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好きなことを、公表する自由

月に数回池袋まで行く用事があって、住んでいる町との違いとかを感じたり。人多いなぁ、イライラしてる人、急いでる人多いなぁなんて感じたり。まぁ、人口密度が高いだけで、住んでいる町にも急いでいる人、イライラしている人はいるのだけど(笑)

この日はどうやらゲームのイベントがあるようで、ポスターや広告がキャラクターで埋め尽くされていました。

モニターに映るオシのキャラクターを撮りに群がる女子たち、それに話しかけるおばさま、きちんと答える女子、へぇー、流行ってるのねー、と納得するおばさま。

ああ、凄い平和だなぁ。

私、昔から好きなものをすごい好きィィィ、てなるものの、あんまり公表できない人でした。
きっと私だけじゃないんだと思うのですが、コソコソ大切なものを隠していたタイプ。

ヴィジュアル系バンド、ゲームやアニメのコスプレ、肌いろ多目できらびやかな衣装のベリーダンス。どれも、大切な趣味であるからこそ、人に言えずに隠しながらやっていました。

誰ともなく、否定されたり笑われたり、なんとなく嫌な気分にさせられたことがあったんだと思うけど。なんで隠し始めたのか、覚えてもいない。
自分が好きなものを隠していたから、好きなものを隠さず堂々とイタ車とかイタバッグとか、全身どう見てもファングッズの塊の人とかを見ると、少し前まではムカついてました。恥ずかしげもなく、なにやってんだよ、と。

それはもう、昔の話。

いまは自分の好きなものを、好きだって話せるだけで面白がられることが分かってきたり、どうして好きなのか、何が面白いのかとかきちんと話せるほど好きなものを持っているのが、自慢にも思えるようになってきました。

20年前から好きだったバンドのギタリストと、この歳になってサイン貰ったり握手してもらったり、そんなに長いこと好きでいられたこととか、彼が活動を続けてくれてることとか、昔の自分は想像もしてなかったし。
生きてるといい事あるよーって、辛かった時代の自分に伝えたいし。

好きなものを好きと表現できる自由、個人が簡単に発信できる幸せ。
なんかそんなことを、キャピキャピした女の子達を見ながら感じていました。

みんながみんな、自分の好きなものや大切なものに一生懸命になってたら、他人を馬鹿にしたりするヒマなんて、なくなるんじゃないかしらね。

#エッセイ #好きなこと

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