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突き詰めた先にあるもの

今日は、舞台を観に行きました。

森山未來さんが演出されてる"formula"。

未來さんには、2019年に数回お会いさせてもらい、いろいろあったあの頃のわたしは、いつか彼にお礼を伝えたい気持ちでいます☺️♥️

でね、舞台を観たんだけど、ビックリするほど、何にも感じなかったの!!!

まずは、それにイチバン驚いてますわたし。

とにかく静寂が広がってて、とにかく神経が研ぎ澄まされてて。

"無"の中に営みがあって。

芸術って何だろ?
ARTって何だろ?

って、あまりにも無感だった自分に問いながら帰ってきました。

昔好きだった『アミ小さな宇宙人』に出てきた、どこかの惑星でのアート鑑賞会のストーリーを思い出した。

舞台に立つ人は、自分の内側に集中して自分の中に作品を作り、観客も意識を研ぎ澄まして、舞台に立つ人の内側にアクセスする、みたいなやつ。

未來さんの舞台では、皆んなすんごい研ぎ澄まされたダンスを披露されてたんだけど、会場は"瞑想"そのものでした。

また数回これを体験したら、わたしも別次元で何か"感じる"ことができる気がする😂

意味は何かとか、ストーリーは何かとか、メッセージ性とか、そんなのは考えはしなかったけど、ただただ神経を研ぎ澄ますとは何か、を問いながら観てました。

答えは"無"。

=死でもあるけど、今のわたしは無が死とは思わないこともある。

formulaでは『人間たらしめるもの』というコンセプトがあって、脳科学や認識学のもと制作をされたそう。

わたしもいろいろ人間について、突き詰めてきたけれど、無というものが素晴らしいとは、どーしても思えなくなってる。

突き詰めた先に光があるわけではなくて、そこには苦難を苦難としないマスター性があるだけで、人々がホントに求めてる光とは、別な場所に存在してると思えてならない今のわたしがいる。

そんな今日という日、面白いことに、2019年プライベートでお会いした未來さんは、みーちゃんと呼ばれてて、わたしもその時、みーちゃんと呼ばれてて🤣

今日レインボーチルドレンのみーちゃんという人に出逢って。

わたしの世界観すぎる話なんだけど😂

この今日起きたシンクロニティでは、そうきたか!の新たな旅の始まりを感じました🌈

わたしにとっての『人間たらしめるもの』とは、今起きてくる引力という惹かれる導きによるもの、であり、何者にもなれる自由さ、であり。

そこに働いている意志があるとすれば、100%マッチするもう1つのピースとの再会、であり、そこに"永久性を認知したい究極の欲求"である、と思います🙋‍♀️

マスターになろうなんて、今のわたしは目指せないけど、いや、わたしなりに追求が終わったのかな??

別な扉の入口が出てきて、今日から自分人体実験してまーす!!🙋‍♀️

いろいろ終わったなぁ!!🙌

ということは、新たな始まり🚪✨

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