見出し画像

短編小説『さくら』

少しだけ早く目が覚めた。
朝の柔らかな光を浴びながら、
ベランダに出てゆっくりと煙草をふかす…
今日もいつもと同じ一日の始まり。
また同じ繰り返し…か。はぁ。

俺は今、長期休暇の真っ只にいる。
ずっと役者をやってきて初めて取った
長い休み。
ずっと走り続けてた時は考えなかったことが、
毎日頭の中をぐるぐる回る。

ぼんやり景色を眺めていたら、入学式へ向かう真新しいダブダブの制服を着た中学生の
会話が聞こえてきた。
「お前、中学入ったら何やるんだよ」
「僕、演劇部に入る。お芝居やりたい。
将来、俳優になるんだ」
「えー、演劇部?!サッカー部にしようぜ。
楽しいよサッカー …」
演劇部…その言葉に記憶が甦る。

高校から役者を目指して演劇部に入った。
発声練習に柔軟。役作り、裏方作業。
慣れないことばかりだったが、どれもが
楽しくワクワクした。初めて演じた役は
ハムレット。今なら30代の気持ちは
分かるが、その頃は手が届かないほど大人に見えて役作りに苦労した。
そんな時、後輩の女の子からこんな言葉を
もらった。
「大丈夫。先輩なら絶対どんな役も演じられますよ。だって器用だもん」
その言葉が嬉しくて、頑張ろうと思った。

そのかいあって、俺は演劇コンクールで
賞をもらった。
そしてそれがきっかけで今の事務所に
俳優として入り、デビューから10年…

大手事務所という力もあって、仕事にも
ファンにも不自由することはなかった。
俳優として、デビューしたての頃は寝ずに
役作りに没頭したりしたが、それも段々慣れてきて次第に演出家の好みに合わせて大した
役作りもせず舞台に立ち続ける日々を
過ごしていた。
後輩の言った通り"器用さ"だけが俺の売り
だった。アイツが現れるまでは…

ひと月前、俺は後輩と一緒にある作品に
参加した。そこにアイツはいた。
"役者の敵は役者"だ。
俺はこの役者から演出家になった男が
苦手だった。
見透かすような目、鋭いダメ出し。
第一コイツの好みがつかめない。
正直、やり辛かった。
その日もいつも通りの稽古だったが、
突然ダメ出しが始まった。
正直、仕事に嫌気がさしていたこともあり
ハードな稽古に疲労もピークに達していた。
稽古場に今日は誰だ?という空気が流れる。
標的になったのは俺だ。
「お前さぁ、ふざけてんの?お前の演技ってさぁ、ドーナツみたいなんだよ。心の真ん中に穴が空いている感じ?芝居で誤魔化すなよ。感情もっと出せよ。お前はさぁ、やれば出来る…おいっ!ちょっと待てって」
図星だった。図星すぎた…
ショックで何も聴こえなくなり、衝動的に
稽古場を出た。どうやって帰ったかも覚えて
ないが気がついたら家にいた。
スマホを開くと、マネージャーから凄い量の着信があった。かけ直そうとした時、インターホンがなった。マネージャーだ。
「ゴメン、あがって」
そう言って玄関に向かおうとした瞬間、動悸と息苦しさが襲ってきた。めまいがしてその場に座り込んでしまったところにマネージャーが飛んできた。そのまま病院に運ばれ、
心因的ストレスによる疾患と診断された。
病気療養という名目の長期休暇。降板で結構騒ぎになると思ったが、意外と世間の反応は薄く1週間ほどで代役も決まり何事もなかった様に日々は過ぎていった。『俺は必要とされていない』その現実が更に自分を追い詰めた。俳優になってから初めての挫折だった。

この生活になってから、一日の大半を家で過ごす。心配するファンからの手紙をマネージャーが届けてくれて読んだり、音楽を聞いたり
映画を見たりゆっくり過ごしてる。

たまに散歩に出かける。少しでも外に出る努力をしないと、一生陽の光を浴びれなくなるような恐怖があった。
散歩の時間は唯一穏やかな時間だ。
今日は一週間ぶりに外に出た。
『風が温かいな。』
そう思って見上げると桜の花が満開を
迎えていた。白く優しい花。風に吹かれた枝が上下に頭を撫でるように揺れる。
あの日の後輩の言葉が甦る。
だんだん桜の花が応援してくれる人の姿に
思えてきた。
「こんなことをしている場合じゃないな。」
今度こそちゃんと役と向き合おう。
そう心に決めた。
帰宅後、俺はマネージャーに電話をかけた。
復帰作にと、あるドラマの父親役を打診されていた。その返事をする為に…
「今までやったことないけど、あの役やってみます」

…あれから3年。俺は今、演技派俳優として注目を浴びるようになった。
俺を一度は追い詰めたアイツは、今では俺と
名コンビと言われるようになった。
これは後で知った事だが、アイツは俺がもっときちんとした演技ができる奴だからやる気を出して欲しくてあの日ダメ出ししたこと。
俺が療養に入った際に専念できるよう周囲に頭を下げて回ってくれてたらしい。
"役者の敵は役者"。
だけど"役者の味方も役者"だな。

🌸あとがき
荒木宏文さんの『さくら』という曲から発想を得て書きました。
荒木さんは俳優ですが、この作品のモデルではありません。…強いて言うなら演出家のほうかな。ズバっと時々愛情ある鋭い感じ。
いやぁ、今回は難しかったぁ。
荒木さんの書く詞は、範囲が広い!
人生観という感じがするので、なかなかストーリーが浮かばず苦労しました。
迷った末に「役者の世界」でまとめましたとさ。おしまい🙃


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?