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インテリアコーディネーターヒストリー3結婚から他流試合まで

22歳での結婚を選択したのが
次なる転機。
まさかの選択になった。


小学5年生の時に引っ越しを
して
程なく両親が起業し

昼夜や休日も
不在がちだった環境
が背中を押したようだ。


夫とは
叔父の紹介で出会った。
私より7つ上。

埼玉でずっと続く地元の長男。

このあたりは
少しカットさせて頂く(笑)


実家に勤めながら
子供を23歳、25歳で授かり
二人の男の子の母として
暫くは子育てを優先していた。

次男が
幼稚園にあがるまで


仕事をセーブしながらも
インテリアとは関わっていた。


インテリアの仕事が連れてきてくれたチャンス



転機は実家の仕事を離れたこと



肉親のところで働くことは
良い面もあるが
葛藤もあったのは事実である。

私は一旦、実家の仕事を
離れて
ハウスメーカーのリフォーム
会社のパートに応募して3年勤めた。


インテリアコーディネーターになりたい!!


他流試合に出たことで
パートという立場では
限界があることに気が付いた。

私はパートを辞めて
半年インテリアコーディネーター資格
試験に挑むのである。


子供が学校に行っている間中
勉強をしていた。(7時間、8時間)


資格試験を取るために
都内まで2つの学校に通い
課題をこなして過去問題に
取り組んだのだ。

※生涯で一番勉強した時かも。
今もある指のタコは
この時のペンを握った痕跡。

一発合格!!「やったー!」


インテリアコーディネーター試験は
1次、2次の両方に受からなけば
ならない。
※難易度は高い。

2次試験対策の先生は
建築士の年配で厳しめの
男性の先生。


課題が出来たら連絡して
行く日にちを
決めるというものだった。


今思えばこの時
「すべての事は自分自身で決める事!」

これは今も変わらない。
インテリアコーディネーターにとって
欠かせないマインドだと思う。


1999年12月の合格発表は
私の人生を変えてくれた。

それから2000年。
実家が自社建物を建てた。


私はさんざん迷ったが
実家の会社で取締役店長という
ポジションにつく。


実家に「ただいま」となったのだ。

視野を広くすることと
両親との距離をほどよく
とるために

インテリアコーディネーターの
派遣会社に登録した。

これは
思いがけないチャンスを
運んでくれたのだ。


まさかの扉…人生にはいくつもの扉がある。開くのは自分である。


メディアから出演依頼の電話が!!!

まさかの、想像もしない話が
舞い込んでくる…   

4に続く。