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北鎌倉を歩く🌸2023.5

5月の連休中に東京へ行ってきました。
その旅の3日目 
旅の記録として。

約14.5年前くらいに家族で鎌倉の鶴岡八幡宮を訪れたり、鎌倉の大仏を見たり、確か大仏の中にも入ったり、江ノ電にも乗ったり、とても楽しい思い出がある。
今回も前日の茨城の旅に引き続き、パパさんと二人で観光地巡り。歴史好きのパパさんは、混雑するところと待つ事が大の苦手。鎌倉は激混みだったけど、私達が向かった北鎌倉はそこまで混んでなかったと思う。

私の希望は、
北鎌倉の「浄智寺」
鶴岡八幡宮側にある鎌倉彫の「博古堂」
観光地巡りと言って、しれっとロケ地巡り🌸&日本製の旅。
パパさんは数年前に訪れたという、紫陽花寺である「明月院」
鎌倉の代表的な寺社でもあり家族との思い出もある「鶴岡八幡宮」
どうか今回も無事にいい旅になりますように…。

***

新宿から北鎌倉へ湘南新宿ラインに乗るつもりでしたが、遅延していたため、来た電車の快速に乗り、一度何処かで乗り換えて、んー経路は覚えていないけど、すんなりと北鎌倉へ到着。

浄智寺

最初に向かったのは、
鎌倉五山の一つの「浄智寺」
寺の境内は国の史跡に指定され、本尊の木造三世仏坐像は県の重要文化財に指定されている。
そしてここはドラマ「お金の切れ目が恋のはじまり」(カネ恋)のロケ地♡

浄智寺が創建された十三世紀の終わりの鎌倉は、北条氏の勢力がきわめて盛大で禅宗がもっとも栄えた時期である。
浄智寺が建つ山ノ内地区は、鎌倉時代には禅宗を保護し、相次いで寺院を建てた北条氏の所領であったので、今でも禅刹が多い。山を挟んだ隣りが駆込寺の東慶寺で、その向かいには円覚寺があり、建長寺も数分の場所にある。どの寺院も丘を背負い、鎌倉では谷戸の呼ぶ谷合に堂宇を並べている。

臨済宗円覚寺派 浄智寺 チラシ一部抜粋


穏やかな陽が射す境内には、鳥の可愛らしい鳴き声がBGMのように鳴り響いていた。たくさんの鶯がとても近くにたくさんいるようで、順番に歌の練習をしているみたい♬。上手な子と下手な子の歌声はとてもはっきりとしていて、微笑ましいとても幸せな気持ちで散歩した。

私はゆっくりゆっくりと歩き進んでたけど、パパさんは、結構早足で。


石橋を通りその先の山門へ
「寶所在近」と掲げられた山門
石造りの階段 
鐘楼門(しょうろうもん)
下層が門、上層に梵鐘をさげる堂がある
鐘楼門を横から
赤い実が目立ちます
本堂 雲華殿(どんげでん)
阿弥陀如来(過去)、釈迦如来(現在)、弥勒如来(未来)の三世仏が並んで鎮座されている。
茅葺き屋根の書院
子安観音
風の音と鳥の声🎶
岩の中に観音さま
お寺の裏手
江ノ島鎌倉七福神の一神
愛嬌のある布袋尊
書院の入り口側の風景


パパさんは入り口から中を覗くととても気に入ったようで、こんなところにずっと居れたらいいなぁと呟いてました。

隣に御朱印所
春馬くんが…いました‼︎♡♡♡


書院入り口から横を見ると
春馬くんが!
かね恋のポスターが貼られてて…
びっくりして…
鼓動はさらに高鳴り、身体が宙に浮き…。
実際は暫く呆然としていただけなのかもしれないけれど。

この境内には入ったのかな。
さっき通った竹の小道も眺めたのかな。
撮影は紫陽花の咲く6月だったと思うけど、
鶯の声も聞いたかな。
マスクで蒸し暑かったかな。
そんなことを一度にたくさん思った。

