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「難しい学生」だった私

私は「難しい学生」だった。
大学院生になってから、研究室が怖くなり起き上がれず、行けなくなってしまうことが多かった。鬱状態と診断された。頭もうまく回らないため、論文の読み込みがとても遅く、研究もうまくいかない。そして何よりも、私は研究室という箱の中で孤立していた。
大学3年生までは、友達は少ないものの順調に学生生活を送れていたと思う。
研究室に配属されて、生活と心の健康状態が一変した。

まず入る研究室を間違えた。内向型で社交能力に優れていない私は、気の合った少人数の仲間とのんびりと過ごすことしかうまくできなかった。所属したのはそこそこの規模のラボで、いくつかのチームに分かれ互いに成果を競争していた。
コアタイムは朝10時から夜6時。そんなに厳しくはない。ただ、ほとんど毎日夜中12時頃まで研究していた。教員も研究員も学生も全員がその生活をしていた。ほとんどの人は体力があり、性格が明るいようにみえた。他人の失敗を笑いあっている人が多かった。中学生の一時期に所属した体育会系の部活に似ているなあと思った。ある聡明な国費留学生は、「ここは軍隊みたい」と言って去って行った。

私はハイテンションな雰囲気についていけなかった。一応自分も楽しく研究をしようと努力はしたものの、精神的にも体力的にも無理があった。特に同期や後輩に心を開ける人がほとんどいなかった。ダメ人間の自分と仲良くしたい人なんていない、皆私のことを悪く言って馬鹿にしているのだろう。そんな考えがいつも頭にこびりつき、ラボの人と接するのが怖くなった。

孤立。20代前半の私には非常に厳しかった。アパートで布団から起き上がれず、何も食べられず、ラボに行くことができず、でも行かなくてはいけないと焦りで気がおかしくなりそうな時に、誰にも助けを求めることができなかった。研究室に配属されて研究中心に生きるのだと意気込んでいた私は、数少ない友達とも疎遠になっていた。孤独の中で、私は全て私が悪いのだと自分を攻撃し続けた。

自己憐憫に陥るのは良くないが、あの時の私はかわいそうだったと思う。よくぞ生き延びてきたなと思う。その後病気の波がひどい時は頻繁になりもっと危うい精神状態の時もあったが、それでも、自分を攻撃しつつ周りに壁を作って自分を守り、孤独に、厳しい環境の中を生きてきた私に、死なないでくれてありがとうと言いたい。

どうすればよかったのだろうなあ、と最近思う。
まずあの研究室に入るべきではなかった。
それと同時に、人に心を開き頼ることをもっとうまくできればよかった。私はそれを少し恥ずかしいことだと思っていたのだ。そこが間違っていた。
人と何気ないことを話すだけでも連帯感というか所属感が生まれてくる気がする。
また、正直なところ教官にはもっと私の味方になって欲しかった。困った学生を受け入れることになって気の毒だとは思うし、当時申し訳ない気持ちでいっぱいだったけれど。身動き取れなくなっている学生に、トップの指導教官としてもっと何かできることあったんじゃないか、と思う。せめて悪口を言わないとか。研究室でも職場でも、ストレスの多い場所にはスケープゴートを必要とする人たちがいる。何かちょっと変わっている人(仕事の効率が悪い、知識が足りないなど)の噂話というか、悪口を言っているのがよく聞こえてくる。私はそれが本当に嫌だ。「難しい学生」は孤立していることが多いと思う。もしかしたらスケープゴートにされているかもしれない。同僚に助けを求められるくらいだったら、そんなに困った状況には陥らないだろう。本人にとっては針の筵のような環境で、教官にまで見捨てられたらどうしたらいいのだろうか。「難しい学生」ほど指導教官の支援が必要なのだ。

☆☆☆

以上ぐちぐちと書いてしまいました。昔のことですが、すこし吐き出せました。
読んでくださった方、ありがとうございました。

#研究室 #うつ #鬱 #大学院生 #スケープゴート #学生 #研究

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