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別れ


久しぶりに仕事前に母の携帯にかけてみた。
「前日に叔父さんが亡くなったので他県に来ている。こっちで包んでおくからあなたたちはいいよ」
そんな言葉だった。
母は私と妹には心配かけたくないのか、知らせなくていいと思っているのか、こういう時の母の気持ちにはいつも戸惑う。
こちらの気持ちはいつでも取り残されたまま。どこに手を合わせればいいのか、悲しみの行き場に戸惑う。
電話の母の声はいつもよりも騎乗に振舞っているようにも思えたが、やはり知らせてほしかった。

私の父の七人兄弟の長男である叔父さんは、おばさんが病気で亡くなった後、三十数年、ずっと一人だった。盆や正月には親族が集まりその時だけは田畑に囲まれた静かな一軒家は賑わっていた。親族みなさんおとなしめで賑わうというよりも終始まったりと和んでいる感じだった。
叔父さんのところには自由に出入りしている猫たちが数匹いて、時々コタツの中に入っていた。

私の知っている叔父さんはいつも穏やかで人当たりも優しく、私は子供の時からとても好きだった。七人兄弟の中でも、叔父さんと私の父は雰囲気かとても似ていたからかもしれない。小柄だが力仕事が多かったのか筋肉質で、気の利く人だった。
納屋にトラクターがあったので、お仕事のほかにも田や畑をされていたのかもしれない。

私は新婚旅行を兼ねてハワイで挙式を行った。その時もお互いの両親、そして私の叔父さん二人も声をかけて一緒にハワイに行ってくれた。
今考えると、なんとも可笑しな感じかなと思うけど、強引な私の誘いに断ることなく、私はとても嬉しかった。
私の母も叔父さんもこの時が初めての海外旅行で初めてパスポートを取ったと言っていた。
叔父さんは飛行機の中でもお酒を断りきれずによく飲み途中気分が悪くなり到着した日はダウンしていた。挙式の日にはアロハシャツで参列してくれてとても嬉しかった。

パパさんと私、お互いの両親、叔父さん二人の八人で観光タクシーでオアフ島を巡ったこともいい思い出になった。
観光地の一つで、たしか真珠湾の慰霊碑を前に、いつもよりも口数多く私に戦争の話を伝えてくれた。楽しみながら観光している私とはまるで違う目をしていると、その時に思った。


母から訃報をきいて、居ても立っても居られない気持ちで、叔父さんのことを考えながら仕事に出かける前に一本の和蝋燭を灯しながら気持ちを書いている。
もっと気になっている時に会いにいけばよかった。

耳が遠くなり電話をかけるよりもファックスを送るようになった。だんだん字も見えづらくなったと分かり、小さな字と子供の写真で作っていた年賀状を送ることも申し訳なく思い、ここ数年は出さずにいた。
なんでも自分できちんとできる性格なのか、努力家なのか、介護をうけることも少なく、週に数回昼ごはんを届けてもらう支援を受けていたと聞いていた。
ずっと気がかりだったのに、もっと会いにいけば良かったと後悔する。


私の叔父さん、
たくさんの優しさをありがとう。
心からご冥福をお祈りします






今日は朝から雨が止まない。
車で3時間かけて葬儀には間に合った。
手を合わせる事ができてよかった。
叔父さんの笑顔の写真をみると、"よく来たねぇ"と、懐かしい声が聞こえるようだった。



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