ポスターの写真もたくさん撮ったし、御朱印も書いていただきました。


春馬くんのロケ地は、浄智寺の竹垣の側の道。
緩やかな坂道になっていたから、降りてくるように歩いてたんですね(*'▽'*)
鶯も一緒に喜んでるようにずっと歌ってました。

浄智寺横の道がロケ地♡
竹垣は外されてました
この辺りをぐるぐると歩く


「この近くの明月院に行ってもいい?」
パパさんは急に時間を今に引き戻す、(沈)。

歩いてきた坂道をくだり、わずか7.8分ほどで到着。明月院を訪れる理由がすぐにわかるくらい、華のある明るい空間だった。

明月院


私は歴史的なことはあまり分からないけれど、鎌倉石の参道や枯山水庭園、季節の花でいっぱいの寺院で訪問者はとても多かった。紫陽花の季節にはまだ早くて残念かなと思うところもあるけど、紫陽花や菖蒲の6月はとても混むらしく、パパさんが以前来た時は、紫陽花どころか人の頭で紫陽花が見えなかったと言ってた!
笑ってはいけないけれど、確かに花の高さの位置を思うと、人だかりでは見えないかもしれない。

大きなシャクナゲ
石段の両側には紫陽花の蕾
光が透き通って優しい風景
悟りの窓
本堂前の庭園 枯山水


悟りの窓から後ろの庭園の鮮やかなグリーンがうつる。
最初に見た時、丸の中は絵画かと思いました。
圧巻!

数ある鎌倉のやぐらの中でも最大級
壁面に彫刻がされているやぐらは珍しい
6月に菖蒲が咲くはじめると一層美しい場所だと思う。そして秋の紅葉も美しいだろうな。
悟りの窓の丸窓から見えた風景は、裏庭園だったんですね!究極の美を求める作り。



菖蒲池の周りをぐるっと歩くと、大きな杉の一角があり、そこを登ると、急に上流の水が足元を流れていった。
自然なサプライズと期待してたけど、それは、庭師のお仕事だったようです。


明月院には"うさぎの宇宙ステーション"というネーミングのうさぎ小屋があり、数羽の小さなうさぎが小屋の隅の方で丸まっていた。
鎌倉と月と兎って、趣もあり愛らしくてなんだか素敵です。
偶然にもこの明月院に辿り着いたのも、今年が卯年だからだったのかもしれない。

ただ春の夢のごとし


兎さん亀さん 何みてるの?
"ケガしてます、さわらないでください" と。


鎌倉へ向かう


やはり連休中は人が多く、飲食店もなかなか空いておらず、鎌倉へ向かうことに。
来た道を少し戻り、また浄智寺横のロケ地である、坂道を通り登る。
鶴岡八幡宮への方角はこっちで合ってるかなと感を頼りに歩いて行った。

浄智寺本堂前の木のベンチで
時間を過ごすのもよき♪
春馬くんが歩いた側の植物たち
光の虹が🌈
鎌倉へ続く道だと願いながら進む
ん?結構な山道
進むか戻るの二択

もう後戻りもできないくらいの山道。
いつの間にかハイキングコースに入ってたとは気づかず、ひたすら山道を歩いた。
鎌倉or鶴岡八幡宮の文字ないけど、
これあってる??

