Somebody to love

私は今のこの時代に生まれたことをとてもよかったと思っているし、
日本に生まれたことも幸せだと心から思っている。

どの時代にもいろいろなことはあるわけで、普通に教育をうけ、自由に思いが表現でき、安心して外を歩ける日本に生まれて本当に良かったと思っている。

ただ、もし私が欲を言うならば、あと20年早く生まれたかった。その理由はただ1人、どうしても生きている姿を見たかった人がいるからだ。

彼は1991年に病気でこの世を去って、病気でなければ今も元気に生きていたかもしれない人だ。私があと20年早く生まれていれば、生きている彼の姿を見れたと思う。

彼は愛する人を探していた。
彼の歌を聴きに来る人もいたし、たくさんの人が彼の周りにいたし、彼はたくさんの人に愛されていたのにもかかわらず、彼はたった1人の愛する人を探していた。

それは彼が作った歌詞にそのまま表現されている。

毎朝起きたら少しずつ死んでいる。
ずっと神様を信じてきたのに、全く報われない。
毎日骨が痛くなるまで働いている。
ひざまづいて、涙が流れるまで祈っている。
神様、誰か僕に愛する人を見つけてくれないか?

彼のこの歌を初めて聞いた時に、涙が出た。それから数えきれないくらいこの歌を聴きながら泣いた。何回聞いたかもわからないのに、今でも聴くその度に涙が出る。
英語もわからないのに、なぜか歌詞がわかるような気がして、なにか飢えた気持ちを歌っていると思って、歌詞をみたら、やっぱりそうでまた涙が出た。

本当は大きい意味での愛を歌っているという人もいるけれど、私はただ愛する人が欲しいという孤独を歌っているのではないかと思っている。

神様に毎日祈って、いつか愛する人が現れると信じて、誰か誰か、と求める歌。

彼のことは私はほとんど知らない。ネットの情報や本や彼に会ったことのある人のインタビューなどもほとんど読んだけど、実際彼が本当はどう考えていたかは彼にしかわからない。

でも、この歌はもちろん、彼が作った歌を聴くといつも思う。彼の持つ愛の深さと寂しさ、誰かをいつも求めていて辛かったのだろうと。彼には莫大なお金もあったし、大切な人もいたと思う。でも、満たされない愛を抱えていたのではないか。

そして、彼を自分にあわせて考えてしまう。私も同じように毎日思っていると。

どんなに好きな人がいても、大切な家族がいても、なにか満たされない心を持っている人はいる。幸せを感じていても、物理的に満たされていても、いつも何かを求めている。

神様に祈る。愛が欲しい。愛する人が欲しい。満たされたい。孤独な心を満たしてくれる人を。ぽっかり空いた穴を埋めてくれる人を。私もいつも思っている。

彼に会いたかった。歌っている彼を見てみたかった。彼の声を生で聞いてみたかった。生まれ変わったら彼が生きている時代に生まれたい。彼の歌声を聴きながらいつもそう思っている。

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