見出し画像

奈良に行くなら[29]〜大神神社編

2023年、卯年。うさぎさんと言えばココじゃないですか?と久しぶりに訪れた大神神社です。前々から、次に行くときは一の鳥居をくぐりたい!と思っていたので、今回は三輪駅からまず綱越神社を目指し、ここからスタートしました。綱腰神社は大神神社の摂社のひとつで、祓戸大神(はらえどのおおかみ)を祀っています。ニの鳥居の奥にも祓戸神社がありますが、昔はこのおんぱらさん(御祓からきた通称)で穢れを落としてから参拝するのが通例であった、という話と、今も「卯の日神事」など大神神社の大きな神事の際は前日に神主以下奉仕員がここで祓いの儀を受ける、と聞いて、来てみたかったのです。

そしてこちらが一の鳥居。なんだかちょっと趣が変わる気がしませんか。どどーん!と力強い大鳥居も良いけれど、個人的には一の鳥居、おすすめです。

一の鳥居から、不思議な形の三柱鳥居がある大神教本院の脇を抜けて大神神社参道へ。駐車場から大神神社へ向かう人波に、駅から来る人達が合流するあたりからぐっと賑わってきます。ニの鳥居を目前に捉えつつもさっそく寄り道…まずは腹ごしらえです。三輪に来たらそうめん!食べたいですもん!今回は参道沿いにある「三輪そうめん流し」さんに伺いました。

冬はにゅうめんで!
とぅるとぅるの喉ごしがたまりません♪

お腹も満たして、いざ!

ニの鳥居の下まで来ると、ぴりっ!と気が引き締まる感じがします。鳥居の横の『幽玄』という文字を見ると「ここから神様の領域ですよ〜」と言われてるような気がして。ここでひと呼吸ついて、では参りましょうか…といった感じになるのも、個人的には大神神社ならではの風景。”境界線” みたいなものをより強く感じる場所、とでも言いましょうか。

参道の左手にある祓戸神社で心身を清め、注連柱(しめばしら)をくぐると、右手に「巳の神杉」と呼ばれるご神木。そして正面が拝殿です。

大神神社といえば本殿がなく、この拝殿から背後の山を拝する、というのはよく知られた話だと思います。

神社の古い縁起書には頂上の磐座に大物主大神(おおものぬしのおおかみ)、中腹の磐座には大己貴神(おおなむちのかみ)、麓の磐座には少彦名神(すくなひこなのかみ)が鎮まると記されています。

公式HP 大神神社について「三輪山」

とあり、また

古来、大物主大神が鎮まる神の山として信仰され……

ともあります。実際、大神神社のご祭神は大物主大神とされているので、大物主大神を祀る山として大切にされてきたのだと思いますが。

この大物主大神。なかなか謎の多い神様で。よく混同されるのが、名前も似ている大国主神。出雲のオオクニヌシです。

『古事記』の中では、大物主大国主は別神とされています。大物主がどのように描かれているかというと…。少名毗古那神(すくなびこなのかみ。大神神社の配神でもある少彦名神)と共に国造りを進める大国主神(古事記では別名で葦原色許男神(あしはらしこおのかみ)とされていたり、大穴牟遅神(おおなむちのかみ)とも。)の前に「海を光して依り来る神」として現れ「吾をば倭の青垣の東の山の上に伊都岐奉れ」…私を大和の東の山の上に祀れば国をなすであろう、と言って御諸山(みもろやま=神が寄りつく山の意)に坐す。「伊都岐奉(いつきまつ)れ」という表現から、重要な位置づけの神さまだったのではという考証もされています。

その後の『日本書紀』では大国主大物主は同一神として扱われ、大物主は大国主の幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)とされています。
「ある書では大国主神は別の名を大物主神もしくは国作大己貴命(くにつくりのおおなむちのみこと)、もしくは葦原醜男(あしはらのしこお)、もしくは八千戈神(やちほこのかみ)、もしくは大国玉神(おおくにたまのかみ)、もしくは顯国玉神(うつしくにたまのかみ)という」と始まり、「その大己貴命少彦名命が力を合わせ、天下を治めた」となるのです。
そこへ海から光を放ちながらやって来る者が登場し「汝(=大己貴)の幸魂・奇魂である」とした上で、どこに住みたいのか?の問いに「吾は日本国(やまと)の御諸山に住まむと欲ふ」と答え、その地に宮を造って住んだ、と。そして「此、大三輪の神なり」と。これが三輪明神とされるわけですよね。

