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【誰かの人生になった】29歳の決断。転勤妻×会社員×起業history②

【わたしの人生を楽しむこと】は簡単な道のりではなかった

29歳、出産3日前に決めた大きな決断。
それが「起業」というあたらしい働き方。
何をするかなんて決まっていなかったし、不安はたくさんあった。
いざ始まった「母というあたらしい役割」の生活は妊娠期間と比べ物にならないくらい自分ではどうしようもない時間の流れだった。
枕に顔をうずめて「もういやだ、寝たい!」と叫んだことも数えきれないほど。

その当時のセオリーだった
毎日ブログ投稿、Facebook投稿、Facebook友達5,000人。
わたしにはする時間なんてない、そう思ってふさぎ込んでいた。

「人生を楽しむ」そして「家族の時間を大切にする」そんな理想を手にしたいと願うことは悪いことなのか?

2016年、起業女子ブームの中、思うように動けない自分になんとも言えない思いを抱え、腕には泣く我が子を抱き、スーッと流れる涙をぬぐう余裕すらなくただ佇む2か月だった。

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「子育てはわたしが頑張らないと」そんな呪縛の日々

毎日30分おきの夜泣きをする我が子。
ベッドに置くとすぐ泣くので常に抱っこ。
夕方17時を過ぎると黄昏泣きが2,3時間続くため16時を過ぎた頃には不安でわたしがソワソワし始める。
今思えば母親の不安が移っていたのでしょう。
主人は帰りが遅く、実家も遠いのでほとんど1日中子供とふたり。
「わたしは母親なんだから、わたしが頑張らないと」
この思いが頭を占める。
「起業はわたしじゃなくても」という思いに泣き声とともに引き戻されそうに。
出産3日前の意気込みはどこへやら。
そんなときに救世主が現れた。

【世界一の”清野みゆき”の応援団長あらわる】

ロールモデルのようにあこがれた一人の女性。
そんな彼女に会える機会が東京であった。

子供は生後3か月+授乳育児=「絶対無理」

そんな方程式がどこかで勝手に作り上げられていた時、意を決して主人に話してみた。東京へ行きたい、と。
きっと母親なんだから、何考えているんだ、そんな言葉を予想していたわたしに返ってきた言葉は、
「どうしたらよいかな?俺は何をしたら良いかな?」意外だった。
保守的で専業主婦の家庭で育った主人の口からそんな言葉が返ってくるなんて。
「俺は結婚した時から決めていた。みゆきの世界一の応援団になると。だから楽しんでおいで!」と最後に添えて。
今考えると我ながらクサイ一言。(笑)
でもあの時のわたしにとって救いの一言だった。

今でも主人は誰よりも応援して、誰よりも喜んでくれているから感謝しかない。

【わたしの決断が誰かの人生に彩を与えることに】

東京へ行ったことでブレずに固まった起業への想い。
あれから4年。今もわたしは起業という働き方を続けている。
東京へ行ったときに手にした1本の口紅。
早朝に新幹線に乗り込み、化粧っけのない母親の顔にドキドキするくらい色気のある深い紫に近いような赤の口紅をひく。
別人のようなわたしが鏡にうつり動機があがったような思いに。
わたしの人生に彩を添えた瞬間だった。
そしてこの感動を一人でも多くの方に体感してもらわないと!そんな使命に燃えた瞬間だった。

あれから300人以上の女性の人生にたくさんの彩を添えてきた。
「新たな口紅を1本提案する」このことで。
そこにはたくさんのドラマがあって、パートナーシップがあがる人はもちろん、第二の人生をスタートする人も、母親と女性のスイッチになる人も。
だからわたしはこれからも口紅を通して、わたしの生き方を通して女性の人生に彩を添えていきたいと思っている。

続く。

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