山を歩いてる時もずっと、たくさんの鶯が交代で歌の練習をしていた。
ほーーほけきょ🎶 (すごく上手!)
ほーほーほきょ♬     (惜しい!)
ほーほけっ♪             (かわいいー!)
けきょけきょほーけきょ♩ (あわてん坊さん!)
鶯のとっても可愛らしい合唱が山全体に響き、ハイキングしながらとても癒された。

ようやく木で覆われていなければ見晴らしがよさそうなとても広い場所に辿りつくと、どのルートを通ってきたのか、家族連れや団体さまで賑わっていた。とりあえずパパさんは石のベンチに座って休憩。とりあえず水を飲み、パパさんが隠し持っていたパンを二人で分けた。

葛原岡神社


歴史に疎い私は初めて聞いた名前でした。
自販機で水を飲むと体力はかなり回復し、私は神社の階段を上がり散策。

説明できないほどのとても強いエネルギーのある場所で、降りてくると信じられないほど身体が軽い。
下で待ってるというパパさんにここは行くべき!と一緒にまた上へ向かった。

葛原岡神社


何度撮っても光が🌈

そして、縁結びの5円玉は通さなかったけれど、
魔去る石で厄を落とす、皿投げというのをした。
願掛けして、私は一回で粉々に。
私の魔はきっとすぐに解決できるのだろう。
パパさんは、1回じゃなぜか割れず。
元野球部の力を使ってなげると、すごい勢いで粉々に。何を願掛けしたのか聞いてみたら、割れないことが悔しくて何も考えずに投げてしまったと…。あら。

御朱印をいただき、「葛原岡神社由緒」のチラシに目を通し、この地で悲しい最期を遂げられた方だと知る。
創建は明治20年。日野俊基が処刑されてから約500年後! 長過ぎる道のり…

今は縁結びのパワースポットでもあり、毎年お花見でも賑わうそうです。

葛原岡神社は後醍醐天皇の忠臣として鎌倉幕府倒幕に活躍した「日野俊基(ひのとしもと)」を祀る神社です。日野俊基は幼い頃から学問の道に優れた有能な人物だったため、後醍醐天皇の側近として活躍した人物。当時の鎌倉幕府は悪政を続けており、後醍醐天皇は政治を正しい道へと導くべく、幕府を倒す計画を立てます。ところがその計画が幕府に漏れてしまい、後醍醐天皇の側近である日野俊基も捕らわれの身となり、鎌倉の葛原岡にて死去しました。その後鎌倉幕府は、日野俊基が説得して味方につけた楠木正成・新田義貞らの活躍により滅亡することになります。なお、葛原岡神社は、明治天皇が倒幕に貢献した日野俊基の足跡を残すべく、明治20年に創建されました。
なお、葛原岡神社は「由比ヶ浜の総鎮守」でもあります。また、日野俊基の活躍が次の時代の道を開いたとして、「海運の神様」さらには、日野俊基が文章博士として優れた能力を持っていたことから、「学問の神様」としても知られています。

鎌倉観光サイトより一部抜粋




「車でも来れるということは、車道の方へいけば鶴岡八幡宮の方へ行けるはず。」
そう話をしたはずが、標識見ながらまた迷う。


源氏山公園 源頼朝像
ほっとする風景
またハイキングコースに入ってしまった

Googleマップは道がつながってないみたいだけど、進んでみようということに。
私たち、また道を間違えたよね、たぶん…
片足ずつしか入らない狭いところや、
大きく岩を削られたところも抜けて、
ようやく人通りの多いところへ出た。

人力車を見かけたり、通りには"鎌倉市川喜多映画記念館"があり、中村哲さんの「荒野に希望の火を灯す」を上映していた。

鶴岡八幡宮近くは予想以上の観光客でいっぱいでした。


鎌倉彫「博古堂」


鶴岡八幡宮の鳥居脇に店舗を構える、鎌倉彫の老舗「博古堂」へ
ここは、2016年に日本製の取材で春馬くんが訪れたところ。


お店のドアをあけ中に入ると、外の混雑とは別世界にたどり着いたみたいに、とても広い空間でスッキリとした場所だった。
日本製をみてきたことを伝えると、「どうぞゆっくり見て行ってください」と、優しい口調で話される女性だった。