古事記でも日本書紀でもこの海からやって来る神さまのことを大物主と記してはいません。また国造りを行った神さま大国主大己貴でもあるならば、大神神社の配神は大己貴であり大国主。ご祭神の三輪明神が大物主だとして、配神が大国主
大物主=大国主=大己貴ならば、ご祭神も配神も大国主。同じ神さまをご祭神にも配神にもすえた?ということ?
大国主を配神に置いて、幸魂と奇魂を大物主という名でご祭神とし、荒魂は狭井神社に祀った…とはねぇ……?んー、相対して汝、吾と言ってる時点でもう存在としては別々のものなのでは?という気がするし…
ほ〜ら。ワケわからなくなってくるでしょ。

また大物主=饒速日命(にぎはやひのみこと)とする説もあり。
素戔嗚尊の子孫であり物部氏の祖先だとも、この国を最初に統一して日本と名付けたとも言われる、これまた謎の多い神さまです。天磐船(あまのいわふね)に乗って高天原から降臨したとされる正式名称:天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)…長い…。
三輪山山頂にある奥宮、高宮(こうのみや)神社のご祭神が日向(ひむかい)御子神であることから、日向→天岩戸→天照大神と繋がること。春の大祭で奉納される能の『三輪』の中で、伊勢の神と三輪の神は同じだと謳われること。「元伊勢」と呼ばれる大神神社の摂社で、本社と同じく三ツ鳥居がある檜原神社が天照大御神を祀っていることなどから、この説が唱えられているそうです。何でも、太陽神である「天照」アマテル(男性神)と、神を斎く立場であった女神の「天照大御神」アマテラスを分けて考えると、多くの謎や矛盾が解けるのだそうで。この天照アマテル饒速日の存在を表沙汰にしたくない朝廷(自分たちの正当性を示すために追いやったから)によってアマテルアマテラスも、また大物主大国主の混同も故意に行われたものであろう、と。

いや〜。おもしろいですね。
くぐることが許されない三ツ鳥居の奥にいらっしゃるのは一体どんな神さまなのでしょう。三輪明神とされる神さまの正体とは。そこにどんな真実が隠されたのか。それはただの物語なのか史実なのか。…ただ、ここにこの国の創建に関わった神さまがいらっしゃるということは間違いなさそうですね。

いつの時代も歴史は常に勝者によって書かれると言いますが、当時の朝廷によって都合良く(?)編さんされた(…?かもしれない)歴史書。けれど隠しきれなかったカケラが古典芸術や神事の中に残されているというのも、また歴史のおもしろいところだな、と思います。そんなことを考えてしまった大神神社でした。

饒速日命乘天磐船而翔行太虛也、
睨是鄕而降之、
故因目之曰「虛空見日本國矣。」

饒速日命、天磐船に乗りて、太虚(おおぞら)を翔行(めぐりゆ)きて、是の郷(このくに)を睨(おせ)りて降(あまくだ)りたまふに及至(いた)りて、故、因りて目(なづ)けて、「 虚空見つ日本 (そらみつやまと)の国」と曰(い)ふ。

三輪の神さま。かつてこの国を治めた神さまの目には、今の日本はどう映ってるのでしょうね。

ぴょお〜ん

大人気で長蛇の列だったなでうさぎさん、私は首肩周りをなでなでしてきましたよ。

 大神神社 三輪山の神語り 4.なで兎と卯の日

大神神社に来ると、現代を生きる私たちが失くしてしまったであろう感覚、目に見えないものはないものとして生きてきた私たちが見逃してきたコトがここにはあるような気がしてなりません。

さてこの後は。久すり道を通って荒魂を祀る狭井神社へ向かいます。


日本書紀 神代上 第八段 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?