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銀河鉄道の父 書評

"父親"の気持ちは、きっと"父親"にしかわからない。でも、この本を読んで少し父親を慮れるようになった。

宮沢賢治がどーのこーのとは関係なく、"ある父親の一代記"として読んだら、とてつもなく読んで良かったと思えた。(もちろん、賢治の伝記のスピンオフ的な感じでも楽しめる)
明治〜大正期の父親像。家長であり、社長であり、厳格であらねばならぬ。そういう"父としてのプライド"と息子への愛情のフラストレーション。
父親には父親の理想がある。息子はそれに応えようとする。でも、悲しいかな親子というものは"世代"の隔たりがあるから、息子には息子の理想が湧き出てくる。
それに加えて尊敬と反発のせめぎあいもハンパない。

父が賢治を認めていく過程もいいけど、賢治が父を越えようとする、でも越えられない、悔しい…というあたりの心理描写の筆致がもうバリバリに輝いていて、偉大な父親のもとに生まれてしまったが故の苦しみや、神童と呼ばれた過去を持つ男のモラトリアムが手に取るように感じ取れた。

本筋にはあまり関係ないけれど、トシの臨終の場面で、政二郎が『家長として考える義務がある。トシの肉が灰になり、骨が墓におさまってなお家族がトシの存在を意識するには、位牌では足りない。着物などの形見でも足りない。遺言という依代がぜひ必要なのだ。』と考えたのが、賢治の父であることを明示する名台詞だった。

全国各地のお父さんに是非とも読んで欲しい!! #miyochanbooks #銀河鉄道の父 #読書 #読書記録

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