質感の違う漆で塗られた工芸品が整頓されて品よく並べられている。
もし春馬くんの紹介がなければ、上品な感じが場違いかもしれないと訪れなかったかもしれない。
覚えている限りの日本製の春馬くんの感想を頼りにゆっくりと見て回った。

鎌倉彫 

13世紀半ばより、禅宗の移入に伴い宋から伝えられた美術工芸品の中の彫漆品に影響を受けた仏師たちが新たな木彫彩漆(もくちょうさいしつ)の仏具を作りはじめたのが鎌倉彫の始まりです。
室町時代にかけて、京都の南禅寺、知恩寺他、多くの寺院に伝えられる大香合や獅子牡丹文硯台(ししぼたんもんけんだい)など、また東北でも中尊寺、示現寺の椿文様の笈(おい)など、鎌倉ゆかりの木彫彩漆が一般的に鎌倉彫と呼ばれるようになったといいます。江戸時代、茶道の普及とともに、茶入、香合、香盆(こうぼん)が多く求められるようになり、侘・寂・粋など、江戸文化の香りを持つ鎌倉彫の作品も生み出されました。
明治になると神仏分離令が公布され、続く廃仏毀釈運動によって仏師たちは仕事を失い、これを転機に仏像制作から生活の中で使われる工芸品としての「鎌倉彫」に活路を見い出した後藤齋宮(ごとういつき)、三橋鎌山(みつはしけんざん)らは、訪れる人々への日用品やお土産として作られ、現在の鎌倉彫へと発展して行きます。
現代は、大量生産の工業製品に対して手仕事の暖かさが求められ、鎌倉彫も多くの人に愛用されるようになりました。1979年、伝統的工芸品としての産地指定を受け、伝統鎌倉彫事業協同組合を中心に後継者の育成や新しい製品づくりが積極的に行われています。

鎌倉市ホームページ 
鎌倉伝統工芸品(鎌倉彫)より一部抜粋


一つ一つのデザインがとても美しく、思っていた何倍も軽い。
奥の部屋は、最も高級な大きな工芸品が美術館のように並べられていた。作品を拝見しながらゆっくり歩いた。
2階は、博物館のように工芸品はガラスの中に展示されていたり、デザインや塗り方の工程がわかりやすく説明されてるものだった。

春馬くんは取材の後もなんどか訪ねて購入していったと話してくれた。さっき私が選んだコロンとした丸い椿の手鏡は、取材後に最初に来られたときに買っていかれたようで、ちょうどこの時期で母の日が近くだったからお母さんへの贈り物かなと思ってましたと、話してくれました。

書籍「日本製」の写真の、春馬くんの後ろに映っている工芸品はどこにあるのかお聞きしたところ、つい先日売れてしまったと…。
鳳凰が彫られた立派な作品だったようです。
「また作りますからぜひ鎌倉に来られたときは見にきてください」と言っていただきました。
半年くらいはかかるとのことでした。

鎌倉彫は使えば使うほど味がでる
私も椿の手鏡を大切に使ってみます
経年美化を目指して
そして必ずまた来ます!

博古堂
入り口の飾り棚
力強い鎌倉彫の盆、蓮のドライフラワー
色も形も質感も様々



鶴岡八幡宮


待っていたはずのパパさんはしばらくすると現れ、人でいっぱいの鶴岡八幡宮への階段を登った。

昔、ここ大銀杏の前で家族写真を撮った。
台風で倒伏した樹齢1000年を超える大銀杏は
根元から新しい銀杏が成長してます!
鶴岡八幡宮
"八"の字は神の使いとされている二羽の鳩
白旗神社
黒塗の社殿がとてもカッコいい✨
さざれ石

お昼を食べ損ねていたので、ちょうど夕方の5時ごろ、しらす丼とお蕎麦をいただきました。
おいしー🎶


旅の記録として写真をたくさん残しました。
最後まで読んでいただき、
ありがとうございます‼︎


紫陽花の咲くころ🌈


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