳しくは知らない。夫となる人の母親に借金があるとかないとか。そのぐらい。それがわかったことによって結婚を諦めるも、諦めないも、それはそれぞれの考え方次第で他人の関与する所ではない。陶然のことだ。

日本人は平安時代から、皇族ゴシップが大好きな民族であることは火を見るよりも明らか。枕草子や源氏物語をはじめ、現代だって大奥っていうドラマが大ヒットしたり、今回の件にしてもそう。他人の人生に首をつっこむのは非常に下品だと思うけれど、自分の人生ではない、他人の人生だからこそ好き勝手言えて、そういう息抜きの仕方もあるんだということも何となくわかる。人間たるもの、他者との比較無くしておのれを知ることはできないし。

ただ、今回の件でひとつだけ気になるのは、やはり眞子様の立場、もといその影響力だ。芸能人にしろ皇族にしろ、世間に名の知れている人の影響力ははかりしれない。決断をするときに、完全に他人の影響を受けずに自分の判断だけでそれを決めるには、結婚はあまりにも大きい。だから、他人の結婚生活や結婚の決め手、プロポーズの言葉なんかを参考にすることも往々にしてある。

もしこれで破談なんてことになってしまったら、「借金のある人とは結婚すべきでない」という価値観が今より広く認知されることにはならないだろうか。破談しないまでも、今の報道のされかたを見ていると「借金のある家庭の人とは結婚しないほうがいい、ないしできない」というようなメッセージになっているような気がする。

皇族の結婚って、私たちの結婚の100倍ぐらいデリケートな問題だし、夫となる人の家庭や生育歴や親類縁者についての調査なんてとっくの昔にしていただろうし、それを了解した上での内定だったんじゃないのか?だとしたら、世間が騒ぐことで新たに「世間体」というよけいなものを背負ってしまったんじゃないのか?その世間体を作り出したのは、報道したメディアであり、それにおもしろおかしく飛びつく私たちなんじゃないのか?私たちは、他人の人生を左右する決断に影響を与えていいのか?会ったこともない人の人生なのに。

借金のある人と結婚するかどうかは、各自が判断すればいいだけのこと。借金があるからダメなんてこともないし、借金がないからいいなんてこともない。

もちろん、結婚は「生活」だからお互いが自立してナンボだとは思うけれど、その「自立」ひとつとっても捉え方は人それぞれ。

あまり関係ないけれど、私は常々「専業主夫」の夫が欲しいと思っていた。仕事好きだし、家事嫌いだし、男が働いて女が家庭を支えるという分担にもかなり疑問を抱いていた。どっちでもよくない?と。

だけど、いざ自分が専業主夫の夫を養う、と考えるとかなりプレッシャーを感じた。私の給料はちゃんと上がっていくのか?病気になったらどうするんだ?夫が無駄遣いしてもやさしく許容できるのか?そういうことを考えていたら、世の男性にとっての結婚の決断って、女の私が考える以上に大きなものなのかもしれないと思った。共働きとかなんとか言っても、大多数は男性の方が主たる収入を担っている場合が多いし。

専業主夫の夫を養う日はまだ少し先のことだな、と思いつつ、もっと自由な結婚観が世に広まることを切に願う。価値観の幅の狭いところは、生きていて面白くない。

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