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前に進みたい

私は母親のことを今でも恨んでいる。

私のことを否定し、拒否し、自分の思い通りにしようとした彼女のことを、今でも憎んでいる。

幼い頃から母親に抱かれたこともなかった。
抱かれた記憶もないし、私の幼い頃を知っている身内もそういうのだから、事実なのだろう。

私はよく母親に「気持ち悪い」といわれていた。
目が気持ち悪いから、こっちを見るなとよくいっていた。これは中学生の頃になってもよく言われていたので、今でも覚えている。

見た目を悪くいわれ、存在を拒否され、付き合う友達すら制限された。

文字だけみたらきっと朝からお酒を飲んでタバコを吸って、ギャンブルに明け暮れているような女を想像するかもしれない。

でも、母親はいたって普通の母親だった。

仕事はしていたが、家事をしてご飯を作って、家を綺麗にし、周りの人間ともうまくやっている親だった。
だから、周りの人間は良い母親として見ていたに違いない。

私がおとなしく学校にいって、今以上を要求せず、母親を見つめたりさえしなければ、私も普通の暮らしができた。

気に入らないことをしたり、口ごたえをしたら叩かれることはあったけど、何も要求しなければ普通に毎日を過ごせる。

でも、私は親から捨てられたかった。

見放されて、捨てられて、親から離れられれば、私は自由を手にできる。

毎日お酒を飲んで酔っていて子育てを放棄するような親だったら、ネグレクトを疑われて、私は施設に入って、私は母親から逃げられた。

でも、私はずっと母親から逃げられなかった。

私に罵声を浴びさせたり、気持ち悪いといったり、自分の思い通りにさせようとするだけだった。

褒められることはもちろん、認められたことも、愛を伝えられたこともなかった。

私は母親から逃げられずに、常に母親の機嫌をうかがっていた。

母親がやってほしいことを考え、入学してほしいであろう学校に行き、入ってほしいと思うであろう会社に入った。

結婚相手に相応しい人を見つけ、子供を産んで、幸せな家庭を築いた。

いつか認めてくれると思って。いつか母親から愛されるといつも願って。

私は今でも母親の機嫌をうかがっている。

18から離れて暮らしているのに、ほぼ毎日母親に連絡をする。子供の様子や自分の毎日を着飾って報告する。

誕生日や母の日にはプレゼントを贈り、長い休みには実家に帰り、孫の顔を見せる。

表向きは良い娘を演じる。

本当に辛いことは何も言わない。
結婚してから何度か大変なことが起こったけれど、親には何も話さなかった。

私が離婚するなんて知ったらきっと彼女が私に用意したレールから外れることになって、私は罵倒されるだろう。

だから私はどんなに辛いことがあっても、逃げたいことがあっても、どうにかして耐えなければいけない。離婚とか不倫とか、世間からとやかくいわれるような事象はどうにかして避けなければならない。

母親には幸せな生活を送っている私だけを見せなくてはいけない。

隠れた見えないところで私はずっと母親に反抗していた。

男と寝まくったり、自分の身体を傷つけたりすることで、私は私の価値を見出していた。

そのときは生きている気がするけど、結局心は何も変わっていない。むしろ、回数を重ねるほどにむなしくなるだけだった。

私はきっとこのまま、いつまでも満たされない気持ちを持ち続けていくのだろう。

私に何か足りない原因はわかっている。

根本を考えれば、すべてここにたどり着く。

誰かに原因を押し付けるのは簡単だ。

母親のせいにして、母親をずっと恨んでいく人生だってそれも選択のひとつだ。

でも、最近思う。

このままこうやって生きていくしかないのか。どうにか自分で昇華できないものか。

自分の家族がいる幸せな毎日があれば十分ではないのか。過去にとらわれずに生きていけないのか。

私はまだ自分の中で解決できていないままだ。

でも、自分でどうにかしようと思えただけで大きな一歩だと信じている。

このまま前に進んでいきたい。踏みしめたところから次の一歩へ。

恨みとか憎みではなく感謝の気持ちを。

少しずつ前に進んでいきたい。

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